「法治主義」

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法治主義とは、人の善性に期待せず、徳治主義を排して、法律の厳格な適用によって人民を統治しようとする主義のことをいいます。

古代の支那では韓非子(かんぴし)、西洋ならホッブスなどが説いたものが原型で、近代においてはこの法治主義が絶対君主の支配を否定し、国家権力の行使は議会の制定した法律に基づかねばならないとする近代法治国家の原則とされているものと説明されています。

気をつけなければならないのは、西洋において法治主義が「絶対君主の支配を否定」する理論と実践として近代国家形成の役割を果たしたことから、これを西洋と同じように日本の天皇否定に用いようとする痴れ者がいることです。

西洋における王権と、日本における天皇では、まるで質も性格も機能役割も異なります。
西洋の王は、民衆上に君臨し直接政治権力を持って民衆を支配する存在です。

なぜそんなことができるかといえば、王は神の代理人だからです。
これを裏付けたのが王権神授説です。

日本では、そのような支配のことを、古い言葉でウシハクといいました。
「ウシ」は主人、「ハク」は大刀を腰に佩くの「ハク」で、主人が私的に私有する支配のことをいいます。

天皇は、ウシハク存在ではありません。
ウシハクのさらに上位に位置して神々とつながる存在です。
これをシラス(知らす、Shirasu)といいます。

そもそも西洋的な王は、根底において大きな間違があります。
それは王が政治権力者でありながら、政治責任を負わない存在であるということです。およそ、責任のない権力ほどおそろしいものはありません。
無責任に何でもできてしまうからです。

最近、日本国内においても、どこぞの国の出身者が、やたらと
「なんとか王子」を名乗っているケースが目立ちます。
彼らの国では、両班という貴族階級が、まさに責任を伴わない統治者であって、無責任に好き勝手に権力だけを行使して好き放題、やりたい放題を繰り広げてきました。

ですから、いつかは自分もそのようなやりたい放題ができる人になりたいという私欲が、そのまま「◯◯王子」という呼称に、一種の「あこがれ」として出ているのかもしれません。実に哀れなことです。

政治責任を伴わない政治権力ほど、愚かな人類社会の仕組みはありません。支那においても、その政治責任を伴わない政治権力者が皇帝を名乗り、まるで人の命を紙くず同然に扱ってきました。

そしてそのように扱うことを正当化するために、儒教が用いられました。
偉い人は、その下にいる人達に対して何をやっても良いということを、社会の根幹に据えたわけです。

偉い人は、それで良いかもしれません。
けれど、圧倒的に、その下にいる人の方が数が多いのです。
本来は、その数多くの民衆そのものが幸せになるようにしていくことが政治の役割です。

にも関わらず、その上に立つ人の幸せと一時的な満足だけが正当化されるのでは、本末転倒も甚だしいといえます。

西洋では、長い間、王が、一切の政治責任に問われることなく、絶対的政治権力をほしいままにするという時代が続きました。
これが崩壊へと進んだのが、大航海時代以降に登場した市民の中の金持ちの存在です。

王以上に資金力を持った存在が民間の間に生まれ、その資金力を持った者が市民を扇動し、あるいは市民に武器を与えて起こしたのが、市民革命です。

支那は、いまも変わらず一切の政治責任に問われることなく、絶対的政治権力をほしいままにするという一党独裁政権が存在していますが、その支那においても、軍閥や政権以上に資金力のある民間人が育ってきています。

ということは、早晩、共産党政権は内部からの崩壊の道をたどるということは、火を見るよりも明らかなことということができようかと思います。

一切の政治責任に問われることなく、特定の人が絶対的政治権力をほしいままにするという政治体制を否定するために生まれたのが、法治主義です。ところがこの法治主義国家がうまくいかないということは、なんと紀元前206年の秦の消滅によって証明されています。

秦が支那を統一したのが紀元前221年です。
滅んだのが紀元前206年です。
秦は、強大な軍事国家でありながら、わずか15年で滅んでしまいました。

秦が滅んだ理由のひとつは、始皇帝没後に177名の家臣が殉死し、名君と人材の両方が一度に失われたことです。
秦は、支那にはめずらしく法治主義を徹底した国であったのですけれど、その運用をしていた人たちが死に、法だけが残ったとき、秦は滅んでいるのです。

なぜかといえば、答えは実に簡単です。法だけでは統治はできないからです。たとえば「人を殺したら死刑」という法があるとします。
では、戦争で敵を殺したら、その兵や将軍は死刑なのでしょうか。
だから「敵は人ではない」としたのが、西洋ですけれど、なぜ人ではないかといえば、それは異教徒だからです。

では、同じキリスト教徒同士の国の戦争は、どうなるのでしょうか。
そもそも戦争とはなんでしょうか。
清水一家と黒駒の勝蔵一家の出入りは、戦争でしょうか。
国対国が戦争というのなら、同じ国の中で行われた長州征伐や戊辰戦争、関ヶ原の戦いは戦争ではないのでしょうか。

要するに法というのは、どこまでも一定の価値観の内側に位置するものでしかないわけです。
その価値観(それは道徳観と呼んでも良いのですが)の共有がなければ、法治主義は在りえないのです。

もっと簡単にいえば、価値観あっての法です。
法以前に価値観がなければ、法は機能しないのです。

生活保護は、国民が最低限の生活ができるようにと、通常の生活が営めなくなった者に支給するものです。その生活保護が正常に運用されるためには、働くことに価値があるという価値観が先になければなりません。
ところが、働くことよりも、政治を利用して働かずに儲けることに価値を置く人々がいます。

日本人は、一流の大学を出た者は、公務員になったり大手企業に就職して、世の中のために働くことに価値を見出します。

しかし、お隣の国は、その向こう側にある自称大国の人は、猛勉強して一流の大学を出たら、政府の工作員になって働かずに権力を行使して人々や他国から収奪して、自分が贅沢な暮らしができるようにしていくことに価値観を見出しています。

そうであれば、隣国日本に生活保護や国保といったシステムがあり、働かなくてもそのシステムを利用して金を得れるのなら、彼らにしてみれば、それを得ない方が馬鹿者ということになります。
価値観が異なるのです。

そして法は、その価値観の異なる人達を想定していません。
つまり、価値観の共有のない人達が入り込んだ時点で、法は、ただのザルになるのです。

近代国家では、権力は法に基づきますが、以上の次第から考えるに、
1 法以前に罰則を含めて価値観の共有を国家として徹底すること。
2 権力行使には責任を伴わせること
の二つが、法以前に極めて重要な要素となっているということがわかります。

現代日本ではどうでしょうか。
これは日本に限らず、米国社会も同じですけれど、1、2とも、おろそかになっているのではないでしょうか。
それで法治がうまく機能するかといえば、答えはNOです。

古くからの日本では、天皇を中心としたシラス(知らす、Shirasu)国という価値観を根底とし、その上で、統治のために政治権力を揮うウシハク者は、その責任を負担するという考え方を徹底してきました。

そしてさらに、明察功過によって、犯罪やトラブルに関しては、それが起きる前に手を打つこと、民生においては、人々が困る前に手を打つことこそが、政治責任として最も重要なものとされてきました。

その責任を果たせなかったら、良くて更迭、悪くすれば切腹です。
厳しいのです。
そしてその厳しさの上に、シラス(知らす、Shirasu)国が成り立ちます。

私たちが取り戻そうとしている日本は、決して優しいばかりの国ではありません。厳しさあってのやさしさであり、やさしさがあるから厳しくもなれるのです。両者は不可分のものです。

ぜんぜん話は変わりますが、先日ウチの孫娘が友達と、映画の「君の名は」を観に行ったのだそうです。
「泣いたか?」と聞いたら、
「もう、ボロボロになって泣いた」
と言っていました。
「それで良い。映画を観て泣かないような男とは絶対に交際するな。そういう男は前頭葉異常といってな、信頼できないぞ」
と申しました。

感動CMを観て感動しない連中、感動映画を観て泣かない奴、
「凛として愛」を観て、反感しか持たないような連中は、日本人ではないのです。

ねずさん

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