「あのデブが」と呟いた習近平

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金正恩第一書記が、「世界共通の敵」として、ルビコン川を渡った瞬間だった。

「あの三胖めが……」
1月6日午前11時前、同行中の栗戦書党中央弁公庁主任から、「北朝鮮の緊急事態」の報告を受けた、重慶出張中だった習近平主席。怒り心頭で、こう呟いた。

「三胖」とは、「三代目のデブ」という意味で、中国共産党・政府の幹部たちの間で、金正恩第一書記を指す隠語になっている。
地球の反対側、米ワシントンでも、オバマ大統領に直ちに、ライス安保担当補佐官を通じて緊急連絡が入った。米国務省は「水爆実験」の約1時間後、北朝鮮を非難する声明を発表した。
東京の首相官邸とソウルの「青瓦台」(韓国大統領府)にも、急報が届いた。

安倍首相は、「爆発」から1時間余り経った午前11時44分に、国家安全保障会議の4大臣会合を開いた。以後、北朝鮮問題に忙殺されることになる。
日本政府高官が憤る。

「正直言ってまったく予測しておらず、まさに寝耳に水だった。従来なら、まず長距離ミサイル実験を行ってから、その2~3ヵ月後に核実験というのが、北朝鮮のパターンだったからだ。

日本が非常任理事国になったばかりの国連安保理で、強力な経済制裁を議論していく。かつ、'14年7月に解除していた日本独自の経済制裁も復活させる。

今度こそ、あの『狂気のモンスター』を許さない。そんな雰囲気が、日本政府ばかりでなく、アメリカを始めとする関係各国に漲っている」

一戦交える覚悟はできている

「狂気のモンスター」とは言うまでもなく、金正恩第一書記を指す。1月8日に33歳になったばかりの世界最年少の指導者であり、稀代の独裁者だ。
その一挙手一投足を追っている韓国国家情報院によれば、'13年12月に張成沢党行政部長を処刑して以降、激太りしており、すでに体重は130kgを超えた模様だという。

5月までにミサイルを撃つ

これまで北朝鮮は、'06年10月、'09年5月、'13年2月と、3度にわたって核実験を強行してきた。そしてそのたびに国連安保理や関係各国による経済制裁を受けてきた。

だが、「核大国と経済建設」を政権のスローガンに掲げる金正恩第一書記は、まったくめげる様子がない。それどころか、ますます過激な言動で世界を挑発していく。

金正恩第一書記は、いったい何を考えているのか。あるキーパーソンを通して、朝鮮労働党幹部に話を聞くことができた。以下はその一問一答である。

――新年早々、なぜ世界中にケンカを売る核実験を行ったのか?

「1月8日は、わが国で最も重要な『記念日』ではないか。当然、党・軍・政府の各部門は、金正恩第一書記が喜ぶ『誕生プレゼント』を用意する。
今回の水素爆弾実験は、最高のプレゼントになった。金第一書記は大変喜んで、実験を成功させた人々を直接接見して、労をねぎらった。

わが国は5月に、36年ぶりとなる朝鮮労働党大会を控えている。また米帝(アメリカ)のオバマ政権は、今年が最後の一年だ。そのため、互いに強力な核保有国同士として、一刻も早く米帝との直接交渉を行うというわが国の強い『意思表示』が、今回の水爆実験だったのだ。

3月には、南の傀儡(韓国)が米帝と組んで大規模な合同軍事演習を強行しようとしている。わが国もその蛮行に対する対抗措置を取るのは当然だ。『太陽節』(4月15日の故・金日成主席の誕生日)と、5月の朝鮮労働党大会を前に、もう一つの『祝砲』(長距離弾道ミサイル)が天空に轟くだろう」

――今回の実験を受けて、国連安保理は、これまでよりもさらに強力な経済制裁を、北朝鮮に科すだろう。国際社会の「兵糧攻め」にどう対応するのか。

「われわれは、貧困や苦境など、まったく恐れていない。朝鮮戦争の休戦から60年以上が過ぎたが、わが国は常に経済的苦境の中を生き抜いてきたのだ。'90年代半ばには、『苦難の行軍』(約200万人が餓死した3年飢饉)を乗り切った。

わが国は朝鮮戦争で米帝を蹴散らしたが、まだ完全な終戦には至っていない。この『戦争状態』を終結させ、平和な時代を築くには、わが国の自衛手段である強力な核兵器は、絶対に欠かせないのだ。このことは、将軍様(故・金正日総書記)の『遺訓』でもある。

今後、米帝とその同盟国らがわが国に対して制裁を加えるのなら、わが国は戦争をも辞さない。今回の水爆実験を経て、朝鮮人民軍の士気は、かつてないほど高まっている。われわれには失うものなど何もないのだから、世界最強の米帝とだって、一戦交える覚悟はできている」

中国政府は怒り心頭

中国は本気で怒っている
北朝鮮の幹部は、このように強がってみせるが、北朝鮮の最大の援助国であり、北朝鮮の貿易の約8割を占める中国も、前回'13年と同様、積極的に制裁に加わる姿勢を見せている。

中国政府関係者が証言する。
「北朝鮮が今回、中国に『水爆実験』を通告してきたのは、実施予定時刻の約30分前だった。中国がどう抗議しても強行できる時間帯を見計らって、通告してきたのだ。

しかも、『今回の実験によって両国の関係は、いささかもこれまでと変化なく執り行われる』という前口上までつけてきた。つまり、『事前通告したのだから、経済援助は減らすなよ』というわけだ。

習近平主席は昨年10月、劉雲山党常務委員を平壌に派遣し、『核実験だけは絶対にまかりならない』と警告してきた。今回その禁を破ったのだから、『平壌よ、覚悟しておけ』ということだ」
この中国政府関係者によれば、現在「中南海」(中国最高幹部の職住地)では、彼らが「三胖」と蔑視する金正恩第一書記への怒りで満ちあふれているという。

「習近平主席が『三胖』に立腹したのは、すでに5度目なのだ。初めての怒りは、'12年12月及び'13年2月に、それぞれ3度目の長距離弾道ミサイルと核実験を強行した時だ。

2度目は、'13年12月に『三胖』が、中朝友好の架け橋だった叔父の張成沢党行政部長を処刑した時。この年から、北朝鮮への食糧・原油・化学肥料の『3大援助』を半分近くカットした。

3度目は、昨年9月3日に北京で挙行した抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードに、『三胖』が不参加だった時だ。この時は直前まで、『三胖』に対して北京へ来るよう要請したが拒絶された。

4度目は昨年末、牡丹峰楽団が北京公演をドタキャンして帰国した時だ。
だが今回、習主席は、過去4回以上に、『三胖』に対して怒り心頭だ。これまでの『北朝鮮番犬論』もしくは『北朝鮮屏風論』から、『北朝鮮生贄論』に、対北朝鮮戦略を大転換させようという気運も高まっている」
「北朝鮮番犬論」もしくは「北朝鮮屏風論」というのは、主に江沢民、胡錦濤政権と金正日政権の時代に、中国で浸透していた考え方だ。

「北朝鮮生贄論」とは

当時、アジアで台頭しつつあった中国は、超大国のアメリカに抑止されることを恐れて、アメリカに対して、強い自己主張ができなかった。そこで代わって北朝鮮に、まるで番犬のように、アメリカへの「批判役」を務めてもらった。また北朝鮮には、アメリカ軍から中国大陸を守る「屏風」のような役割を期待してきた。

その代価として、中国は北朝鮮に対する「3大援助」を欠かさなかった。かつ金正日総書記が望む時にいつでも訪中を許可し、ひとたび訪中すれば、中国共産党中央常務委員(トップ9)が、全員揃って出迎えた。
実際、金正日総書記は、自身の外交を始めた2000年から計7回も訪中し、そのたびに中国から多大な援助をせしめて、国内の政権基盤強化に利用した。

最高幹部「交通事故死」の真相

ところが、胡錦濤主席の後を継いだ習近平主席は、いまやまったく異なる「北朝鮮生贄論」を模索しているというのだ。
前出の中国政府関係者が解説する。

「わが国は昨年、南シナ海の島礁を埋め立て、飛行場などを建設した。それに対し米オバマ大統領は、昨年9月に訪米した習近平主席に猛抗議し、米軍を派遣すると断言した。実際、10月に駆逐艦を派遣し、それはわが国にとって大きな脅威となった。

わが国は今年、さらに南シナ海の埋め立てを拡張する予定で、そうなるとアメリカとの摩擦が、一層高まる。この摩擦を最小限に抑えるには、中国とアメリカが共闘する共通の敵、すなわち『生贄』が必要なのだ。今回、図らずも核実験を強行した『三胖』は、まさにピッタリの生贄ではないか。

北朝鮮の核兵器の能力というより、杜撰な核管理によって、周辺地域が『第二の福島』と化すリスクが高まっている。また北朝鮮の核実験の影響で、1903年以降、休火山となっている長白山(白頭山)が噴火するリスクも急浮上している。『三胖』はもはや、中国の我慢の限度を超える地域のリスク要因なのだ」

こうした習近平政権の「反金正恩」の動きに対して、前出の朝鮮労働党幹部は、猛反発する。

「仮に中国が援助をストップさせて、わが国が混乱したならば、大量の難民が中国に渡り、中国はシリア難民に困り果てているヨーロッパのようになる。米軍が朝鮮半島で我が物顔に振る舞い出したら、中国への大きな脅威になる。中国はそれでもいいのか。

中国に対して、一つはっきりさせておきたいことがある。それは、わが国は決して、中国の属国ではないということだ。自国のことは百パーセント、自国で決めるのであって、中国の意向など関係ない。

それに、いくら北京の習近平政権がわが国に反発しようが、わが国と国境を接した中国の遼寧省や吉林省は、不況に喘いでいて、わが国との交易を切に願っている。そう簡単に制裁などできないはずだ」

4年間で幹部100人が粛清された

北朝鮮国内に目を転じると、国際社会の圧力が日増しに高まる中、金正恩第一書記は、体制の引き締めに躍起になっている。その最たるものが、少しでもミスを犯した部下は、たとえ高位の側近であっても、容赦なく粛清するという「恐怖政治」の徹底だ。

金正恩第一書記は、'12年7月に李英浩軍総参謀長を粛清したのを皮切りに、'13年12月には張成沢党行政部長を処刑。昨年5月には玄永哲人民武力部長(国防相)を処刑した。続いて10月に崔竜海前軍総政治局長を農村送りにし、12月29日には、金養建党統一戦線部長までが、「早朝に交通事故死した」と不可解な死亡発表がなされた。

彼らより下位の者も含めれば、この4年間に粛清された幹部は100人を超えると言われる。特に張成沢粛清に絡んで、計3000人も調査したとされる。
このような粛清の嵐によって、金正恩体制は動揺しないのか。前出の朝鮮労働党幹部に質すと、次のように嘯いた。

「金養建党統一戦線部長は、お人好しで悪事を働くことはなかったが、無能な男だった。将軍様(金正日総書記)は重用したが、いまの第一書記は、これまで我慢して使ってきただけだ。それで昨年末に、散々酔わせたあげく、ブレーキの利かない車を運転させて見送るという、よくあるパターンで葬ったと聞いている。

金第一書記が粛清した李英浩、張成沢、玄永哲、崔竜海、金養建らは皆、先代の幹部たちではないか。若手が育ってきて、もはや用なしになったと思えば、切るだけのことだ。

金正恩第一書記は、40代から50代前半にかけての、自分が抜擢した幹部たちとともに、新時代を築いていこうとしている。その意味で、朝鮮労働党大会を開く今年こそが、金正恩時代の『元年』と言えるのだ」

難民は日本にも押し寄せる

38度線で北朝鮮と対峙する韓国も、「目には目を」とばかりに、にわかに強硬姿勢を取り始めた。1月8日から北朝鮮に向けた拡声器放送を再開。また同盟国であるアメリカ軍は10日、核弾頭を搭載可能なB52戦略爆撃機をソウル近郊で低空飛行させ、北朝鮮にプレッシャーをかけた。韓国国家情報院関係者が語る。

「'11年末に金正日が死去し、金正恩が後を継いだ時、われわれは金正恩政権が半年持てば、その後も安泰だろうと考えた。すなわち、北朝鮮で政変が起こるとしたら、それは政権発足後、半年以内だろうと予測したのだ。
実際には、側近たちを次々に粛清していく恐怖政治の手法で、金正恩はこれまで何とか生き残ってきた。だが、最近の比較的高位の亡命者たちが一様に口にするのは、叔父である張成沢を処刑して以降、金正恩の求心力がめっきりなくなったということだ。

亡命者たちの話を聞く限り、この先、金正恩は、国際社会の圧力か、もしくは内部の『暴発』によって失脚する可能性が高い。すでに2度もクーデター未遂が起こっている。そのためわれわれは密かに、内部で半島の統一論議を復活させた」

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