「大富豪失踪」

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香港の大富豪失踪 中国が送った恐怖のサイン

まるで下手なスリラーの筋書きのようだ。中国の億万長者が旧正月(春節)の前日未明に、女性ボディーガードの取り巻きとともに、住まいとしている香港フォーシーズンズホテルの部屋に座っている。女性たちは彼を守るだけでなく、額や背中の汗をふくために雇われていた。

そこへ突如、中国本土から来た5~6人の公安警察が押し入り、ボディーガードたちをなぎ倒す。富豪を高級ホテルから連れ去り、そしてこっそり本土へ運ぶのだ――中国共産党の激怒を目の当たりにさせるために。

これは粗悪なカンフー映画の脚本ではない。問題の億万長者は中国有数の政治的なコネを持った大富豪、肖建華氏だ。1月27日に香港金融街の中心部で起きた同氏の誘拐は、この街を根底から揺るがしている。

カナダ国籍を持つ大富豪の肖建華氏。彼の失踪の謎は深まるばかりだ

英国が1997年に香港を中国へ返還したとき、中国政府は香港に50年間の「高度な自治」を保証し、香港の独立した裁判所や報道の自由、効率的な官僚機構にはおおむね手をつけなかった。

この取り決めには、中国本土の機関を含め、香港以外のどんな法執行機関も香港領内で活動することは許されないという重要な規則がある。香港の書店関係者5人が中国の工作員によって拉致された事件から1年あまり。中国の指導者たちの私生活に関して体面の悪い本を出版したのが理由だった。今回の香港法の違反は、香港の信頼性にひどい打撃となる。

香港の政府と保安局は、肖氏の拉致に加担したか、職務怠慢によって鼻先で事件発生を許したか、どちらかなのだ。

■超富裕層へメッセージ

国際金融センターとしての香港の地位は今、書店関係者の失踪事件以上に大きな傷を受けた。あの事件では、諸外国の企業人や銀行関係者、そして実際、報道記者らは恐らく納得できた――つまり拉致された人たちは中国の政治家に関する噂から何とか生計を立てている小者の出版関係者だったからだ。だが、肖氏は60億ドルの資産を持つ富豪で、その政治的なコネには、少なくとも3人の「太子党」(共産党の指導者の子供たちの呼称)との緊密な関係が含まれる。あるときには、習近平国家主席の姉から会社を買ったことさえある。

近年、グラクソ・スミスクラインやリオ・ティント、オーストラリアのクラウンカジノを含め、数多くの西側企業の経営幹部が中国本土で拘束された。明らかに会社に圧力をかけ、同業他社への見せしめとすることを狙ったうさんくさい嫌疑で拘束されることもあった。

今まで香港は、警察と司法の恣意的な行為から逃れられる安全な場所と見なされていた。だが肖氏の失踪を受け、グローバル企業はこれを考え直さなければならない。中国本土でも、同氏の拉致は、すでに習氏に戦争を仕掛けられたと考えている超富裕層には恐ろしいメッセージだ。資本逃避のペースを加速することにもなるだろう。

ブルーカラーの億万長者であるドナルド・トランプ氏がワシントンで権力を握る数年前に、習氏は「中国の特色あるポピュリズム(大衆迎合主義)」に乗り出した。腐敗した政府・党関係者と、ゆがんだレーニン主義の甲羅の下にともに巣くっていた億万長者クラスの富豪を標的にした動きだ。

党最高幹部の息子である習氏は自身をブルーカラーの太子党として打ち出した。彼が富裕層に対して仕掛けた戦いは大衆に受けた。

肖氏は身の危険を知っていたように見える。同氏は昨年、定評ある富豪ランキングで、中国で32番目の資産家にランキングされた。名前の載った多くが刑務所入りする羽目になることから、一部で「死のリスト」と呼ばれるものだ(当のランキングを集計する調査員らは、最初、肖氏が中国一の富豪だと計算したが、それに対して肖氏が自分は見た目よりもずっと貧しいと激しく訴えてきたと話している)。

■コネと絆で肥えるカモだが…

肖氏がなぜ、これほどあからさまな作戦で香港から連れ去られたのか、正確なところはっきりしない。本人が数日後に姿を現し、すべて誤解だったと主張する可能性はある。だが、この一件がすでに、中国という国家が伸ばす長い腕から誰も逃れられないと見せつけたことは間違いない。

肖氏を知る一部の人は、今回の拉致は、同氏が親密だったどこかの政治派閥へ出された警告だったか、あるいは中国の最高幹部らのビジネスについて同氏が知り過ぎていたか、どちらかだと考えている。一方で、肖氏が保有する大手金融機関の大量の持ち株を共産党が国有化しようとするかもしれないと見る人もいる。

今回の件に通じたある人物はこう話す。「中国の億万長者はカモと似ている――政治的なコネと党幹部との緊密な絆で肥えていくが、どこかの時点で、皇帝はフォワグラを食いたいと心に決めるのだ」

日経・フィナンシャル

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