「からくり人形」

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江戸の「からくり人形」といえば、有名なのが上の絵の茶運人形です。

この茶運人形、人形が手にしているお盆に茶碗を乗せると、ひとりでに動いてお茶をお客さんに運びます。
そのとき、ちゃんと足も動きます。
そしてお客さんの前に着くと、きちんとおじぎをすします。
まるで「どうぞ」とお茶を進めているように、です。

お客さんがお茶を飲み終わって、お盆の上に茶碗を戻すと、今度はちゃんと方向転換して、もといた場所に戻ってきます。
実によくできたものです。

そういえば、小林一茶に、
「人形に 茶をはこばせて 門すゞみ」という俳句がありました。
これは江戸の日本橋人形町にあった人形店が、小姓姿のからくり人形に、茶をはこばせている光景を詠んだ句ですが、こうした「からくり人形」が、庶民の間で親しまれていたことがわかります。

他にも、「連理段返り人形」なんてのもあって、2体の人形が、2本の棒をかつぐ格好で連結し、人形が交互に相手の上をとびこえながら、階段を降りるというものです。

いずれも動きが実に精密で、どうしてこれだけ精密な動きができるのか、不思議な感じがします。

こうした「からくり人形」を、現代に伝えてくれたのが、「からくり半蔵」と呼ばれた土佐藩の細川半蔵頼直(ほそかわはんぞうよりなお)が、寛政八(1796)年に書いた『機巧圖彙(きこうずい)』という本です。

機巧圖彙(きこうずい)

この本は、首上下の三巻からなっていて、からくり半蔵の作品の細かな設計まで書かれた貴重なものです。

この本があるから、からくり人形が現代に伝わっています。
本を書いた細川半蔵については、その生涯は資料が乏しくて、そういう名前の人がこの本を書いた、ということ以外、ほとんど何も分かっていません。

けれどその本のおかげで、私たちは現代に、江戸の技術を再現することが可能です。

実は、なんと「茶運人形」が復元されたのは、昭和42(1967)年のことなのです。
それまでは、物語の中でしか知られていませんでした。

茶運人形

写真をみただけで、ものすごく精巧な作りであることがわかる気がします。
この復元が話題になって、当時、全盛を極めていた全国のデパートの屋上遊園地に、「おみくじ人形」が置かれるようになりました。

これは「茶運人形」をモチーフにしたもので、お金を入れると(たしか当時10円)、奥にある神社の戸が開いて、中から人形がおみくじを持って出て来ます。
そして丁寧にお辞儀をして、おみくじを渡してくれる。
お客さんが受け取ると、一礼して、もといた神棚に帰って行くという仕様でした。

それにしても、昭和42年の復元まで、実は、からくり人形は、明治以降、忘れられた存在になっていたのです。

明治の文明開化、欧風化の波の中で、江戸時代の古いもの、良いものは、おくれたもの、つまらないものと認識されました。
買ってくれるお客様がいなくなれば、造っていたお店も廃業してしまいます。

時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、こうして明治以降の日本の近代化の波の中で、多くの日本の技術が失われていきました。

そのひとつが彫金で、武士の刀の鍔などに用いられた日本の彫金技術は、当時、世界中のあらゆる王侯貴族御用達の彫金よりも、はるかに優れた技術でした。

けれど残念ながら、廃刀令以後、刀の需要がなくなり、技術ごと廃れてしまったと言われています。

そういえば、つくる会が発行する『新版・新しい歴史教科書』には、表紙裏のグラビアページに、日本の伝統工芸品というコーナーがあります。

そこでには、熊野筆、伊万里焼、土佐和紙、薩摩切子、肥後象嵌、結城紬、宮城伝統こけし、南部鉄器、西陣織、堺の刃物、輪島塗などが写真つきで紹介されているのですが、それらはいずれも、庶民の間で親しまれてきたものです。

そして庶民が買ってくれるから、技術が進み、より精度の高い、これまた世界の王侯貴族のどんな贅沢品をもしのぐほど精巧なものができあがっていました。

西洋にせよ東洋にせよ、文化遺産とか美術品などは、ことごとく王侯貴族のものです。
王侯貴族のために造られ、王侯貴族が楽しみ、王侯貴族の富を象徴するものでした。
庶民のための文化、庶民の楽しみのための文化物や工芸品となると、極端に数が減ります。

けれども日本の場合、庶民の楽しみが、第一でした。
技術も庶民のために多くが開発されました。
そうしてより高い技術が、競い合って磨かれてきました。
そしてそれらは、どこまでも庶民が楽しみ、庶民の生活にうるおいを与えるものとして開発され、技術が磨かれてきました。
そしてそのことは、雇用にも活かされていました。

江戸時代までの日本は、人がどこまでも大切にされた社会です。
商店も、物流も、製造業も、すべては人のためにあるものでした。
ですから、たいせつなことは、いかに儲けるか、そのためにいかに人件費を減らすかではなく、ひとりでも多くの人が食べていけるようにしていくことに価値が置かれていました。

ですから価値があるのは、儲かっている企業ではなく、ひとりでも多くの人を養ない、食べていかせることができるお店、あるいは藩、あるいは地主農家が、偉い人でした。
そういう社会観念が、世の中の中心でした。

このことは、いまの世の中でいうならば、大企業は、儲かっていて利益が大きいから価値ある企業なのではなくて、それだけ大勢の人を養っているから社会的な価値のある企業だったのです。

そして、人を養うということは、終身雇用すること、つまり死ぬまで面倒をみることが、雇用主にとってはあたりまえのことでした。
ですから、財力のある人は、進んで書生を養ったし、家政婦のような形で女性たちに雇用の機会を与えていました。

平成以降、企業は利益を出すために、生産拠点を安い人件費の海外に移転するということがさかんに行われるようになりました。

そして国内ではリストラを行い、企業収益の確保を図りました。
けれども、それによって国内産業が空洞化し、逃れられない不況が根を下ろし、雇用までもが圧縮され、人が人を粗末にするようになりました。
最近では、企業内の所得格差も、トップと末端の社員では、100倍以上の開きがあるような企業もざらにあるようになりました。

しかし社会全体を見てみると、結局のところ、人を大切にしている企業が生き残っています。

人は石垣、人は城なのです。
洋風化した企業は、短期的に利益を極大化させ、成功したように見えても、瞬く間に衰退します。
また、どんなに古くからある企業でも、道を踏み間違えれば、存続はできなくなります。
世の常です。

お金はもちろん大切です。
しかし、一部の人が、一生かかっても使い切れないような大金を年収にし、他の多くの人々が、生活保護で支給される額よりも低い所得で早朝から深夜まで働いているといういまの日本の状態は、本当に健全なもの、神々の「おほみたから」が大切にされている社会といえるのでしょうか。

かつて、ものすごく高い技術を持ちながら、産業のロボット化をせず、その技術をお楽しみに遣い、雇用を守った日本と、軽々にリストラを行って、まるで多くの人を抱えていることが悪いことのような錯覚をしている今日の日本。

果たして健全な姿は、どちらにあるといえるのでしょうか。

けっして、産業用ロボットがいけないとか、そういう議論をしているわけではないのです。

効率重視、利益重視の経営とかいうけれど、そもそも産業にせよ商業にせよ企業にせよ、究極的には、そこに従事している人々が、幸せになるために、存在しているものであるように思えるのです。

ねずさん

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