「抵抗の精神」

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蹶起した西郷隆盛が「死」と差し替えに遺したメッセージは何か? 新年に問い直す「抵抗の精神」 日本大学教授・先崎彰容

明治10年、9月24日昧爽(まいそう)のことである。今年からちょうど140年前のこの日、号砲を合図に官軍は進撃を開始した。場所は現在の鹿児島市城山。言うまでもなく、西郷隆盛率いる「賊軍」との数カ月におよぶ西南戦争の、最後の総攻撃がはじまったのである。

300人程度の西郷軍を、数万人の官軍が包囲しての戦闘の決着はすみやかであり、硝煙くすぶる早朝の城山を、あたかも血を洗い流すかのごとき大雨が降り注いだと伝えられている。

≪西郷隆盛を擁護した福澤諭吉≫

だがそれにしても、この雨水とともに流れ去ったのは官軍と賊軍に分かれて戦った日本人の血だけなのであろうか。もしかすれば、「西郷隆盛」という巨大な精神までもが、私たちの中から流れ去ったのではなかったか。

西郷散るの一報が全国を駆け巡り、賊軍の総大将を批判する論調が圧倒的ななか、意外にも一人の思想家が西郷を擁護した。福澤諭吉である。「意外」と言ったのには理由がある。福澤といえば、西洋文明のわが国への導入を何よりも切実に願った人物であり、啓蒙(けいもう)思想のチャンピオンとして、戦後思想史で最も肯定的に研究されてきた人物である。

対する西郷は、封建武士の精神までも引き受け、彼らの最高指揮官として必敗の西南戦争を戦った。西洋文明の明るい色調の福澤と、どこか復古的で後に右翼から担ぎあげられる西郷の相性は、あまり良さそうには思えない。

しかし、それは皮相な西郷像である。実は西郷自身が福澤の著作を高く評価し、主著『文明論之概略』を後進たちに読むよう強く促していた逸話があるからだ。福澤曰(いわ)く、「文明は一国人民の智徳を外に顕(あら)わしたる現象なりとのことは、前既にこれを論じたり。而(しか)して日本の文明は西洋諸国のものに及ばずとのことも、普(あまね)く人の許す所なり」

≪文明社会に必要な自主独立≫

文明とは国民一人一人の智恵と道徳心を総和したものである。そして日本文明を西洋のそれに比べたとき、われわれは明らかに後塵(こうじん)を拝しているのだ-こう力説する福澤の言葉に、140年後の私たちが触れるとき、どこか古色蒼然(そうぜん)とした印象をもつはずである。

戦後の高度経済成長とバブルすら私たちは経験した。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代もあったし、「世界第2位の経済大国」とは、つい最近まで耳慣れた言葉だったはずである。だとすれば、今更、福澤諭吉など読む必要などないではないか。ましてやその福澤の著作を評価したという西郷隆盛もまた忘れるべきではないのか。

福澤は西南戦争終結後、にわかに筆を執り評論『丁丑公論』を書いた。西郷が今回の蹶起(けっき)で示したもの、それは日本国民の「抵抗の精神」に他ならない。確かに武力によって政府に異を唱えるのは、自分と方法がまったく違う。しかし武士の気風を重んじた西郷の精神は、文明社会をつくりあげるためにぜひとも必要だと思われた。

すなわち自主独立の気概こそ、西郷がわれわれに死と差し替えに遺(のこ)したメッセージなのであり、もし彼が矛を収め、地方自治の勉強に邁進(まいしん)していたら、今とは違った明治国家像が見えてきたかもしれないのだ。

≪立ち止まる者が見当たらない≫

福澤と西郷に共通しているのは、当時の明治藩閥政府とその下に生きる日本人への違和感である。城山の露と消えた西郷に対し、屍(しかばね)に鞭打つように政府も人びとも非難を繰り返している。でも、こうした人たちこそ、西南戦争以前までは西郷を崇拝していたのではないか。ある時代ある時期「正義」だといわれた評判を信じこみ、同じ人間を肯定したり否定したりしている。これこそ日本人にとって最大の危機、「抵抗の精神」の欠落を何よりよく示しているとしか、思えない。

世間全部が非難へと転向するとき、立ち止まって「本当にそうか」と詰問すべきはずなのにそれを行う者が見当たらないことを福澤は憂慮した。大久保利通から伊藤博文を経由して達成されていく近代化に福澤と西郷は批判的である。つまり両者はともに「反近代的」なのである。

それから140年という月日がたった。戦後、経済的勝利の美酒に一度は酔った私たちは、確かに西洋文明の後塵を拝していると思うことはなくなっただろう。だがしかし、世間で何の疑いもなく流通している価値観-たとえば憲法問題や原発問題-に「抵抗の精神」を抱いているか、といわれれば心もとない。こうした価値観に再考を迫る以上、私たちに安易な断定や臆断は許されない。

福澤があれほどまでに言論の自由を主張し、学問と勉強の重要性を説いたことを年頭にあたって思いだすのも悪くない。そのとき明治10年、死とともに西郷が差し出した精神は、私たちの心にまで届いているのかも、しれない。

正論から

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