「日の丸」

画像の説明 一 白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は

二 青空高く 日の丸揚げて ああ美しい 日本の旗は

ご存知、日の丸の歌です。
澄み切った青空に、へんぽんと翻(ひるがえ)る白地に赤丸の日本の旗は、これほどシンプルで、かつ美しい旗は他にないと思います。

この旗を、戦前の日本の軍国主義の象徴などという人がいますが、勉強不足も甚だしいことです。

日の丸と我が国の歴史は、昭和に入ってからとか、明治以降とかのほんの150〜160年の底の浅いものではありません。

公式な記録として日の丸が日本の記録に現れるのは、平安時代初期の延暦16(797)年に編纂された「続日本紀」です。
そこには大宝元(701)年の正月元旦の朝賀の儀に「日像の旗」を掲げたという記述があります。

ちなみに奈良時代のはじまりが、和銅3(710)年ですから、大宝年間というのはその前、飛鳥時代の出来事、ということになります。

ざっと1300年以上の歴史があるのです。

もっといえば、公式な式典である朝賀の儀に用いられたということは、実際にはそれ以前からこの旗が民間部門で一定の権威をもって使用されていたということですから、そう考えると日の丸の歴史はいったいどこまでさかのぼるのだろうかと、なんだかワクワクしてきます。

現存する最古の日章旗としては、後冷泉天皇より源義光(新羅三郎)へ下賜された日の丸の旗があります。
これは甲斐源氏宗家の家宝としていまに伝えられているものです。

同じく中世の日章旗とされるものとしては、奈良県五條市(旧西吉野村)の堀家に伝わる後醍醐天皇下賜の日の丸の旗もあります。

ちなみに甲斐源氏というのは、武田信玄の家系です。

この旗は、新羅三郎義光の父頼義が、後冷泉天皇(1045-1068年、第70代)から下賜された「日の丸御旗」と呼ばれるもので、甲斐武田家が源氏の直系、武家の棟梁の家柄を示す旗でもあります。

甲斐武田家の家宝の日章旗

ちなみに、この新羅三郎の兄貴が源義家(八幡太郎義家)で、こちらが源氏の嫡流となります。

義家の孫が源義朝で、平治の乱で平清盛らに破れた義朝は、尾張国野間(現愛知県知多郡美浜町)で入浴中に襲撃され、死亡します。

そして生き残った義朝の子供である源頼朝、源義経らが挙兵し、後年、平家を滅ぼす。

この平家との戦いの中で、寿永4(1185)年2月にあったのが、讃岐国屋島(現高松市)で行われた屋島の戦いです。

この戦いで有名なのが、那須与一が射落とした扇の的のお話でした。

ちょっと紹介しますと、夕刻、両軍が休戦状態となったとき(海が夕凪で波が静かになる)、海に浮かぶ平家側の陣営から、美しく装った麗しい女性が乗った小舟が現れ「竿の先の扇の的を射よ」と挑発します。

源平合戦の激しい戦いのさなかに、こうしたみやびなシーンが現実に行われるというのが、日本の歴史の実に優美なところで、諸外国の戦闘潭には、なかなかこういうシーンはでてこない。

小船に立てた竿の先は、波に揺られて、ゆらゆらと動いています。

的を外せば源氏の名折れです。

那須与一と屋島の戦い
平家物語絵巻-1

義経は、弓自慢の畠山重忠に命じるのだけれど、さしもの重忠も揺れる的には自信がありません。

そこで重忠は、下野国(栃木県)の武士、那須十郎を推薦します。けれど、十郎は日中の戦で受けた傷が癒えず、弓を射れない。

そこで、兄者に代わって引き受けたのが、弟の那須与一です。

那須与一は六間(約10.8m)ほど海に馬を乗り入れると、弓を構えます。

的までは40間(約72m)ばかりあります。
射損じれば、源氏に恥をかかせたことになる。
腹をかき切って自害するしかない。

彼は「南無八幡大菩薩」と唱えると、狙い定めて鏑矢をヒュンと放ちます。

矢は、浦にひびく長鳴りをして飛びます。
そして竿のてっぺんにある扇の要ぎわを一寸ばかり残して、見事に射切ります。

扇は、真紅をひらめかせて空たかく舞いあがり、春風にひともみふたもみもまれて、海へおちる。

両軍の歓声がこだまするなか、扇は夕日に輝く海に、漂う。

この物語は、平家物語で「扇の的」と呼ばれる名場面なのですが、この事件が実際にあったという証拠には、いまでも京都の三十三間堂に、このときに与一が放った矢が、大切に保存されています。

与一の矢は、他の矢より、ちょいとばかり長い。
まさに芸術品のような品格のある矢です。

さて、このとき、平家側が竿の先にくくりつけていた扇、これが日の丸の扇です。

このときに使われた扇と同じデザインの扇が、いまでも靖国陣社などで、売られています。

いま、私の机の隣の本棚に、その扇(もちろん模造品)が飾ってありますが、いまから800年もの昔に、こうして日の丸が、源平合戦に登場していることは、歴史を思うと、なんだか感慨無量です。

さて、この日の丸ですが、室町時代になると、足利幕府が推奨した海外交易船であるご朱印船において、日の丸は「日本国籍」を示す商戦旗として公式に用いられています。

勘合貿易船 船尾に日の丸があります

この朱印船は、遠くベトナム、タイ、マニラ、マレー、フィリピンまでも出かけていて、ベトナムには73回、タイには55回も遠征して国際貿易を行っています。

この時代は、ヨーロッパでも大航海時代の走りだった時代ですが、日本も同時代に大規模な交易事業を営んでいたわけです。

戦国時代になると、日の丸は、天下一の武将の御印とされるようになります。

有名なところでは、元亀3(1573)年に、静岡県浜松市北区三方原のあたりで行われた、武田信玄と織田信長との戦い(三方原の戦い)で、両氏とも、本陣に日の丸を立てていたというのは有名な話です。

両陣営とも、日の丸を立てることで、「我こそは天下一の武将なり」と宣言していたわけです。

さらに時代が下り、江戸時代になると、徳川幕府は延宝元(1673)年に御城米廻船の船印として「日の丸」を指定しています。

そして幕末の黒船来航の翌年である安政元(1854)年には、幕府は正式に「日の丸」を海外派遣用の船舶における日本船旗として、日の丸を指定しています。

また万延元(1860)年の、幕府渡米使節団は、米国のブロードウェイで、日の丸の小旗を振って歓迎を受けています。

ちなみに、明治維新の際の戊辰戦争では、薩長土肥の官軍側が錦の御旗、幕府方は日の丸を背負って戦っています。

そして戊辰戦争が終わり、明治政府が誕生すると、明治新政府は明治3(1870)年の太政官布告第57号の「商船規則」で、日の丸を「御國旗」として規定し、日本船の目印として採用しています。

以降、日の丸は日本の国旗として定着するのですが、さてその明治3年のことです。

日本に着任したフランスの大使が、フランス国として正式に(なんと「正式に」です)政府代表を立てて、明治政府に「日の丸を500万円(当時の金額)で売ってほしい」と依頼してきたのです。

時は、ちょうど普仏戦争(ふふつせんそう)の最中の出来事です。

普仏戦争というのは、は、第二帝政期のフランスとプロイセン王国(後のドイツ帝国)の間で行われた戦争で、プロイセンの勝利に終わっています。

このたいへんな時代の最中に、フランスから公式に要請があったわけです。

要は、フランスはそれほどまでに日の丸に惚れ込んだ、というわけです。

明治3年といえば、当時の日本の国家予算の年額が2千万円くらいだった時代です。

要するに国家予算の4分の1という大金で、日の丸のデザインを買いたいと言ってきたわけです。

まだできたばかりの明治政府は、まだこの時期、戊辰戦争の戦費の償還やら、兵士達への保障金など、財政はまさに火の車、この時期の明治政府にとって500万円は大金中の大金です。
(いまでいったら10兆円くらいのお金)

政府内部でも大激論が起こるのだけれど、結局明治政府は、「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事」として、この申し出を断っています。
当時、500万円という大金の誘惑を断ち切ってまで、明治の元勲達は「日の丸」の歴史と伝統と誇りを守り通したのです。
実に素晴らしいことと思います。

せっかくここまで書きましたので、戦時中のこともひとつ書いておこうと思います。
それは硫黄島の戦い(昭和20(1945)年2月16日~同年3月26日)のことです。

この戦いで日本軍は、20,933名の守備兵力のうち20,129名までが戦死しています。

一方米軍は、28,686名が死傷しています。

大東亜戦争における日米の島嶼での戦いで、米軍の地上部隊の損害が日本を上回ったこれが唯一の戦いです。

それだけ壮絶な戦いでもあったわけで、このため第二次世界大戦における欧州と太平洋の米海兵隊に与えられた名誉勲章の、実に4分の1以上が、硫黄島侵攻部隊のために与えられています。

そして大戦後に制定された米軍の海兵隊記念日は、硫黄島の戦いで米軍がすり鉢山に星条旗を立てた日でもあります。
米国立アーリントン墓地にある米国の戦争記念碑は、硫黄島の戦いで掲げられた星条旗をかたどったものとなっています。

アーリントン墓地

けれど実は、米軍がすり鉢山に立てたこの旗は、その日の夜に摺鉢山守備隊の日本兵がこれを奪還し、そこに日章旗を掲げていたのです。

米軍は、この日章旗を引きずり下ろし、火炎放射器で焼きました。

そして、再びそこに星条旗を掲げています。

けれど、その二度目の星条旗も、日本側の守備隊は奪い取り、今度は、やや赤茶けた色の日の丸の旗を、そこに掲げました。
この旗も、三度、星条旗に変わり、その後、日章旗に戻ることはありませんでした。

このときの様子を、当時17歳の通信兵だった秋草鶴次さんが手記に記しています。(「17歳の硫黄島」秋草鶴次著)

米軍がすり鉢山に星条旗を立てた翌日の早朝、秋草通信兵は、すり鉢山の頂上に日章旗がへんぽんと翻っているのを見たのだそうです。

そして「守備隊は頑張ってるな」と、思わず感涙にむせんだ。
栗林中将も、報告を聞いて、その場に出てきて、山頂の日の丸を見ています。

そしてその日の丸が降ろされ、また星条旗に。
そして翌日、やや赤茶けて、白地のところがやや黄ばんだ日章旗が、そこに翻っていた。

ひとめみて、その日の丸が、守備隊員たちの血で書かれたものだと気がついたそうです。

私達の父祖は、そこまでして、日の丸を守ろうと戦ってくれたのです。

そしてその日の丸に象徴されているのは、祖国日本です。

何のためにそこまでして硫黄島で戦ったのかといえば、硫黄島を米軍に落されたら、米軍はそこを基点とて、B29で本土空襲をすることがわかっていたからです。

空襲されるところは、東京であり、横浜であり、名古屋であり、大阪であり、広島、福岡、長崎、仙台であり、そして太平洋に面している都市全てです。

ですから硫黄島で、守備隊が、一日でも長く踏みとどまって、米軍の占領を遅らせること。

遅らせれば遅らせるほど、ひとりでも多くの都市部の日本人が、田舎に疎開し、空襲を逃れることができるのです。

あるいは都市部に残るとしても、それだけ深く、たくさんの防空壕を掘って、命を長らえることができるのです。

そしてそのおかげで、戦後、私達が生まれ、いま生きています。

ということは、私達がいま生きているのは、誰のおかげなのでしょう。

辛い、苦しい戦いで、命さえも失ってまで戦い抜いてくださった若き日の父祖がいるから、いま私達は、この世で息をしていられるのです。

そのことに、感謝はないのでしょうか。
人として、ありがたいことと思う心はないのでしょうか。
それこそ人間として、あたりまえの心なのではないでしょうか。

その心を失い、感謝の念すら抱かず、歴史や史実さえも無視して、ただやみくもに日の丸は軍国主義の象徴だとか主張するというのは、いったいどこの国の人なのでしょうか。
そのような発言をする人に、人の心はあるのでしょうか。

日の丸のデザインは、赤丸が太陽を象徴しています。
太陽は四界を照らし、光は一直線に進みます。
赤は赤心といって、嘘偽りのない誠実な心(=真心)を意味します。
ですから私達は、真心の民なのです。

赤丸は、四方を照らす明るい太陽のもと、まっすぐな心、誠実な心、真心で、ひたむきに一直線に進もうとする心をあらわしています。
真っ直ぐな心です。

そして丸は、輪=和をあらわします。
日本の別名は「大和」です。
大和は、「大きな和」です。
つまり日の丸の丸は、大きな和、大和の心です。

そして背景となっている白字は、汚れなき心、至誠、私心なき心、純粋、純白です。

「穢れのない真っ直ぐで純真な真心で、和をもって四方を照らす」
それが日本の国旗に込められた意味であり、日本人の心です。

ちなみに、日の丸は、その寸法が詳しく決められており、図にすると次のようになっています。

日章旗の制式

要するに、国旗の縦横は2:3
赤丸は中央に。

そして赤丸の大きさは縦軸の5分の3と決められています。

そもそも、国旗というものは、「自国、他国のものに関わらず敬意を表わす」というのが世界の常識です。

なぜかというと、これが大事なのですが、「国旗はその国の所有物と見做される」からです。

つまり、我々がどこかの国の国旗を侮辱したり、踏みつけたり、焼いたり、引き裂いたりするようなことをするということは、我々がその国の所有物を勝手に処分したというふうに看做されるのです。

ですから例えば、我々が外国の国旗を焼いたり破いたりすれば、それは自分が東急ハンズで買ってきた、あるいは自分で染めて作った外国旗であったとしても、その国の所有物を毀損した、とみなされることになるのです。

さらに日本では、刑法第92条で、外国国旗損壊罪が規定され、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金を課せられるだけでなく、当該国から賠償責任を追及される可能性すらあるのです。

国旗と言うものは、それほどまでに尊厳が保障されているものなのです。

ですから、昨今どこぞの国で公然と日本の国旗を焼いたり引き裂いたりしているケースが報道されていますが、これに対して日本は、まずその国に実行犯の逮捕を要求しなければなりません。

なぜなら、他国の財産を勝手に処分し侮辱を加えているからです。

そしてその国が、実行犯を逮捕処罰しないならば、それは当該国に対する、国家としての宣戦布告を意味することになります。

それが国際関係というものです。

明確な犯罪を犯し、これを放置している国家は、世界のルールを守れない蛮族です。

蛮族なら、その蛮族が人類としてのルールを守れるようになるか、すくなくとも守ると約束するまで、殲滅殺戮されても異議はない。それが本来の国際ルールです。
甘くはないのです。勘違いしちゃいけない。

さて、せっかくここまでお話しましたので、日本の国旗に対する反対意見とされているものについて、具体例をあげて、説明をしておこうと思います。
10項目あります。

〜〜〜〜〜〜〜
<意見1>
戦前、日の丸は日本の国家主義・軍国主義の象徴であった。従って日の丸はナチスのハーケンクロイツと同じものである。ドイツでは戦前の反省からハーケンクロイツは廃止され、法律で禁止されているので、日本も国旗も新しくするべきだ。

<回答>
まったくの勉強不足な論説でしかありません。
ナチスのハーケンクロイツは、ドイツ民族の旗ではなく、ドイツに生まれたナチス党の党旗です。

日本の日の丸のように千年の歴史を持つものとは意味合いが異なります。

まして戦前の日本は国家主義でもなければ軍国主義でもありません。

戦前の日本は大東亜主義であり、人種の平等を高らかに主導した国家であり、軍事力の行使も限界までこらえ、我慢した上でやむなく行使したものです。

<意見2> 
日の丸に反対している人は少数だが、その数は無視できない数字だ。また「何となく賛成」という人とは対照的に、反対している人の多くははっきりと拒否している。

国のシンボルである国旗や国歌について、国民の意見が分かれているのは悲しいことだ。反対している人に押しつけるのではなく、国民全員が納得できる国旗や国歌を新たに作るべきだ。

<回答>
大多数のために小を切り捨てるのは、多数決を旨とする民主主義の意思決定のイロハのイの字です。

<意見3> 
愛国心や民族主義はくり返し戦争の原因になってきた。戦争になったとき、必ず政治家は国民に愛国心を強制する。ナショナリズムと軍国主義は深く結びついていて、それを別のものだというのは無理がある。

<回答>
根本から間違いです。
人や国を愛する心、自身の所属する民族を愛する心は戦争よりも和を求めます。

和を乱すことは、すなわち社会を乱すことです。すなわち愛国心や民族愛を否定するところに戦争が起こるのです。

<意見4>
国旗や国歌はナショナリズムとして悪用されることも多い。確かに、植民地から独立したばかりの国などでは、国旗や国歌が人々の心を支え、支配者に抵抗し、国をまとめていくよりどころになる。

しかし、愛国心をあおることで、自分の国が最もすぐれているような錯覚を起こさせ、まわりの国を侵略したり、支配したりすることも多い。戦前の日本やドイツがその典型的な例だ。

<回答>
国旗や国歌は自己の所属する国土や民族への愛の象徴です。家族を愛し、友を愛し、地域を愛し、国を愛する心を否定することのほうが、異常です。

また、歪んだ愛国心で日本を侵略したり、日本の領土を実効支配している例は、日本ではなく中共や韓国のことなのではないでしょうか。

<意見5> 
近年、ユーゴスラビアでおきた内戦は政治家がナショナリズムをあおりたてたことが原因だ。それがきっかけで、異なる民族同士が憎しみあい、殺しあうという悲惨な状況に広がっていった。その中で、民族の国旗や国歌は互いの憎しみをあおる働きをしていた。政治家が国民に愛国心を強制し、国旗や国歌を押しつけるというのは、非常に危険な状況だ。

<回答>
日本では、政治家が国旗や国歌を押し付けているのではなく、日本の民衆が国旗や国歌を愛しているのです。
それを上にあるような「少数意見」で、政治によって歪めようとすることのほうが、よほど危険な状況です。

<意見6> 
オリンピックやサッカーのワールドカップで、日の丸を振り回し、ナショナリズムをあおるのは決して良いことではない。確かに、「がんばれニッポン」を連呼し、ナショナリズムをあおれば盛り上がる。ヒトラーや以前の共産主義国がスポーツを政治の道具として利用してきたのもそのためだ。

しかし、選手は自分自身のために競技をするのであり、「お国のために」戦う兵隊ではない。国旗を振り回し、国ごとにメダルの数を競い合うような国際大会はスポーツ本来の姿をゆがめてしまう。
 
<回答>
スポーツ選手は、自分のための戦いであるのと同時に、多くの応援してくれるみんな、ささえてくれているみんなとともに、そこで戦っているのです。そのみんなの象徴が国旗であり、国家です。とりわけ我が国の日の丸に象徴されているのは、大きな和であり、みんなの真心です。

応援してくれているみんな、試合でがんばっている選手、そのみんなの気持ちの統合の象徴が日の丸なのです。その日の丸を否定するということは、みんなの気持ちを否定することです。そのほうがスポーツマンとしても、応援団としても、はるかにおかしいし、恐ろしいことです。

<意見7>
愛国心というのは、国民一人一人が心の中にそっと持っていればいいものだ。自分が愛国者であることを声高にとなえたり、他人に愛国心を強制したりするべきものではない。まわりから、愛国者であることを強制される社会というのは恐ろしい社会だ。

<回答>
周囲から愛国者であることを強制されない社会の方が恐ろしい社会です。
隣人を愛さないで良い、極端にいえば、隣人通しでいがみ合う社会が良い社会であるとは、おそらく世界中の誰も考えません。

<意見8>
確かに、日の丸や君が代が好きな人は大勢いる。しかし、そのことと学校のような場での強制とは話が違う。日本では、日の丸や君が代について、過去の歴史から抵抗を感じている人も大勢いる。にもかかわらず、一方的に日の丸や君が代を強制するのは「思想の自由」に反している。

<回答>
そう思うなら、日本から出て行くことです。
日本が嫌いなら日本にいていただく必要はありません。

<意見9> 
学校での日の丸・君が代の強制は行き過ぎだ。君が代を歌わなかっただけで、生徒がどなられたり、教師が謹慎させられたりというのでは、戦前の国家主義のようだ。

<回答>
戦前の国家主義云々ではなく、国家国旗というものは、当該国の象徴です。
それを否定するということは、当該国家を否定しているということで、否定するような人に我が国にいていただく理由はありません。

日本からは、世界中にむけて航空便も船便もあるので、お好きな国に出て行かれることです。
けれど、出て行った先のその国で、当該国の国旗や国歌を否定したとき、あなたの命があるかどうかは、保障の限りではありません。

<意見10>
アメリカ人の星条旗への思いは、たんに愛国心と言うだけでなく、「民主主義」や「自由」への思いも込められている。アメリカは様々なところからの移民で成り立っている国だから、国旗や国歌はそういう国民をまとめていくためのシンボルになってきたからだ。

それに対して、日本の場合、国の成り立ちがまるで違う。そのため、日の丸は「民族主義」や「国家主義」のシンボルという性質が強い。星条旗と日の丸を同じように論じるのはおかしい。
 
<回答>
日本は米国よりも、はるかに歴史の古い国です。
もっと史実勉強してください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

以上が、私の回答です。
それぞれの<意見1〜10>をお読みいただいておわかりいただけようかと思いますが、こうした<意見>なるものは、いわば現行犯の泥棒が警察官に向かって「お前が泥棒だ」と言っているのと同じです。
声は大きいかもしれないが、言ってることはデタラメです。

さて最後に、冒頭に「日の丸の歌」の歌詞を掲げましたが、この歌詞は、発表当時の元歌は、次のようなものでした。

一 白地に赤く 日の丸染めて
  ああ美しや 日本の旗は

二 朝日の昇る 勢い見せて
  ああ勇ましや 日本の旗は

「朝日の昇る勢いの勇ましさ」素晴らしいです。

皇国日本の陽を再び大空に昇らせたい。
私は、本気でそう思っています。

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