「サボリしかない?」

画像の説明 言い訳がネット上で炎上

昇進や昇給が望めない末端部署の公務員は、職務上の怠慢に陥りやすいという能率が悪いことは、中国の行政機関の重要な特徴の一つであり、官僚のサボタージュなどは、常に目に余る。

たとえば、今年の4月7日、『北京晩報』は国家商標局が7ヵ月間で一度も商標登録証を発行していないため、多くの企業がビジネスチャンスを失い、重大な損失を被っていると報じた。この事態の原因について商標局職員が寄せた回答が、ネット上で失笑や怒りを買っている。

なんと「商標登録証用の用紙がずっと届かない!」というものだったからだ。

しばらくして、商標局の管理部門である国家工商総局は声明を出し、購買手続きの煩雑さや部門間の連携不足などが原因で、商標登録証発行の遅延が生じていることを認めた。そして、現在は商標登録証用の用紙がすでに供給され、3月28日からは時間外勤務による印刷発行を開始しており、5月末までに滞っていた前期分の商標登録証をすべての申請者に発行する見込みだと続けた。

商標局の用紙切れは去年8月からだが、今年1月になってようやく商標局は用紙サプライヤーの入札募集を行った。この4ヵ月以上にわたる空白期間について、政府からは何の説明もない。そして、1月末に北京印刷集団有限公司が用紙供給業務を落札した。

工商総局が初めに掲載した入札募集の告知によると、契約締結後、北京印刷集団は30日以内に初回20万枚の商標登録証を納品し、45日以内に2回目、60日以内に3回目、75日以内に最後の納品をそれぞれ行うことになっていた。

つまり、遅くとも2月末には初回の商標登録証が納品されているはずであり、4月中旬までに全4回分の納品が完了していなければならない。しかし商標局の話によると、3月末にようやく用紙が納品されたとのことだ。いくら購買手続きの煩雑さや部門間の連携不足といった問題があったにせよ、これほどまでに極端な能率の悪さには驚かざるを得ない。

今回発生した大規模なミス以外に、商標局の能率に関する問題は常に深刻であり、「申請処理の遅延や手続きの難航」で名が通っている。エージェントに料金を支払って、煩雑な手続きの代行を依頼したとしても、予定通りに商標登録証を受け取れるとは限らない。

以前、ある外資企業が商標登録を出願したところ、10年たっても審査や異議申し立ての手続きが進まないばかりか、商標出願の継続手続きが行われていないため失効したとの通知を受けたそうだ。

人民の満足度は常に二の次

このような商標局の極端な能率の悪さに対抗するための策として、エージェントは「未登録に関して継続的に注意の喚起」を促すという余計な仕事に力を入れざるを得ない。そして、登録証が発行されないにもかかわらず、すでに10年も待っている顧客に対して出願継続費用を速やかに支払うように通知しなければならない。

彼らはこの継続費用のことを「延命金」と呼んでいる。商標出願の成功は保証できないが、少なくとも一縷の望みは残される。

中国政府機関の能率の悪さは国内だけでなく、世界中でも広く知られている。

米「タイム」誌に以前掲載された「単なる噂に過ぎない中国式の能率」という記事で、中国政府は大型かつ多数の政策決定において、飛び抜けた能率の良さを示しているが、政策実行の面においては官僚主義が蔓延していると指摘されている。

際限なく待たされる各種許可証や証明書の発行、奇妙で漠然とした規約制度、何かと突然改訂される手続きの流れ……小さな企業でさえも誰か専任者を指名して、政府部門との交渉に専念させざるを得なくなっている。

世界銀行の『世界ガバナンス指標(WGI)』では、中国政府の能率は1996年以降ずっと世界ランキングの中位を上下しており、2014年になって突然大きな進歩が見られたが、それでも212ヵ国中140位だった。中国の政府部門による財政支出の規模と人員面での複雑さは他の国々を上回っているが、行政の職務遂行能力においては他の国々よりも大きく後れをとっていると明らかにしている。

公共サービスを提供している唯一の非市場機関として、政府は実質的に独占的な地位を占めている。そして他に取って代わられることもないため、当然ながら競争の圧力にさらされることはない。それゆえ、能率を向上させるために必要な原動力を持ち合わせていないのだ。中国の政府部門にはこの傾向がとりわけ顕著に表れている。

中国政府が果たすより重要な役割は、国家の安定と発展を維持することであり、人民の幸福な生活ではないことは誰もが知っている。中国政府の役人に対する業績審査の体制にこの点が明らかに見られる。

経済発展は最も核心的な評価指標であり、時代に最大限順応するに当たり、環境保護やエネルギー消費、社会の治安、公的教育といった議題は常に取り上げられるが、人民の満足度は常に最も軽視されている。

公務員のイメージは、堅実で頭の固い行政執行者

役人の業績審査基準以外に、一般公務員の昇進制度も政府部門の長期的な能率悪化の原因となっている。

1993年に設けられた公務員制度は今年で23年目を迎える。しかし、その制度における昇進の内情は誰もが知っている。『公務員法』によると、中国の公務員の昇進には二つの面がある。それは職務上の昇進と職階上の昇進だ。前者は権力や地位の上昇を、後者は給料や待遇の向上を意味する。

とはいえ、職務上の昇進は職階上の昇進と関係があり、公務員が昇給を願うのならば、まず出世しなければならない。しかしながら、中国の公務員のうち、60%以上は県・郷級の末端部署に在籍しており、郷級から県級幹部に昇進できる公務員は全体のわずか4.4%で、県級から庁級に昇進する者はわずか1%だ。深刻なまでに人員数がポスト数を上回っている。そのため、昇進や昇給が望めない末端部署の公務員は、職務上の怠慢に陥りやすい。

2015年11月に発表された『県級以下の機関向けに設けられる公務員の職務および職階の並行制度に関する意見』で、公務員の職務上の昇進と職階上の昇進を分離することが決定され、これにより職階の低い末端職員も自らの努力によって相応の給料を得ることができるようになる。

ただ、この制度の本格的な実施には多くの困難が待ち受けている。仮に実施されたとしても権力が発言権を左右する政府の体系において、高給取りだが職階が低い者はより多くの現実的な問題を抱えることだろう。仮にすべてが順調であったとしても、公務員の審査内容自体に不備がある以上、高給取りの政府職員でさえ、実務の能率向上に力を注ぐことができるとは限らない。

公務員の審査内容において、職場での業績と個人的な業務成果は何ら関係がなく、個人的な利益と公共サービスの質もあまり関連性がない。異なる部門、異なる業種、異なる職位で働く職員たちはみな、異なる審査体系の下で評価されるが、その基準は多くの場合「徳、能、勤、績、廉」の五つの分野に分かれている。

徳とは品行やモラルのことで、上司を尊重し、全体に目を配ることが含まれる。能とは技能を学び、各業務の水準を向上させることだ。勤とは勤勉に働くことを指す。績とは業務上の成果のことであり、最後の廉は、廉潔で己を律することだ。

これらの審査基準が各公務員の出世の行方を大きく左右するとはいえ、実際に昇進するかどうかは上層部の手に委ねられている。そのため公務員にとって能率の重要性はいっそう低くなる。

こうした審査制度によって形作られる公務員のイメージは、堅実で頭の固い行政執行者だ。彼らにとって大切なのは、上司の指示に逐一従って任務を完了させることだけであり、問題を解決に導いて成果を残すことなど必要ないのだ。

仮に問題が発生したとしても彼らにとって必要なのは黙って上司に聞き従い、現場の流れに合わせることであり、後で何の責任も問われることはない。最終的には「手続きの難航」「連携不足」などの漠然とした理由を掲げて逃げ道を設けることができるのだ。

誰も責任を問わない、負わない

各人が能率に関して責められる心配がない反面、誰も他人の責任を追及しようとしない。 

何十年も前の計画経済の体制下で、「無制限の政府」「全能の政府」の管理方式が形成され、政府が規則を制定し、実施し、監督している。政府がすべてを取り仕切っているが、政府を監督し、権力のチェック・アンド・バランスを図る者がいない。

それゆえ政府は自由に経済および社会生活に介入することができる。こうした状態が現在まで続いた結果、政府機関は巨大化し、社会化の水準は低く、人員過剰に陥っている。

「全能の政府」において、役人たちはほとんどコスト意識やサービス意識を持っておらず、彼らは何の疑いも持たず業績を追求することによってコストの増加を招いており、改良や改善を行う能力を持ち合わせていない。そうして能率の悪い業務が常態化し、それを止めようとする者もいないのだ。

商標局による今回の対応はまさに、彼らの責任感とサービス意識が無きに等しいことを浮き彫りにすると共に、これほどまでに深刻な職務上の怠慢が放置されていることをも示している。民衆が苦情を申し立てる場がなく、メディアによって取り上げられて注目を浴びるまで待つしかないのだ。

また社会全体で物議を醸したり、叱責を受けたりしても、誰も責任を取ろうとせず、被害を受けた人への賠償を行おうともしない。そして、型通りの謝罪を行ってから本来行うべき業務に着手するといった調子だ。

2009年に共産党中央が公布した『党政治指導幹部の問責に関する暫定規定』には、行政活動における職権乱用や違法行為、国家の利益や人民の生命や財産に悪影響を及ぼす職務上の怠慢などが発覚した場合は、党政治指導幹部の責任を問わねばならないと定められている。

しかし、規定と実行は別問題だ。今日に至るまで、商標局内は依然として平穏なままであり、責任者が現れて謝罪したり、責任を取って誰かが辞任したり、また誰かが責任に問われたりすることもなく、いつもの日常が続いている。

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