「暗殺指令」

画像の説明 北朝鮮が「先制攻撃」も辞さず、最初の標的は「青瓦台(韓国大統領府)だ」と挑発のトーンを高めるなか、韓国政府は、北朝鮮によるテロや暗殺の警戒レベルを引き上げている。

金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が「テロ能力を結集せよ」と工作機関に指示したとの情報をキャッチしたからだ。政府要人の名前も警戒対象に挙がるが、正恩政権が本気で命を狙うターゲットとはどんな人物か。また、どんな手口が想定されるのか。

朴大統領自ら「金正恩」と呼び捨て 脅迫文に《全員処断する》

「この先、北のまた別の挑発に徹底して備えなければ。金正恩が『韓国に対するテロの能力を結集せよ』と指示したことでも分かるように、北のテロから国民の安全を守ることに格別に留意する必要がある」

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は2月22日、大統領府内の会議でこう強調した。発言は、大統領自ら金第1書記を「金正恩」と呼び捨てにしたことでも注目された。

「金正恩」の指示とは、韓国の情報機関、国家情報院が政府・与党会議で明らかにしたもので、「金第1書記の指示があり、北朝鮮の工作機関、偵察総局がテロを準備している」とされることを指している。

国情院は、政府機関や北朝鮮に批判的なメディア、金融機関へのサイバー攻撃のほか、地下鉄やショッピングモールなど、大勢が集まる施設へのテロの脅威に言及。さらには、反北活動家や脱北者、政府関係者に対して「毒劇物で攻撃を加えたり、中国などに拉致したりする」可能性があるとも報告した。

韓国紙、中央日報は、会議では、狙われる可能性がある人物として、金寛鎮(グァンジン)大統領府国家安保室長▽尹炳世(ユン・ビョンセ)外相▽韓民求(ハン・ミング)国防相▽洪容杓(ホン・ヨンピョ)統一相-ら朴槿恵政権中枢の複数の高官の名前が挙げられたと報じた。

加えて、標的の一人として、脱北者団体「自由北朝鮮運動連合」の朴相学(パク・サンハク)代表の名前が指摘された。正恩政権を批判するビラを付けた風船を北朝鮮に飛ばす活動を進めてきた人物だ。

《おまえだけでなく、12歳の息子と妻まで全員処断する》

「爆発」と書かれ、こう朴代表を脅迫するメモが添えられた不審物が、代表がよく出入りするホテルのトイレで、昨年4月に見つかっていたことも最近、明らかになった。

北は「捏造」主張、韓国人利用の暗殺計画も「成功なら大金を手に」

最近になって、警護が強化された人物もいる。1991年に韓国に亡命した元北朝鮮外交官の高英煥(コ・ヨンファン)氏だ。

金正日(ジョンイル)総書記にも直接接し、亡命以来、北朝鮮の内情を暴露してきた。

高氏が知る秘密は、90年代以前のものであり、“いまさら”の感もなくはないが、公安当局が、偵察総局による暗殺指令に関する「具体的情報を入手した」のだという。高氏に対する警護員は2人から8人に増員された。朴相学代表に対しても警察官6人が警護しているという。

国情院の「テロ準備」情報に対して、北朝鮮は25日になって、韓国向け宣伝サイトで「ありもしない謀略的な詭弁(きべん)を捏造(ねつぞう)している」と反論した。

朴政権が「荒唐無稽なテロ説」を流して、国情院のテロ捜査権限を強める法制化につなげようとしているとの主張だ。

しかし、ここ数年でも、実際に摘発された北朝鮮工作員らによる暗殺未遂事件が複数ある。

北朝鮮工作員の指示で、亡命した元朝鮮労働党書記の黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)氏の暗殺を計画していたとして、昨年5月には、韓国人3人が起訴された。

3人と偵察総局の工作員を結び付けたのは、覚醒剤だった。検察のこれまでの調べでは、3人は工作員の斡旋(あっせん)で、北朝鮮に入って覚醒剤70キロを製造したことがあるという。

2009年には「暗殺に成功すれば、大金を手にできる」とそそのかされ、黄氏や、民間団体代表を務める著名脱北者の姜哲煥(カン・チョルファン)氏の暗殺を命じられた。

フィリピンの暴力団員らに接触し、交通事故などを装った黄氏暗殺を計画したが、黄氏が10年に死去したため、計画は立ち消えになったという。

金日成(イルソン)主席と金総書記の2代にわたって政権中枢にいながら亡命した黄氏は、北朝鮮が最大の暗殺ターゲットとする人物といえた。09~10年には、黄氏殺害を目的に脱北者になりすまして韓国入りした別の北朝鮮工作員3人も摘発されている。

色仕掛けで韓国軍内部に浸透し、08年に摘発された北朝鮮の女スパイ、元正花(ウォン・ジョンファ)元工作員も黄氏の動向を探っていたことが判明している。

ペン・懐中電灯型毒銃の威力は…10ミリグラムで即死

暗殺に使う「秘密道具」が押収されたケースもあった。狙われたのは、朴相学代表だった。

検察の調べでは、韓国とモンゴルを行き来していた脱北者の男を、偵察総局関係者が「北の収容所にいる家族が平壌で暮らせるようにしてやる」と懐柔。

まずは、黄氏の側近として一緒に韓国亡命した金徳弘(ドクホン)氏の暗殺を命じた。だが、徳弘氏の身辺警護が厳重だったため、ターゲットが朴代表に変更された。

ボールペン型毒針、万年筆や懐中電灯型の毒銃も

「日本でビラ散布を支援しようという人がいる。重要な話なので、1人で来てほしい」。11年9月、男はこう朴代表を地下鉄の駅に誘い出そうとしたが、暗殺計画を察知した情報当局者に取り押さえられた。

その際に押収されたのが、ボールペン型毒針と、万年筆や懐中電灯型の毒銃だ。ペン型はキャップを5回右に回して押すと、毒針が発射される仕組みで、針には10ミリグラムが体内に入っただけで呼吸が止まり、心臓まひで即死するという猛毒が仕込まれていた。毒銃の有効射程は10メートルに達したという。

これまで具体的な暗殺計画に上った人物は、黄氏を筆頭に、北朝鮮からの亡命者が多い。

実際に、北朝鮮に暗殺された人物として、最も有名なのが、金総書記の長男、金正男(ジョンナム)氏を産んだ成恵琳(ソン・ヘリム)夫人のおい、李韓永(イ・ハンヨン=本名・李一男)氏だ。韓国亡命後に金ファミリーの私生活を暴露し、97年に暗殺された。

最大の標的は「秘密」握る亡命批判者 ドイツ人暗殺指令も

黄氏や金徳弘氏、李韓永氏ら金政権中枢の秘密を握り、それを積極的に公表することで金政権を批判してきた人物が、最大の標的にされてきたことが分かる。朴相学代表や姜哲煥氏も韓国で広く知られた金政権に対する批判者だ。

「裏切り者には死を!」という金政権の断固たる意志を表しているのだろう。半面、脱北者による情報流出と、批判ビラの散布に象徴される不都合な情報の流入に対し、手段を選んではいられないほどの焦りを募らせている実態もうかがわせる。

一方で、脱北者に限らず、中朝国境地域で、キリスト教の布教と脱北者支援に取り組んできた韓国人宣教師らの不審死も相次ぎ伝えられている。毒針で襲われた後、不審な交通事故死を遂げたり、毒殺の症状を示したりし、北朝鮮工作員の関与が強く疑われている。

昨年5月に韓国人3人が起訴された事件では、北朝鮮で医療活動に従事し、体制批判を理由に追放されたドイツ人医師に対する暗殺指令も出されていたことが分かった。この医師は『北朝鮮を知りすぎた医師』という邦題の北朝鮮の実情を告発する手記を出版している。

正恩政権に批判的な記事を度々書いている記者にも、編集幹部や取材相手から「北朝鮮に狙われる心配はないのか」と半ば冗談、半ば本気で忠告されることがある。

正恩政権は、米韓が北朝鮮最高首脳部をターゲットにしているとされる「斬首作戦」に対して、ヒステリックに反応し、「重大声明」と称して、韓国大統領府などへの先制攻撃まで警告している。

そんな自らに対する「暗殺」におびえる政権に、「知りすぎ」でもない記事の一つひとつに目くじらを立てている余裕などないことだけは確かだろう。

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