「昔は来なかった」

画像の説明 戦前戦後の尖閣諸島(沖縄県石垣市)海域の漁業を調査してきた沖縄県の民間研究グループによる報告書「尖閣研究」(尖閣諸島文献資料編纂会)がこのほど第3巻を発刊し全巻を完結させた。

第3巻は「海人(ウミンチュー)」と呼ばれ、尖閣の海で生きてきた漁師30人の人生の「語り」を収録したほか、これまで不明だった尖閣のサンゴ漁や周辺海域の“電灯潜り”の実態なども調査した。約7年にわたった全巻刊行を通じ、尖閣の漁業の全貌が文献、フィールドワークの両面からの調査報告として結実した。

魚の宝庫~尖閣の海

那覇市の海人、我那覇生太郎さん(81)=調査当時=は祖父の代からの漁家だ。父からは戦前、「船団を組んで尖閣で漁をした」と聞き、7歳頃から浜で舟揚げを手伝って育った。父が南方で戦死。生太郎さんは陸(おか)で働いて家計を助けたが、叔父らが「海ワザさせんといかん」と漁師に。飯炊きから鍛えられ尖閣の海に。冬はアカマチ(ハマダイ)の一本釣り、夏はマグロ船に乗った。55年間を海で生きてきた。

「尖閣に行けば一航海で2トン、3トン位獲れた」-宮古島を基地に航海は5日から12日。尖閣周辺は潮が速く荒れるから、若い頃は「名船長のシリについて行った」。中国船が現われる前、台湾船はしょっちゅう来て領海に入ったり出たり。ケンカや口論は日常茶飯事で向こうはバナナや酒を差しだした、とも。

石垣真次郎さん(79)=同=は昭和40年代から約20年間、尖閣の海で操業した。当初は底延縄、その後は一本釣り。当時5年間、水揚げ1番だったときの底延縄、浮き延縄を図入りで詳しく語った。

儀間真松さん(82)=同=は中国公船が我が者顔で往来する状況をこう憂える。「中国船、昔はこなかった。もう一本釣りは怖くて行けないと言ってます。反対に日本船が中国領でやったら、(彼らは日本船を)ぶっ捕まえて船も没収してそのまま中国に連れて行きますよ。中国船が来るのは、捕まえてもどうせ返すはずだからと、日本を軽くみているからだ」。この聞き取り当時、宮古島近海は中国のサンゴ船が集まっていた。

近年、尖閣周辺の漁業は急激に減っている。乱獲で魚量が減少したこともあり燃料代との見合いから大型船が行かなくなった。さらに漁師の高齢化問題が背景にあるという。

日本初の本格的な尖閣諸島の漁業研究

2010年8月に刊行された「尖閣研究」の第1巻は戦前からの沖縄復帰(1972年)までの尖閣海域の漁業を辿った内容だった。発刊の2カ月後、中国外務省は「尖閣諸島海域は“中国漁民の伝統的猟場”である」との声明を出し、反発した。

この中国の主張が事実無根なのは自明だ。沖縄の漁師たちは中国漁船が入ってきたのが1980年以降であることを実際に見て知っている。だが、実は尖閣周辺の日本の漁業についての歴史的研究は「尖閣研究」第1巻が出るまで、政府レベルも民間レベルも全くなかった。そのため関連の文献、資料が散逸したままだった。

戦後の尖閣諸島の民間研究は高良鉄夫・元琉球大総長(故人)が知られる。高良氏は1950年~68年、5回にわたって尖閣に上陸し、その生態系を学術調査し発表した。晩年の高良氏は本書の民間研究者グループ「尖閣諸島文献資料編纂会」の顧問を務め、編纂会は高良氏の調査をまとめ、「尖閣研究高良学術調査団資料集」(2007年)として刊行。

この活動の延長が知られざる海の研究「尖閣研究」なのだ。資金集めには苦労したが、日本財団の研究助成が支援、3回に渡る助成を行って全3巻の調査が実現した。

サンゴ漁、電灯潜り

尖閣の海が魚の宝庫なのはサンゴが多いためともいわれる。魚はサンゴを食べ、ねぐらとし、産卵もする。サンゴは南の豊かな海に欠かせない。それを破壊したのが、中台のサンゴ密漁だ。

中国漁船のサンゴ密漁は小笠原諸島(2014年)より沖縄近海(2012~13年)が先だ。宮古島の漁師、長嶺巌さん(65)=同=は2012年、一本釣りの4・3トンの船で宮古島沖で100トンクラスのサンゴ密漁、中国船の一団に遭遇した。その数約50隻で堂々と網を入れ、サンゴを採っていた。

あまりの多さに「何をされるか分からん」と逃げ帰った。「異変はその二、三年前から起きていて中国船が来ていた。サンゴは採り尽くされた」

その後、水産庁が資源調査を行ったが、宝石サンゴの生育には10年以上かかる。サンゴの生育地はハマダイなどの産卵場所で一本釣りの好漁場だが、中国船に荒らされた海が元に戻るには時間がかかる。

電灯潜りは主に夜間、眠っている魚を狙って左に電灯、右にモリを持ち素潜りやボンベを背負って突く漁だ。もちろん昼間も潜る。

1970年代から80年代が尖閣の電灯潜りの全盛時代だった。宜野湾漁協の志村武尚さん(70)=同=は10代から電灯潜りに専業した。

尖閣はブダイ漁だ。他の漁法と異なり電灯潜りは装備が少なく、経費もかからず効率がいいという。当時はダイバー5人前後で1航海平均5日間、毎回の水揚げ3~4トンの大漁だったという。真っ暗の海中、電灯をかざして魚を探し、突く。

血抜きした血のにおいでサメがダイバーを追いかけ回すが、「人は襲わない」と志村さん。海底の格闘ぶりをつぶさに語った。尖閣の電灯潜りは燃料代高騰などですでに絶えているが、沖縄近海では現在も電灯潜りが行われている。

やがて、中国のマグロ船が来る!

中台の船を日々、警戒している沖縄の漁師たちは、「中国漁船の今後の動向は怖い」と訴えている。

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