「法の支配」

画像の説明 2月下旬、女性裁判官の馬彩雲(マー・ツァイユィン)(38)が住む北京郊外のアパートに銃を持った2人の男が侵入し、馬と夫に向けて発砲した。夫は軽傷で済んだが、顔面と腹部を撃たれた馬は命を落とした。

警察の追跡を受けた暴漢2人は車内で拳銃自殺を遂げた。うち1人は馬が担当していた離婚訴訟の原告で、訴訟の進め方に不満を抱いていたとみられる。

訴訟の逆恨みで裁判官が殺されるという事態に、中国の法曹界は強い衝撃を受けている。事件は、習政権が掲げる法の支配の強化が機能していない実態も浮き彫りにした。

馬の惨劇は、法曹界の大量退職が問題となっている最中に起きた。中国では長時間労働や賃金の低さに多くの司法関係者が不満を募らせている。

政治的圧力の高まりも人材流出を引き起こす要因だ。昨年来、人権派弁護士が逮捕され、テレビの前で罪を告白させられる事態が相次いでいる。通常の弁護活動であっても「法廷の秩序を乱す違法行為」と見なされかねない法律改正案は、政治犯などの弁護を引き受ける際の足かせとなっている。

しかも近年の中国では裁判官の襲撃事件が増加しており、多くの司法関係者が恐怖に震えている。

10年6月には湖南省の裁判所で3人が射殺される事件と、広西チワン族自治区の差し押さえ現場で硫酸がまかれ裁判官ら6人が重軽傷を負う事件が発生。昨年9月には、湖北省で裁判官ら4人が刺される事件もあった。いずれも犯人は司法への恨みを募らせる人物だった。

司法への不信が根底に

ただし、馬の事件には従来と違う点もある。世論の反応だ。

過去の事件では、司法への不信感から襲撃犯を英雄視する風潮があった。08年、上海在住の無職の若者が警官に職務質問を受けて暴行されたとして警察署に乗り込み、警官6人を殺害した。

男は死刑判決を受けたが、当局の横暴に一人で立ち向かったとして世間の喝采を浴び、『水滸伝』に登場する英雄になぞらえる声も上がった。

厳格な法支配を目指す習近平

今回はそうした世論は盛り上がっておらず、馬の仕事ぶりを高く評価する声が強い。最高人民法院(最高裁)は年間400件近い事件を担当していた馬を称賛し、他の裁判官に彼女を見習うよう促した。

だが法曹界からは、当局の追悼ムードをあざ笑う声も上がっている。中国政法大学の呉丹紅(ウー・タンホン)副教授はマイクロブログ新浪微博(シンランウェイボー)で「馬は巨大な司法システムの歯車の1つにすぎない」と書いた。

「『馬を見習え』と言うことは、病的なシステムと労働環境を容認し、推奨せよということだ。これでは、さらに多くの裁判官が冷酷な車輪に巻き込まれるだけだ」

劣悪な労働環境に暴力事件への恐怖も加わり、裁判官が職場を去るケースが続出している。

当局は彼らの安全を守る方策を打ち出そうとしているが、根底にある司法への不信が解消されない限り問題は解決しないだろう。「国民は司法の独立性を信じておらず、裁判官が偏っていると考えているから(司法への)恨みを抱きやすい」と、ある弁護士は語る。

政府が目指す「法の支配」も、西欧型の公正なシステムとは別の方向に向いている。

習政権は、絶対的な権力を確立するには非情な手段を含む厳格な法支配が必要だとする中国古来の思想を信奉している。

歴史を振り返れば、その手法に頼った支配者の多くが自滅の道をたどっているのだが。

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