「証し」

画像の説明 勾玉は、一般には縄文初期の頃の耳飾りが原型といわれ、その後、古代日本の装身具か、祭祀に用いられたものとされています。

ですから古いものになると、1万年以上も前の縄文初期の遺跡から出土します。三千年前には、倭国から朝鮮半島へも伝播した形跡もみられています。

その勾玉について、こんな話を聞いたことがあります。

いまから二千七百年前に、神武天皇が初代天皇として日本を開国なさいましたが、天皇家は、それ以前から上方様(うわかたさま)と呼ばれた時代が約六千年続いていたというのです。
その上方様の時代、天皇家は末子相続制で、子供たちの中でいちばんおとんぼ(最後に生まれた男の子)が、家を継いだのだそうです。

子だくさんの時代です。
たくさんいるお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、民間に降りて婚姻し、人々と血縁関係を結びます。

そして人口が増えてくると、お兄ちゃん、お姉ちゃんたちの一部は、新しい土地を求めて、土地を去って行きました。

そして去って行くときに、上方様の血族であるという証に、勾玉をもらっていったというのです。

勾玉は、湾曲した石ですが、その湾曲した部分には、ご皇室の魂が宿るとされ、去って行ったそれぞれの家族は、それを我が身の係累の「証」として大事な折には身につけることを伝統としたのだそうです。

何世代かが経つと、それぞれ他国の土地に定着したお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、はじめはひとりふたりだったものが、幾世代を経て、何百人かの集落となります。

こうなると、同じ先祖を持つ親戚同士(村同士)でも、何百年も交流がなくなることがあり、そういう村同士が、ある日、なんらかのことでトラブルになる。イクサが始まろうとするわけです。

村同士のイクサですから、これは村落国家の一大事です。
当然、村長であるリーダーは、胸にご先祖伝来の勾玉を下げてイクサの場に赴きます。

そこで相手の村国家の軍団と対峙してみると、なんと、相手の村長の胸にも、同じ勾玉が!

そこで、
「やあやあ、あなたも上方様のご一統ですか」
「ハイ、私は何代の○○様の時代にこの土地に来た者です」
「そうですか。私は何代の□□様の時代ですよ」
「それなら、お互い親戚ではありませんか。ならばイクサなどやめにして、一緒に酒でも酌み交わしましょう」

ということになって、流血事件が避けられたのみならず、互いの村落国家同士の交流が深まり、互いに発展することができた。そんな「証」が、勾玉であった、というのです。

このお話を聞いたとき、「いがいとそういうことが真実であったのかもしれない」と思いました。
いまとなっては、記録もない遙か古代のお話です。その時代に生きていた当事者などいませんから、実際のところはわかりません。

しかし神武天皇が、忽然とこの世に出現して日本で世界最古の王朝を築いたわけではなく、神武天皇の出自である天皇家は、それ以前の遙かな昔、ご先祖が神であった古い昔から、日本を統べる皇家であったというお話は、とてもリアルに感じます。

日本で出土された大平山元一遺跡の土器は、いまから1万6500年前という、とほうもない古代の土器です。これは、世界最古の土器でもあります。

一万年前という時代は、西洋はまだ旧石器時代です。
それよりも6500年もさかのぼった昔に、日本には土器があり、土器があるということは、そこに集落があり、火が使われ、言語があり、文化があったということを裏付けます。

つまり日本では、西欧がまだ原始時代で、石オノを持ってウッホウッホとやっていた時代に、それなりの社会的文化的生活が営まれていたのです。

縄文早期の人口は日本列島全域でおよそ2万人程度であったろうといわれています。

その人たちが、現代にまで延々と続いて日本人を形成しています。計算上は、約700年で、ひと組のカップルから誕生した子孫が一億二千七百万人、つまり現代の人口になります。

縄文土器の一万六千五百年前からといわず、神武天皇の即位した2676年前からみても、日本人であれば、誰しもが三度や四度は、同じ胎内から生まれた計算になります。つまり生粋の日本人はみんな、何十世代という尺度でみれば親戚です。

ちょっと古くて戦災で焼かれなかった旧家なら、どの家にもある家系図をずっと追っていくと、先祖はみんなご皇室にたどり着きます。

これは、「そう書くことで家の権威付けをした」というのではなく、実際にその通りだったのです。

鈴木さんも高橋さんも斉藤さんも田中さんも、ご先祖をずっとさかのぼって行くと、どの家もみんなご皇室にたどりつくきます。ですからご皇室は日本人の本家の中の総本家です。

国を愛し、故郷を愛する心は、親兄弟を愛し、妻子や恋人、友人や仲間、そして我が子を愛する、あるいは友人や仲間たちを愛する気持ちと同じ延長線上にあります。
なぜならそれは愛だからです。

私たち日本人がいざというとき勇敢に戦い、互いに助け合う心をいかんなく発揮できるのは、そんな愛の心が私たちのDNAの中に深く刻まれているからなのです。

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