「神話は民族のアイデンティティ」

画像の説明 古事記の最初の方に、イザナキ、イザナミのお話があります。

二柱の神様は、天の神様から天の沼矛(あめのぬぼこ)を授かって、オノコロ島を作るのですが、ここは原文では、次のように書かれています。

於是天神、諸命以、
詔伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神
「修理固成是多陀用幣流之国」
賜天沼矛而言依賜也

読み下しますと、次のようになります。
「ここにおいて天の神様は、諸々の命もちて、
伊耶那岐命、伊耶那美命の二柱の神に
この漂える国をつくり固めなせと詔(の)り、
天の沼矛(あめのぬぼこ)をことよさせたもうなり」

現代語に訳すと、
天の神様は、様々な命令をもって伊耶那岐命、伊耶那美命の二柱の神に「この漂っている国を修理(つくり)固めなさい」と述べられて「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を授けました。
といった感じになります。

ここに「修理固成」という語が出てきます。
読みは「しゅうりこせい」ではなく、「つくりかためなせ」です。
他に「をさめかためなせ」と読ませる本もあります。
古事記を代表する有名な言葉のひとつです。

おもしろいのは「つくり」や「をさめ」に「修理」という漢字を充てていることです。
古事記は、序文で、
1 漢字の持つ意味と上古の言葉の意味が一致する場合は漢字で。
2 漢字の持つ意味と上古の言葉の意味が一致しない場合は漢字を音として用いている
と書いています。

古事記にある「修理」が「つくり」と読むのが正しいのか「をさめ」と読むのが正しいのかはわかりませんが、いずれにせよ上古の大和言葉に「つくり」と「をさめる」という言葉があり、そのいずれか、もしくはその両方の意味が漢語の「修理」と一致するから、この字が充てられたというわけです。

「修理」は「いまあるものに手を加えてつくろい直すこと」を意味する漢語です。
ということは上古の人々にとって、大和言葉の「つくる」ことと「をさめる」ことは、何もないところからいきなり何かを生み出すのではなく、すでにあるものを加工したり変形したりすることが「つくる」ことであり、それらを上手にきちんと使うことが「をさめる」ことだという認識があった、ということであろうかと思います。

そもそも、何もないところから何かを生み出すのは神様の仕事です。人間の仕事ではありません。

私たちは神様がおつくりになった様々なものを、加工して使わせていただいているだけです。そうである以上、もともとはすべては神々がお生みになったものを使わせていただいているのですから・・・

別な言い方をすれば神様そのものを生活に便利なように変形して活用させていただいているわけです。
これはとてもありがたいことですから、手を加えて修理しながら、どこまでも大切に使わなければならないという姿勢が自然とそこに備わります。

だからこそ「つくり」も「をさめ」も同じ漢字に訓として当てられているわけです。しかもそれを「固成(かためなせ)」といっています。「固成」とは、より使いやすい完成度の高いものにしていくということです。

最近では日本でも、なんでも「使い捨て」のがあたりまえになってきています。しかしほんの百年前までの日本では、服装ひとつをとってみても、みんな和服でした。

洋服は体のサイズが変われば処分するしかなくなりますが、和服は糸をほぐせばもとの反物に戻ります。

しかもフリーサイズです。人の体は、一生の内に大きくなったり、太ったり、しぼんだりしますが、都度、修理しながらいつまでも着られるように工夫されているのが和服です。

しかも、古くなって擦り切れてボロボロになって、もう反物に戻しても、どうにもならない状態になれば、裁断して手ぬぐいや雑巾に用いました。

それもまたボロボロになれば、もっと細かく裁断して水に漬けて、布を紙にしました。そうしてできた丈夫な紙は、障子紙やフスマ紙になりました。

その障子やフスマ紙も老朽化したら、また水で溶いて、今度は薄い紙にして、習字などの練習紙に用いました。

その紙もまた真っ黒になったら、これをさらに水で溶いてトイレなどで使うチリ紙にしました。ですからこれは再生紙だったので、たいていは黒っぽい紙でした。

そして紙は汚物と一緒に肥溜めで発酵させ、畑の肥料に使いました。その肥料は、地味を肥やし絹糸を取るカイコの餌の桑になったり、麻になったりしました。

一枚の布が、反物に仕立てられてから最後にチリ紙になるまでおよそ三百年です。そして絹や麻の肥料となって、そこからまた復活・再生していたのです。

このようにあらゆるものがリサイクルできるように作られてきたのは、日本人が「修理固成」の民族であり、あらゆるものは神々からの預かりものと考え、それを加工して使わせていただいているのだから、最後の最後まで感謝の気持ちをもってどこまでも大切につかわせていただかなければならないいう考え方が、日本人の常識だったからです。

そしてその常識の根拠を、私たちは千三百年前に書かれた古事記に見ることができるわけです。

しかもこれは神話ですから、古事記が書かれたのよりも、もっとはるかに古い上古の時代からある常識であるということがわかります。つまり、何千年も(もしかすると何万年もの)昔から、私たちの祖先はそうやってあらゆるものに感謝の気持ちをもって暮らしてきたのです。

これはグーグル・アースなどでご欄いただければわかりますが、4〜5千年前に古代文明が栄えた世界の地域は、いまではどこもかしこもすっかり砂漠化しています。

その砂漠も、もともとは人が住める緑豊かな肥沃な大地です。
みどり豊かな肥沃な大地だから、そこで文明が発達できたのです。

いまでは、西洋の古代文明の姿を描いた映画などでは、あたかも砂漠に人が城塞を築いて住んでいたかのように描かれています。しかし周囲が砂漠で農作物ができなければ、そこに大勢の人が住んで暮らすことはできません。

なぜなら人は、食べなければ生きていけないからです。

ところが食べるためには、人は火を使います。鉄器や土器を作るためにも火を使う。そのために木を伐採します。
木は燃やすのは一瞬ですが、生育するまでには植林して大事に育てても最短70年、自然放置なら林ができるまでに千年以上かかります。

このタイムラグが、結果として古代文明発祥の地に砂漠化をもたらしています。

ところが日本は、一万六千五百年前の土器が発見され、三万年前の世界最古の磨製石器が発見されているなど、古い時代からずっと文明が続いています。

にもかかわらず、いまでも豊富な緑に包まれています。
なぜかといえば、森の木を伐採すれば、木にも山にも感謝して、植林をしてきたからです。

なぜそうしてきたのかといえば、「修理固成」で、使わせていただいているのだという感謝の心が常識として定着していたからです。

ところがいまの日本はどうでしょう。
森や林はどんどん狭くなり、宅地が広がり、農地さえも草ボウボウです。しかもその森は、人の手さえもはいらず放置され、下草も狩られず荒れ放題です。

一方宅地に住む住民たちには、もとからある国民感情がくすぐられて、ゴミの分別回収や、リサイクルへの協力が呼びかけられています。

どこのご家庭でもこれにしっかりと協力し、ゴミは細かく分別して、これは生ごみ、これは資源ごみ、これはペット、これは缶などと、細かく分けてゴミ出しをしています。

ところがなるほど生ごみは焼却施設で燃やされているけれど、たとえばある政令指定都市のでは、燃えないごみの処分は、有名な地域の暴力団が取り仕切っています。

そして市民からは見えにくい裏山に、そのゴミがトン袋に入れられて野ざらしで放置されています。何十年か経てば、ドン袋も劣化し、中のゴミの毒素が地面にしみ出します。それが山奥なら、そこから湧く水は毒水になります。ウチでは、そうした山から湧く水でできた小川の水で遊んだり、水を呑んだりしていた中型犬が、数ヶ月でガンになり、半年間病んで、死にました。

日本は、国土の大半が山野部であり、ほとんどの人々は極めて狭い平野部でひしめきあって暮らしています。
それが国土への感謝を忘れ、修理固成の気持ちを忘れ、ひとりひとりがわがままや独善に走り、モノでもヒトでもなんでも使い捨てにし、それがあたかも古い衣を脱ぎ捨てた文明の進化であるかのように勘違いする。

日本人も落ちたものです。

いまのままの状態が続けば、あと100年で日本列島では、地下水が劣化し汚染され、200年後には国中がゴミ屋敷のようになってしまうという試算もあるそうです。

日本人が日本人としての自覚と、日本人としてのアイデンティティを取り戻さないと、本当にたいへんなことになってしまいます。

神話は民族のアイデンティティの源です。

その意味するものを、私たちは、もういちど丁寧に掘り起こしてみる必要があるのではないかと思います。

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