「常在戦場」

画像の説明 小林虎三郎がなぜ米百俵を未来に向けての教育に用いようとしたのかといえば、藩が苦しい状況に追いやられたのは、もとをたどせば官軍と自藩の戦力の違いを見誤り、ただ感情に走ったことにあるという通説な問題意識によります。

このことを今風にもっと端的に言うなら、要するに教育が足りない。
もっといえば、頭悪すぎ、ということです。

だから、ちゃんと彼我の違いを冷静に見極めて将来を見通すことができる、しっかりとした人材を育成しなければ、また同じことの繰り返しになってしまう。だからこそ教育だ、ということです。

したがって、そこでいう教育は、単なる知識詰め込みや、どこぞの国のようにありもしないファンタジーを教えこんで、ただ現政府の正統性を国内に徹底するために憎悪を煽るために、子供達に16時間勉強を強要する(これは本当に16時間です。少年時代から青年期にかけて毎日16時間、嘘の洗脳教育が行われるのですから、できあがった子供達がどっか頭のおかしな者たちになるのは当然です)ような教育の名を借りた思考力を奪うデタラメ教育ではありません。

思考力、洞察力を養い、本当に正しいこととは何かを、しっかりと教育する。そこから民衆のリーダーとなる人材を育てる。
そういう教育をするためにこそ、米百俵を投じようとしたわけです。

これに関連して、ちょっと耳に痛いかもしれないことを書きます。

若いころ、名古屋に赴任しました。
ご存知の通り愛知県は以前、反自民の居城とか、民主党王国と言われたことのあるところでもあります。その名古屋で、あるお年寄りがある紛争を抱えました。相手は「出るところに出るぞ」と言っています。つまり「警察や裁判に訴えるぞ」というわけです。

このとき、その(ある中堅企業の会長さんでしたが)お爺ちゃんが言った言葉が印象的でした。
「薩長が作った裁判所の言うことなんか誰が聞くか!」
おもわず吹き出してしまいました。

いまから40年ほど前の出来事で、会長さんは明治生まれの、元士族でした。「あの、薩長って、もう明治維新から100年も経ってますけど」と申しましたら、「百年経とうが千年経とうが、間違っているものは間違ってるんだ」と大剣幕で叱られました。

その会長さんも、もう随分前にお亡くなりになりましたが、これを聞いた当時は、会長さんが何をおっしゃっているのかわかりませんでした。

いくらなんでも尾張が誇り高い徳川御三家であった時代は、もうとっくに終わっているし、時代は代わっているのです。まあ、今風に言えば、「意味わかんねえ」みたいな感じです。

けれど、だんだん歳を経て少しずつ会長さんがおっしゃったことの意味がわかるようになりました。小林虎三郎もそうですし、江戸時代の御法度や奉行などの制度がそうでしたが、古い昔からの伝統に従い、どこまでも「察して予防する」ことに重点が置かれて政治や行政が行われていたのです。

よく、講演などで、次のようなお話をします。
すると多くの方が驚かれるのですが、どのようなお話かというと、
「暴れん坊将軍でお馴染みの将軍吉宗の時代は、江戸時代の享保年間にあたります。享保年間は20年続きました。では、その20年間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された囚人の数は何人だったでしょうか。」
というものです。答えは「0人」です。
それは、お役人さん達が仕事をサボっていたからではなくて、仕事を一生懸命にやったからゼロだったのです。

ところがこのお話には、まだ続きがあります。
江戸の小伝馬町の牢屋というのは、なるほど囚人が収監されたのですが、それがどういう人たちだったのかといえば、
「犯罪を犯した人」ではなくて、
「犯罪をしそうな人」だったのです。

江戸社会は、これは江戸の町だけでなく、全国が同じですけれど、結果ではなく予防に最重点が行われて治世が行われました。

大石内蔵助が、討ち入り前に幕府から追いかけ回られたのもそういうことからですし、大塩平八郎が乱を起こそうとしたときに、事前にこれが発覚して包囲されたのも、そういうことからです。

しかもこのことが徹底しているのは、もし所轄内で重大な事件が起きたとき、犯罪の実行犯が逮捕され処罰されるのも当然ですが、同時にお奉行がお腹(はら)を召しました。

管内で事件や事故を出さないために奉行に任命されているのです。奉行としての多大な権限は、そのために与えられています。事件や事故が起きたということは、それを「未然に防げなかった、見破ることができなかった」ということですから、自らの不明を恥じ、責任をとって腹を斬るのは当然と考えられていたのです。

これが明治以降になるとまるで違っていて、事件や事故が起きてからの対処になりました。これはつまり結果主義です。
事件や事故が起きたとき、施政者側には事件が起きた責任を取る者など誰もいません。処罰されるのは、事件を起こした犯人だけです。

これが何を意味しているかというと、犯罪が起きるまで、お役所は何もしないということです。

目の前で強姦や殺人が行われようとしていていも、あるいはその危険が迫っていても、強姦されたり殺されたりしてからでなければ警察は動いてくれないし、事件が起きることが放置されてるわけですから、ますますその危険は高まるわけです。

しかも犯罪が起きても、役人は誰も責任を取らない。悪いのは全部犯罪者のせいにして、自分たちはほっかぶり。昔を知る人から見れば、「俺達は文字通り命がけでやってきたのに、コイツらはいったい何をやっているんだ」となるわけです。

もっとも、こうなったことには理由があって、維新以降、日本国内をごくわずかな薩長士族の身内だけで統御しようとしたわけです。

まだまだ戊辰戦争の余韻が冷めやらぬなかで、国中で起こる事件や事故について、いちいちその士族たちが責任をとっていたら、瞬く間に薩長の人材不足となり、新国家の建設はおぼつかない。だから責任をとらないし、とれない。

結果、国内の治安は悪化するし、気がつけば明治維新から終戦までの80年間で、なんと8回もの戦争が行われています。

これもまた背景にあるのは、事件や事故を察して未然に防止するという観点がまったくなくて、お役所仕事で誰も責任をとらないという体制が生んだ悲劇といえます。早い話、日清日露、支那事変、大東亜戦争にしても、戦争抑止のために誰がどのように努力をしたのか。

戦争に至りそうな気配は十分にありながら、誰も責任をとらない。火急存亡の風雲急を告げても、やっていたのはお役所仕事です。

実際、たとえば通州事件にしても、そもそもその前に、廊坊事件や広安門事件など、明らかな挑発行為どころか武力行使が行われて、日本側は被害を被っているわけです。にも関わらず、日本本国の指示は、お役所仕事でただ我慢しろだけです。

どのようにしたら戦略的に、こうした事件を防げるか、それはつまり、当時の支那の国民党や共産党をいかにして壊滅させるかということであり、向こうから見ればそれは侵略行為にあたるかもしれないけれど、やろうとすれば、計画的に敵を壊滅させるための動きも、あるいは早期撤収も可能だったはずです。

それどころか、こうした事件の前には、英国が日本に、再同盟を前提に、ともに力を合わせ、混乱する支那では蒋介石に通貨発行権を認めて財政を安定させ、支那に安定的政権を作らせようではないかという提案もされています。昭和10年のことです。

ところが驚くべきことに、日本はこれを蹴っています。理由は「英国なんて信用出来ない」です。

そもそも信用できる国なんて、あるのでしょうか。それ以上に、日本にとっては、大陸の秩序の回復は喫緊の課題であったはずです。

これを日本単独で行うのは土台無理な話であり、もしそれをするなら、日英で同盟して支那に傀儡政権をつくるくらいのことをするほうが正解であったろうと思います。加えて、当時、支那で日本が嫌われたのは、日本人を名乗る日本人でない日本人、つまり朝鮮人が支那中で悪さのし放題であったことも原因しています。

事件が起きてからしか動かない、誰も腹を切らない、責任を取らないという明治以降の日本のお役所では、この対処は無理です。もしこれが江戸社会であれば、日本軍人や日本の警察官には、斬り捨て御免の権限を与えて、悪さをしそうな朝鮮人がいたら、それだけで有無を言わさずに斬り捨て、自分もその場で腹を切る。

朝鮮人のコミュニティの中に、犯罪抑止のための機構を作る。
それでうまくいかないなら、朝鮮人の半島以外の居住を一切禁止するくらいのことは、堂々とやってのけています。

話が飛びましたが、もし、昭和10年の時点で日英同盟が復活していれば、日英米は同盟関係となり、大東亜戦争は起きていません。

天皇の皇民たちの生活の安定と安寧のためにこそ、政府が存在しているというのは、日本古来の政治の要諦です。
そのために情況を察し、事前にあらゆる手を尽くして惨事を未然に防ぐことが政治です。そのためにこそ政治には権力が与えられているのだし、その権力の行使に不手際があれば、当然に責任をとって腹を切る。それが日本の政治です。

実は明治以降、自由民権運動をはじめ、右翼運動など、さまざまな反政府運動がありますが、それらは共産主義や無政府主義のような、西洋かぶれのとんでもない連中によるものもなかにはあったけれども、それはごく少数の支持者しか集めていません。

むしろ、多くの民衆が民権運動や、右翼運動に加勢したのは、そういう日本古来の思想や行政のあり方を、実際に江戸政権時代に体験していて、その体制と、維新後の日本の体制とのギャップへの怒りや残念に思う気持ち、あるいは世直しの必要を経験的に感じていたことが、背景になっています。

とりわけ佐幕派の旧士族たちからしれみれば、すでに政権を失ったのだからいまさら敗軍の将、兵を語らずで何もいわないけれど、旧士族から廃刀令で武士の魂を奪い、その一方で自分たち官憲だけが日本刀をただ「軍刀」とか「警察刀」と名前だけ呼び変えて腰にぶら下げていながら、目の前で悪さをしそうな奴らがいても、何もしない。

ときどき気の利いた駐在さんなどが、事件を未然に防ぐために、まだ事件を起こしていない、起こしそうな者を脅したり叱りつけたりすると、それが逆に、「悪いことをしていないのに、官憲によってひどい目に遭わされた」などといって騒ぎになり、お役所は、その正義感の強い駐在さんの方を、問題を起こしたとして更迭したりしてしまう。

何をやってるんだ?、逆だろう、というのが、当時の人たちの思いでもあったわけです。

ここで、江戸時代が良かったとか、戦前が良かったとか、戦後が良いとか、そういう議論をするつもりはまったくありません。

日本の古い言葉に「修理固成(つくりかためなせ)」という言葉がありますが、これは簡単にいえば、
「なにもないところからいきなり何かが生まれるなんてことは絶対にない。すべては、いまあるものを修理しながら、いまよりもより良い状態やモノに固め、改善し、成長させていきなさい」という教えです。

今も昔も、良いところもあれば、悪いところもあります。
全部良いとか、全部悪いなどということは、世の中にはまずありません。

同時に、何の下地もないようなとんでも共産主義のような思想を日本にもちこんでも、世間には通用しません。

昔からあるもの、いまあるものを、組み合わせ、いまを修理して、より良い方向に改善していくことが、おそらく政治なのだろうと思います。

そしてそのためには、なにより必要なことが、昨日お話した小林虎三郎の「常在戦場」であり、「人材教育」なのであろうと思います。

新しい時代を拓くにあたり、そもそも日本人に馴染みのない共産主義のユートピア思想などを持ち込んでも土台無理な話です。一部の世間知らずの学者や無教養な人は騙せても、この世にユートピアなど存在しないことは、日本人なら誰でも知っています。

あるとしたらそれは極楽浄土で、そこは死んでから行くところだし、誰でも行けるところではありません。問題は、生きている今の世の中をどうするかです。

シンデレラのストーリーは素晴らしいですが、もし今の日本で安倍総理の息子さんが、ひとりの美女を見つけるために日本中で家探しを始めたら、世間は大顰蹙です。そもそもできるはずもありません。

要するに歴史伝統文化が異なるのです。
そして、日本の社会は、日本の歴史伝統文化に立脚した改善以外には、絶対にこの先、より良い政治になることはありません。

そうであるとするならば、いまあらためて、日本の歴史伝統文化に触れる。そこから自分自身の生き様なども振り返ってみる。いまの政治を考えてみる。

熱に浮かされて、官軍と長岡藩の実力を見誤るような愚は、絶対に繰り返してはならないのです。

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