「教育」

画像の説明 吉田松陰は代表的な教育者であったとよく言われます。

吉田松陰の塾はまず年齢は何歳でもよいのです。下は8歳から、上は30歳くらいまで誰でもよいのです。松下村塾に行くと、年齢もバラバラ、町人もいれば武士もいるし、百姓もいます。松下村塾ではすべての人が平等で扱われたのです。

吉田松陰は講義をあまりしないでお互いに生徒同士が勉強を教えあったと言われています。吉田松陰は講義をするということは、あまりなかったようです。「授ける」ということをやっていないのです。吉田松陰は個性をじっと見ていたのです。

「伊藤博文は周旋の才能がある。この方面に行ったら伸びるぞ」、「高杉晋作は軍事の天才である」、「久坂玄瑞は学者になった方がよい」と一人一人観察をして指針を与えたのです。

伊藤博文は首相になり成功しました。高杉晋作は騎兵隊をつくり、縦横無尽の働きをしたのです。久坂玄瑞は途中で禁門の変で戦死するのです。この教育はこうであっていいのです。何か資格を与えるものではないのです。塾で何年学んでもいいのです。3年経ったら卒業ではなく、何年いてもよいのです。

一緒に農作業をやり、ご飯を炊き、ご飯を食べて、全て一緒にやるのです。先生も農作業をやるのです。集まった生徒たちも農作業をやるのです。同じものを食べて、同じところに寝て、まったく自由闊達な教育を行ったのです。

この小さな松下村塾から多くの人材が出たのです。教育の要諦をよくみると、すべて松下村塾の中に入っているのです。まず、教育の第一番目にくるのは、擁護です。最初に擁護するのです。「この子は弱いところがあるな。擁護していこう」ということです。強い者は自然に伸びていくのですが、弱い子は擁護されないと途中で倒れてしまうのです。いきなり、物を教えるのではなくて、擁護してやっていくということが教育の要諦です。

「君は才能があるな」、「周旋の才能がある」、「或は軍事の才能がある」ということを徐々に認めさせていきながら、弱い部分を擁護していくのです。傘の中に入れるように生徒をかばいながら、進んでいくのです。これが第一番目です。するとみなついてきます。

擁護してついてくるならば、第二番目は初めて指導を行います。「君はこちらに行ったほうがいいよ」、「或はこの部分を君は改めたほうがよいよ」、「君は英語を勉強したほうがいいよ」と指導をするのです。これは「やれ」という強制ではないのです。「こちらの方へ行った方が君はのびると思いますよ」という指導です。その指針に従って学生たちはついていくのです。擁護の次には指導がくるのです。

ある程度、方角が定まって動き出したら、第三番目に教授をするのです。「君に英語の授業を今日から開始する」という講義です。教授することにより生徒の質が一段と高まるのです。今まで知らなかったことを講義するので、いろいろなことを覚えていくのです。

弟四番目、最後にやることは訓練です。新しい知識を与えられても使いこなしていないから、行き詰ってしまうのです。いろいろな原理を使いこなせないのです。使いこなせるように、何度でも、繰り返し、手に手を取って教えるのです。

これは、教育の要諦です。これは何でも言えます。会社でも新入社員が入ってきたら、まず擁護しなければいけません。何でもわかる新入社員など来るはずがないのです。いろいろ擁護して「緊張感をとってやりましょうね。仕事は気楽にやりまっしょう」、と擁護していくのです。

ある程度なじんできて、その会社になれてきたら、「君はこれをやったらいいと思うよ」と指導を与えていくのです。それから「みなが知らないことがあるから、これを講義しましょう」、とみなが講義を聞くのです。

それは聞いただけで終わりではなくて、今度は実践に生かすために、何度でも接客の仕方やお辞儀の方法を教えていくのです。その繰り返しです。

子供の教育もそうです。もしかしたら旦那の教育もそうかもしれません。擁護する女は優しい女と思われます。「優しい嫁さんをもらって、良かったな」などと思っていたら、実は優しいと言うのは手で、実は指導がまっているのです。「お小遣いは1銭も持たないようにしましょうね」と言う女がいたのです。佐藤というのですが、車で出かけて「これから喫茶店に入ろうぜ」と言うと「僕、車の中にいるよ」と言うのです。「食堂に入らない?」というと「僕、車の中にいるよ」と言うのです。

それは奥さんがすごい指導家で「あんたは女にもてるんだから、1銭もお金をもたないほうがよい」というご指導があるので、みなと付き合えないのです。みなも嫌な感じです。「あいつ、車の中にいるのだよ。俺たちが食べるのを見てうらやましいと思っているのだろうな」と思うと食べる気もしません。

それも一つの指導です。そのように仕上がってしまうと何でも命令を聞きます。擁護から指導に入るのです。

そして、訓練をするのです。繰り返し行うのです。例えば、1回でもお金をもってしまうと「持たない方がいいわよ」ということを忘れてしまいます。だから、何回でもやるのです。するとムダ金は一切使いません。

こうやると、どんな人間でも出来上がってくるのです。まず、擁護をしなさい。次に指導をして、教授するのです。それから訓練をするのです。するとどんな馬鹿でも、どんな人間でも真人間になるのです。

松下村塾が素晴らしかったのは、この教育の要諦がピシッとできていて、全員が自由に学びたいものを学び、人から強制されたものは一つもありません。だから学んだのです。『軍学』も『孫子の兵法』もそうです。学びたい人は学べばよいのです。学んでいけば軍学者になれるのです。

高杉晋作もそうです。『孫子の兵法』の「兵は詭道(きどう)なり」この一言を習っていればよいのです。戦争は正しい気ではなく、曲がった気=策略ということです。策略で勝つのです。真っ直ぐに「進め!」と言って勝てるようなものではないのです。「必ず策略をもって勝!」と習った人は、そう覚えるのです。

そのように擁護・指導・教授・訓練という四つの教育の要諦を覚えて、「今は何をするべきか?」と当てはめて考えていくならば、貴方も立派になるし、この教育を受けた人は必ず立派になっていきます。

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