「感謝の心」

画像の説明 食べることが大好きな私が、最近、気になっていることがあります。それは、食事の前に「いただきます」、食事の後に「ごちそうさま」を言えない人が多いように見受けられることです。

以前、給食費を払っているのだから「いただきます」を言う必要はないと学校にクレームをつけた親がいる、という話を聞いたことがあります。

唖然(あぜん)としたというか、開いた口が塞がらないほどの驚きを覚えたものです。この国はどうなってしまったのか――。

「いただきます」は、料理の対価として使う言葉ではありません。命を提供してくれた動物や植物、それらを食材として育ててくれた人、運搬してくれた人、世の中に流通させてくれた人、その食材を使って料理してくれた人――。目の前に置かれた一皿の料理に関わったすべての人たちへの感謝を込めた言葉です。

「ごちそうさま」は「御馳走様」。「馳走」とは走りまわるという意味で、食事を用意するために走りまわってくれた人へ、これもまた感謝を伝える言葉なのです。

私はお客さまと食事をご一緒する機会が多いのですが、仕事ができる人、人望があって周囲から好かれている人は、総じて「いただきます」「ごちそうさま」を素直に言える人ですね。

フレンチやイタリアンのレストランに行ったときでも、小声で「いただきます」とささやいてから食べる姿、食事を終えたら軽く頭を下げて「ごちそうさま」と小さくつぶやく姿を見ると、こちらまでうれしい気分になってきます。

いつでしたか、「出張の新幹線で駅弁を食べるときも、つい『いただきます』って言っちゃうんだよ。もう習慣なんだよな」と笑って話されたお客さまもいらっしゃいました。なんと素敵で微笑(ほほえ)ましく、なんと気持ちのいい光景でしょうか。

対して、出された料理を何も言わずにおもむろに食べ始める人は、その食べ方や所作がいかにスマートだったとしても、すべて帳消し。いや、マイナスにさえなってしまうでしょう。少なくとも私のなかでの印象はそうなります。

食事の前と後に、関わったすべての人に向けての感謝を述べる言葉を持っている。

そんな習慣のある国は、世界を見渡しても日本しかないのではないでしょうか。神様にお祈りをする人もいますが、それも神への感謝であって、食材や携わっている人々への感謝とは少し意味合いが異なります。

外国で上映される日本映画には英語などの字幕が付きますが、「いただきます、ごちそうさま」の訳は難しいそうです。強いて訳せば「いただきます=Let’s eat.」「ごちそうさま=I’m finished.」といった感じでしょうか。しかし、それはあくまで、さあ食べよう、食べ終えたと、いう状況の説明でしかありません。

「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は、人として生かされていることを、すべてのものに感謝する、日本人の心に古くから受け継がれてきた世界に誇るべき美しい表現のひとつです。お金を払ったから言わなくてもいい。そんなちっぽけな感覚の言葉ではないのですね。

子どもや若い人たちの礼儀の欠如、マナーの乱れなども指摘されていますが、美しい日本の文化をダメにしている張本人は、実は“いい大人たち”なのかもしれません。

さて、みなさんは「いただきます」「ごちそうさま」をきちんと言えていますか?

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