「知ってました?」

画像の説明 通貨の番人IMF(国際通貨基金)総会が、1ヵ月後の10月8~9日にペルーの首都リマで開催されます。今回の話題はなんといっても、中国人民元のIMFの通貨SDRへの採用の検討でした。決定は延期になりましたが、今年は“通貨”の注目が格段に高まっています。

今年は戦後70年ということですが、戦後の国際金融体制ブレトンウッズ体制の中核となるIMFは1946年に設立されました。

今回は、国際通貨体制が大きく変わる予感がする中、大事だけれども、なかなか大学などでは教えてくれない“通貨”の基本的な知識を講義しましょう。

通貨の主役は銀だった

紙幣のない中世では、世界各国の通貨(硬貨)の構成は、産出や加工の問題もあり、ほぼ、金・銀・銅であることが多かったのです。金の発掘量は少なく、現在まで通算でオリンピックプール3杯分しかありません。そのため、一般生活では銀がメインの通貨でした。

銀という鉱物は、金ほどの貴重性はありませんでしたが、ある程度の量が採れ、耐用性もあり、有益な金属でした。金の黄金色ほどではありませんが、銀色は人を惹きつけました。“金”よりも使い勝手が “良”いから、漢字の“銀”になったともいわれています。殺菌性も高いため、食器(銀食器)にも使われました。最近でも、汗の臭いを消す消臭スプレーにも使われています。

金は、少しずつではあっても広い地域で採取されましたが、銀の産地は限られていました。主たる産地は3地域。メキシコから南米、ドイツから東欧、そして日本です。

ちなみに、南米のアルゼンチン(Argentina:Argentine)はラテン語で「銀」を意味します。銀の元素記号はAgです。

銀はドイツから東欧で産出されましたが、メインの鉱山はボヘミア(現在のチェコ)のヨアヒムス・ターレル(ヤコブの谷)でした。その鉱山から採掘された銀で作られたということで銀貨には鉱山名を当てましたが、その名称がヨアヒムス・ターレルと長かったため、言いやすいようにターレル(銀貨)といわれることになりました。

これが広がり銀貨、すなわち硬貨(通貨)の代表的な名称になりました。その後、読み方がターレル→ターラー→ダラー(ドル)となったのです。ちなみに“ドル”は日本固有のいい方です。

ドルの通貨記号$のSは

つまり、米国の通貨ドル(ダラー)の語源は、古代のドイツ語系のボヘミアの単語で “谷”という意味なのです(ちなみに現在のドイツ語の谷は「Tal:タール」である)。そういった経緯もあり、ドルの通貨記号$のSはシルバー(銀)のSなのです。

また、日本の銀の産地とはズバリ“石見(いわみ)銀山”です。この銀山の産出量は当時大量で、世界中に輸出され、世界の銀の3分の1を占めました。

中国の明や清の時代の銀貨は石見銀山産であったといわれています。石見はそれほど通貨の歴史において重要な銀山なのです。日本でも早い時期に世界遺産に登録されましたが、通貨を勉強している人は“当然”と思ったはずです。いまでも、世界の博物館にある江戸時代の古地図には、Iwamiの名前が必ずといっていいほど出てきます。

そんな経緯もあり、通貨の主役である銀は“おカネ”そのものを表すようになりました。“銀行”の語源はここです。“行”とは中国語で企業のことです。現在でも、内田洋行などの名前で残っています。つまり、銀行とは、おカネを扱う会社という意味なのです。

日本、中国、韓国は同じ通貨名称を使っていた

通貨記号については、本来は2本の横棒が基本です。縦でもいいのですが、本来はドル($)の通貨記号の縦の棒は2本でなければなりません。

この2本の棒は“天秤”(はかり)を表します。通貨の大事な役割のモノサシの役割です。この点で言えば、¥(日本円)、£(英ポンド)、₩(韓国ウォン)、€(ユーロ)(*)も本来は2本の横棒でした。$も本来はSの中ほどに斜めに2本線が入ったデザインでした。パソコンに入っているワードなどでは棒が一本になっているものもありますが、厳格には2本であり、試験だとバツです。これは、残念ながら文字のデザインを考えた方が、大事な2本線の意味を知らなかったのでしょう。

出張や旅行で中国に行って、日本人のほとんどの方は店に入ると驚きます。価格表示に良く見た“¥”が表示されているからです。これは中国の通貨である人民元のことです。実際に、通貨記号として、共にISOに登録されています。なぜ、日本円と人民元が同じ通貨記号なのでしょうか。それは、実はもともとは同じ通貨名だったからです。

発音も同じです。中国人民元はRMB(Rénmínbì:人民元)ともいわれますが、ISOの登録では“CNY(Chinese Yuan)”です。つまり“エン”なのです。

韓国ウォン、ユーロの記号は機種依存文字のため、環境によっては見えない場合がありますがご了承ください。

元々は“圓”という同じ通貨(名)を使っていた

その漢字は、日本では旧字体になってしまいましたが“圓”という通貨でした。その後、日本では新字体の“円”になりました。中国でも簡単な簡体字になりました。“圓”から“口”(国部:くにがまえ)を取って“員”、これを簡単にして“元”なのです。さらにいうと、同じく圓という通貨名(漢字)を今でも使っていて、発音だけ韓国語風に“ウォン”となっています。今でも新聞でこの漢字を見ることができます。つまり、日本・中国・韓国は、元々は“圓”という同じ通貨(名)を使っていたのです。

個人的な研究でいいますと、その圓の前の通貨は、ご存じでしょうが“両”でした。江戸時代の日本、清国の中国も同じく“両”でした。歴史の教科書にも「日清戦争の賠償金は〇〇両だった」との記述もありました。両というのは通貨単位でよくあるのですが、重さの単位でした。

“圓”という漢字の“口”は、この四角は“紙”を表し、そして“員”は“人”、つまり人の信用の上になり立つ紙、すなわち、もともとは“紙幣”という意味だったのではないかと考えています。

すなわち、東アジアにおいて通貨単位が“両”から“圓”になった瞬間が、“硬貨”から“紙幣”への移行の瞬間で、通貨経済学において大変意味のある瞬間だったのです。

鉱物通貨は生産量で発行量が限られます。しかし、紙幣はいくらでも刷ることができます。ここが、インフレやバブルの出発点だったのです。

通貨は調べれば調べるほど、とても楽しい分野です。

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