「国際裁判」

画像の説明 南米の内陸国ボリビアが「海への出口」を求め、国際司法裁判所(ICJ)でチリと争っている。

ボリビアは19世紀末の戦争でチリに敗れ、400キロメートルに及ぶ海岸線とギリシャの面積に匹敵する沿岸部の領土を失った。隣国ながら犬猿の仲の両国には正式な国交もない。問題のきっかけとなった戦いの名はくしくも太平洋戦争。地球の裏側の「歴史戦」を、英BBCや現地報道をもとに報告する

400キロの海岸線と12万平方キロの「国土」失う

「沿岸部の統合という最重要目的に向かって前進し、ボリビア国民はこれまでになく団結している」

3月23日の「海の日」。モラレス大統領は、標高約3600メートルにある主要都市ラパスで演説した。提訴から約2年。ICJは今年中にも判断を示す見込みだ。白い制服に身を包んだ海軍将兵が、直立不動の姿勢で演説に聞き入った。

ボリビアは毎年、「海洋があった国家」の記憶を呼び覚ますイベントを盛大に行う。太平洋戦争で著名な将軍が戦死した日にちなみ、船の模型などとともに、海の絵を持つ子供たちのパレードもある。海がない国が維持し続ける海軍は、海の日に不可欠の存在だ。

1825年にペルーから分離独立したボリビアは太平洋に面した国だったが、太平洋戦争(1879~1883)でチリに敗れたことで陸に閉じ込められた。1904年の講話条約で12万平方キロの沿岸部の割譲が確定し、400キロにわたる海岸線を失った。

「領土問題」取り上げ暗礁に

ボリビアとチリは1978年に断交し、大使館もない。2006年に就任したモラレス氏は「いつまでも隣国と敵対関係のまま生きてゆけない」として当初、国交正常化に積極的だった。エネルギー資源に乏しいチリにとってもボリビアの天然ガスは魅力的で、当時のバチェレ政権との間で「海への出口」問題を含む交渉が開始された。

その後、33人の作業員が奇跡的に救出された2010年の鉱山落盤事故で、出稼ぎのボリビア人が含まれていたことも融和ムードを高めた。モラレス氏が現地を訪れてチリ政府に感謝を示すなど、両国関係はこれまでになく好転した。

ところが、チリ国内では、そもそも存在しないとしていた領土問題を交渉のテーブルにあげた前政権への批判が強かった。また反米左派のモラレス氏と、親米右派のピニェラ大統領(当時)とは政治的には水と油で、結局、交渉は暗礁に乗り上げてしまった。

「110年前の条約無効」と訴え

ボリビアは2013年4月、オランダ・ハーグのICJに、国境紛争の存在確認と、チリが交渉に応じることを求めて提訴。当時の外相は、強要下で締結された1904年の条約は無効であると主張し、「完全な主権を持つ太平洋への出口をボリビアに与える裁定を下すこと」を求めた。

もっとも、条約で割譲した領土全体の回復は現実的には不可能だ。このためボリビアは、海につながる回廊のような道路や、太平洋に面した飛び地の確保などを、着地点として目指しているとされる。まさに「海への出口」だ。

これに対してチリは「ボリビアは正式な条約で確定した国境を脅かそうとしている」とし、提訴は2国間の問題のみならず条約システムそのものに対する挑戦だと非難。ICJは確定した国境についての審査権を持たないと主張している。

国民の悲願か それとも反米政権の人気取りか

裁判と並行してモラレス氏は、国内外で関心を高めることにも熱心だ。今年7月、ローマ法王がボリビアを訪問した際には、「海への出口」問題を解説した書籍を贈呈し、露骨に政治利用した。8月のアルゼンチン訪問ではフェルナンデス大統領に、同国が主張する英領フォークランド諸島に対する領有回復との「共闘」を呼びかけた。

インディオ出身で同国初の大統領となったモラレス氏は、反米をトレードマークに闘う姿勢で庶民の人気を得てきた。ところが近年、反米の盟友、ベネズエラのチャベス大統領の死去や米キューバ国交回復など、政治的には思わしくない状況が続く。

こうしたなかで「海への出口」問題は、敵を作って国内の求心力を高める格好のテーマだ。最近も「未来の海」と題した歌をつくるなど国民的な運動に高めようと躍起。ロイター通信は「結果はどうあれ、低下する人気の支えにしたいと思っているのだろう」と指摘した。

コメント


認証コード3120

コメントは管理者の承認後に表示されます。