ご都合主義

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国際司法裁判所の意義は大いに認めますが、あまり期待はできないと半分諦めています。
建前は、「国連加盟国は当事国になれる」とありますが、「なれる」でなく「ならねばならない」にまで参加の意思を示さなければ何もならないのです。
参加するということは「応訴国(おうそこく)」になること。応訴国とは他国から訴えられたらそれに応じることを宣言している国のことです。中国、韓国、米国、ロシア、フランスなどは参加していません。
国連安保理事国では応訴国はなんと英国だけです。応訴国になっていない国がほとんど多数の現実なのです。
「国際」の良識にも期待は禁物
最近「国際」ということばの危うさ、胡散臭さを感じています。国連は英語でUN(国家連合)ですが誰が和訳したのか「国際連合」となっています。
「国際世論」、「国際社会」というといかにも良識と善を連想させますが、果たして実際はいかがでしょう。立場によって、国際とは主に中韓を指したり、または欧米を意味したり、それぞれ都合良く念頭に置いたりしていないでしょうか。
「原発汚染水の完全ブロック」発言を容認したのもIOCという「国際」組織です。今後、汚染水問題で国際世論から非難されるのではと心配する向きもありますが、当の「国際」はそれだけの良心を持ちあわせているのでしょうか。
近頃、「国際」という言葉が中立・公正、良識とは決して思えなくなって来ました。同じように残念ながら国際司法裁判所もそう期待はできないなと半ば諦めています。
国際とは力関係で都合よく使いまわす言葉なのか?・・・

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