「新時代」

画像の説明 一部の者の利得のために、他の人々を犠牲にし、収奪し、殺戮し、強姦することで民族の抵抗力を削ぐ。
こんなひどいことを、人類が常態化しだしたのは、いったいいつ頃からのことなのでしょうか。

転載
いまサウジアラビアのあたりをグーグルアースでみると、国土の全部がまっ黄色な砂漠です。
人類史によると、諸説ありますが、いまから50万年くらい前にアフリカの中央部で現世人類が誕生し、その人々が何かのきっかけで、10万年ほど前にサウジのあたりに移動し、それが5万年ほど前に、何かのきっかけで世界に散ったのだそうです。

その人類がサウジのあたりにやってきたとき、そこは緑の大地でした。森には豊富な果物があり、たくさんの小動物たちがいました。そこはまさに地上の楽園でした。

ところが人類は、そこで火を使うことを覚えました。

食べ物を焼いて食べる。そうすることで、肉も植物も柔らかく、おいしく食べられれます。

火を焚くためには、たくさんの木が必要です。男たちは、住まいを作るために木を伐り、女たちはその木を燃やして食事を作りました。けれど木は、伐って燃やせば、すぐには生えてきません。
次第に豊かだった森は禿山(はげやま)になり、気がつけば食べ物になる小動物たちもいなくなってしまいました。
食べ物がなくなってしまった人類は、そこで北と東に移動を開始し、世界に広がったとされています。

実はこのことが聖書に書かれたエデン追放だという説があります。
サウジのあたりが大昔、エデンと呼ばれた地であり、女達が使う「火=赤=リンゴ」で、食べ物のために食べ物を失って、エデンを追放されたという神話になったのだというのです。
数万年前のことであり、それが本当のことかどうかはわかりません。

ただ、人類が移動したとされる地域は、冒頭の絵と下の絵を見比べたとき、たしかに砂漠化が進んでいるようです。なんだか事実のように見えます。なにせツンドラ地帯であるシベリアにさえ、緑はあるのです。にもかかわらず温帯が砂漠化しているのです。気象の影響だけでもなさそうに思えます。

人類の拡散

森を失うということは、そのまま「食べ物を失う」ということです。人は食べなければ死んでしまいますから、人口に対し、食べ物が不足すれば、人々は、他人を殺してでも、食べ物を奪うようになります。

殺され、奪われるということは、それがわかっていれば、襲ってくる者と戦って家族を守らなければなりません。そして襲うにしても、守るにしても、そのためには集団を指揮する人が必要になります。

そしてその集団がだんだん大型化すれば、リーダーは食べ物を独占し、その食べ物を使って人々を(自分の代わりに)戦わせるようになります。

こうして武力と食べ物と財宝が、集団のリーダー個人のもとに蓄積されます。ちなみに富といえば、いまでこそお金のことをいいますが、大昔は富は備蓄食糧のことを言いました。
ですから遊牧民なら、それは家畜の数だったし、熱帯の人たちならバナナの木だったりします。

人は富を持つと、誰かにその富を奪われるのではないかと不安になります。ちなみに、安倍政権で株価もあがり、景気もだんだんと上向いてきたのに、左巻きの方が「ちっとも景気はよくなってなどいない」とおっしゃるのです。

その方は、もと公務員で年金も普通のサラリーマンよりもはるかにたくさんもらい、しかもずっと独身で親元から通勤していたので、住居費もかからない。見た目は貧相(ごめんなさい)ですが、実はびっくりするほどの大金持ちです。株もたくさんお持ちで、その株価が値上がりし、今月は1千万くらい儲けたと別なときにはお話になっていました。

にもかかわらず、「景気はよくなっていない」というのです。
ですので、「でもずいぶんと儲けたじゃないですか」と言ったら、「だって、いつ値下がりするかわからないじゃないですか。そういう先行きに不安を与えるような政治だから安倍政権はだめなのです」とおっしゃっていました。もう欲ボケとしか言い様がない。

脱線しましたが、人間の欲というのは限りがないもので、お金持ちになればなるほど、不安になる。財産を全部取られてしまうのではないかと怖くなる。だから古代のリーダーは、兵を使って周辺の村を襲い、版図を広げました。

襲われないためには、周辺の村や諸国がみんな親戚になってしまえば良いわけです。ですから、兵たちには強姦を奨励しました。それは兵達の報酬の一部になり、血が混じり、王国が誕生しました。

王国同士の争いは、多くの場合、生き残りを出しました。生き残った人は、力を蓄え、復讐しました。こうして人類は、戦いに明け暮れ続け、それはつい近代まで続いたし、いまでもその状態が継続されている国があります。

古代の人たちがユーラシア大陸を移動したと言われているルートは、大陸では全部砂漠化しています。砂漠化するということは、食べ物がなくなるということでもあります。人類は、イナゴの群れよろしく、地域を食い荒らし、砂漠化させながら大陸を移動し続けたのかもしれません。

そんな人類が、日本列島にやってきたのが、いつ頃のことだったのか。石器は、12万年前のものが日本で発見されていますから、その頃には、日本列島には人が住み着きはじめたのでしょう。

けれど日本は島国です。森を燃やし尽くしたら、その先はもう太平洋しかない。

だから日本にやってきた人たちは、木を伐採して燃やしたけれど、同時に植林をして森を育てることを行いました。
そして島国であるがゆえに、海から豊富な魚介類がとれ、山には木の実や小動物をとることができました。
自然と共生することによって、人は長くその地で暮らして行けることを、古代の日本人は学んだのです。

平成23(2100)年10月13日、福井県若狭町の鳥浜貝塚から昭和59(1984)年に出土していた漆のの木の枝が、約1万2600年前の縄文時代草創期のものであることが、東北大の鈴木三男教授(植物学)ら研究グループの調査で分かったというニュースが流れました。

漆は栽培しなければ育たない木です。
ということは、その時代において、漆が植林され、栽培されていたわけです。ならば、当然に栗など、たいせつな食料になる木も栽培されたでしょうし、家屋や道具を作るための杉や檜も栽培されていたことでしょう。

1万2600年前で、日本はすでにそれだけの文化性を持った国を構築していたわけです。これはすごいことだと思います。

そして約8千年前には、稲作が日本で始められています。
そのことは、プラントオパールの調査などではっきりとしています。つまり稲作は、日本ではじめられているわけです。

もともと稲は熱帯性植物です。熱帯ですから、雨季と乾季があります。それを人工的に演出したのが、灌漑農業です。
ですから田植えのときには田に水を張り、収穫期には水を抜きます。

稲そのものは、海を超えて南方から伝えられてきたという説もありますが、実はこれも「そうではない」のかもしれません。
というのは、地球気温は数万年単位で上がったり下がったりしています。下がった時が氷河期です。

日本列島に人がやってきたという10万年前は、この暖気にあたる時期で、その時期の日本列島は亜熱帯ですから、稲が自生していても、実は全然おかしくないのです。
ところが、だんだん地球気温が下がり、2万年くらい前になると、とっても寒くなる。

寒ければ稲は育ちませんから、それを育てるために開発されたのが、もしかすると灌漑農法だったのかもしれません。いかにも工夫好きな日本人がやりそうなことです。

ただでさえ緑が豊富で、海に山に食べ物が豊富な日本列島です。そこで農業まで始めたら、食べ物を得るために、人々が争いなどする必要はありません。

むしろ力を合わせて、もっとたくさんの食べ物を得ることができるようにしていく。そうした文化が日本列島では自然に熟成されたということができます。

1万2千年前とか8千年前というのは、日本の縄文時代にあたりますが、縄文時代の遺構からは、対人用の武器は発見されていません。つまり、人が人を殺して奪って食を得るという文化ではなく、人と人が助け合う文化が日本では発達していったのです。

「こうすれば食べられる」
そんな文化は、周辺に伝播します。支那大陸でも、約7千年ほど前から、灌漑農法による稲作がはじまっています。高床式住宅の長江文明です。揚子江のほとりで、モンゴロイドたちが稲作をし、人を殺さない、奪わない文化を育成しはじめたのです。

ところが、約6千年ほど前に、西からやってきたコーカソイドたちが、黄河の流域に住み着き始めました。彼らは大型動物を追って食べる狩猟民です。当然、大型の武器を持っています。

武器を持たないモンゴロイドの長江人と、武器を手にしたコーカソイドの黄河人です。黄河人たちは、武器を手に、武器を持たない長江人たちを襲撃して人々を殺し、食べ物や女を奪いました。

奪われた長江人たちは、報復のために黄河人を襲いました。
この戦いは、約2千年続いたといわれています。

そしてその2千年の間に、軍事的政治的に黄河人たちは、長江人たちの文明文化を完全に滅ぼしてしまいました。ところが渡来してきた黄河人に対し、もとから住んでいた長江人たちは圧倒的に人口が多かったのです。

ですから強姦を繰り返してできた子供たちの外観は、次第にモンゴロイド風になっていきました。

それでも、西暦200年頃の三国志の時代には、まだまだコーカソイド系の遺伝的特徴を豊富に持つ人達が大陸にはたくさんいたようです。

たとえば関羽は、大柄で筋肉質で、堀の深い顔立ちで長い髭を蓄えていますが、これは外見上の特徴は、バイキングそのものです。

また張飛は、アンコ型の体型で、もじゃもじゃ髭ですが、この外見上の特徴は、ドワーフそのものです。要するに、いまから2千年ほど前ですと、まだまだコーカソイド系の外見的特徴を持った人が大陸にはたくさんいたのです。

大陸では、長江人と黄河人が混血しながら、力による正義が長く続きました。そして力を得た者が王族となり、春秋戦国時代が形成されました。

その戦国時代を終わらせたのが、秦の始皇帝で、このときの秦は、ウイグル族の王国です。

結果、支那では、その後も長く異民族による支配が続きました。民族が違えば、人間とさえみなされなかった時代のことです。支配と隷属、収奪と殺戮が、その後もずっと続きました。

欧米でも、それに似たようなことが起こり続けました。
シベリア地帯からフン族(遊牧民)がやってきて、欧州に住んでいたコーカソイドたちを制圧しました。
これに対し海を拠点にしたバイキングたちが陸にあがり、あたり一帯を征服していきました。

王になったバイキングの王たちは、傭兵を雇い、隣国と戦いました。この傭兵たちは、囚人、脱獄囚、不良などによる暴徒の集団でした。暴徒たちは、雇先の王を求めて欧州諸国を徘徊しました。暴徒の群れは、まさにイナゴの大群でした。

人類の歴史を見ると、まさに暴力と支配と隷属の歴史そのものです。では人類がそんなふうになったのは、一体いつ頃のことなのか。それはわかりません。

ただ、少なくとも日本では、約2万年前にはじまる縄文時代を通じて、殺すという暴力は完全に否定され続けています。

そもそも全国数万箇所ある縄文時代の遺跡から、対人用の大型武器は、現在にいたるまでひとつも発見されていません。
それどころか女性の遺骨は、どの遺骨も体中に装身具をつけています。

特別なシャーマンがそのようにしていたということではなく、女性たちはみんな着飾っていました。女性たちが伸び伸びと美しく着飾ることができる社会というのは、平和な社会であったということができます。戦乱の世では、女性たちはむしろ性別を隠さなければ生きていけないからです。

そういう意味では、日本は、人類史上稀有な歴史を歩んできたということができます。そして、日本人がそのように生きることができたのも、縄文時代から続く伝統と、弥生時代に生まれた神武天皇以来の天皇のシラス統治のおかげであろうかと思います。

シラスというのは「知らす」、つまり情報共有化社会です。
一部の人が、自分の都合の良い情報だけを垂れ流して人々を支配するのではなく、人々がただしい知識と情報を持ち、価値観を共有する社会です。

そして人類はいま、ネットという情報共有のツールを持ち始めました。

アニメという価値観共有化にとって都合の良い、わかりやすいツールも世界に広がりました。

いま、もしかすると人類は、数千年続いた支配と暴力の時代から、まったく新たな世紀へと、シフトアップしようとしているときなのかもしれません。

そのインターネットの世界では、もっとも多く使われている言語が日本語なのだそうです。

ブログやTwitter、Facebookなど、それだけ日本人の情報発信量が多いということなのだろうと思います。そして、ちょっと前までは、情報は、政府やメディアから一方的に流されるものでした。

いまは、それが双方向ツールになりつつあります。

さらに、翻訳ソフトの性能の向上は、ほんの数年後には、話す言語も各言語もまったく違っていても、書かれているものを自国語に翻訳して、すきなだけ読むことができる時代の到来を示しています。

おそらく何十年か後には、互いにリアルタイムでチャット(どころかリアルの会話)までも、同時通訳アプリのようなもので、可能になる時代がやってくると思います。

このことは、言語や民族や教育の違いで、世界中の民衆が知らなかった事実が、世界の共通認識に変わっていくことを予感させます。

つまり、ウシハク領主が、自分の都合だけのために「慰安婦ガー」とか「南京ガー」とかの捏造した情報をいくら流しても、たちどころにそれが世界中の言語にコンピューター上で翻訳され、世界中の人から「それは違う」「情報のここがおかしい」などと猛然とツッコミが入る。

そんな時代が、もうすぐそこにやってきているわけです。
つまりこれがシラス世界、知らす世界、情報共有化世界の到来です。

もっともウシハク者たちは、大金を使って人を雇い、ウソの情報を垂れ流し、自分たちの正当化を図ろうとすることでしょう。

大金が動くのです。カネにつられて嘘吐きの仲間入りしてしまう人もでることでしょう。

本当の歴史や伝統や文化を伝えようとする人は、そうしたウシハク者からカネをもらった連中から、全人格的なありとあらゆる中傷がなされることでしょう。
けれど、それでも、真実は広がってしまうのです。

どんなに厚化粧したって、洗顔したら素顔になるのです。
どんなに整形したって、心までは変えられません。
そして真実の心が伝えられるようになると、それはどんなに押さえても、中傷しても、世間に広がります。
そして世間を変えます。

言語の壁さえも超えて、そういう意味での情報の共有化社会が、もう、すぐ目の前に迫っています。
100年後の未来を考えてみてください。
情報環境の何が一番変わっているか。
間違いなく言えることは、世界中のどの言語で書いてある文章でも、すべて正確に翻訳され、読み、理解できる時代が、間違いなく到来しています。

そして言語の壁を超えて、真実が世界に広がります。
このことは、数千年規模の新しいシラス世紀の幕が、いま上がろうとしていることを、明確に示していると、私は思います。

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