「富」

画像の説明 心に残る教え・・・・

転載
「富(とみ、英:Wealth)」という言葉は、財産や資源を豊富に持った人や持った国などに使われる言葉です。
ですから「富」をたくさん得た人や国は、「豊か」とされます。

家計の富の世界分布(The World Distribution of Household Wealth)なんてのを調べた人もいて、それによると、世界の全家庭の富の総計は2000年に125兆ドル、その富の90%が北アメリカ、ヨーロッパと日本によって生産され、世界の成人の1%が世界の富の40%を持っているのだそうです。

そんなわけで「富」も「豊かさ」も、しばしば経済の指標として扱われるし、現代の日本社会が目的としているのも、国全体、社会全体、そして企業や個人が、その富をいかに極大化していくかにあるとされています。

もっと簡単にいうと、「富」や「豊かさ」というのは、要するに「お金があること」、もしくは「つかえるお金が豊富にあること」を意味し、そのために経済が営まれると、戦後の私たちは、なかば「信じられ」ています。

ですからいまの日本では、お金持ちになることが幸せであって、豊かであって、富んでいることだと、一般に考えられているようです。

では、先日お伝えした「入唐求法巡礼行記」に出てきた唐の皇帝は、富める人であったといえるでしょうか。

支那の皇帝ですから、この世の富をすべて持っています。
なにせ望楼がほしいと思ったら、すぐに命じてそれを築造できてしまうくらいなのです。しかも武力を持っています。権力も持っています。

けれど、その皇帝自身、そしてまた皇帝の周囲にいる(いつ殺されるかわからない)人たち、当時の唐の国の領民たちは、それで本当に豊かで富んでいたといえたのでしょうか。

実は、ここ、国家として考えるときにおいても、個人においても、とっても大切なことなのではないかと思うのです。
つまり、どんなに経済的に豊かでも、どんなに権力があったとしても、安全で安心で平和でないなら、それは決して「豊かで富んだ」社会でも、人でもない、ということです。

逆にいえば、平和や治安の良さは、国の「富」を図る上で、とっても大切なファクターだし、個人においても、家族や友人たちと、穏やかで温かな交流を保ち、互いを愛(いと)しく愛(おも)う関係を持つということは、とても大切な「豊かさ」や「富」のファクターということができます。

そもそも「経済」という単語がそうです。
経済は、もともとは「経世済民」から来た言葉です。
意味は、江戸時代の学者の太宰春台によれば、「天下國家を治むるを經濟、世を經(おさ)め民を濟(すく)ふ義なり」です。

つまり江戸時代の「経世済民の学」は、いまどきの経済学のようなお金の話だけではなくて、政治学、政策学、社会学、外交学、軍事兵学、農学など、きわめて広範な領域をカバーする学問だったわけです。

なぜかといえば、それは単にいまでいうお金の流れだけを扱う「経済学」と違って、そこに「人々の幸せ」という重要なファクターを混ぜていたからです。

このことは、いまどきの日本を考えたらよくわかります。
日本は、いまやとっても豊かな国です。主婦でも専用車を持ち、生活保護者でもエアコンのある生活をしています。
都会に行けば、世界中の美味しい料理を食べることができる。
平成不況とはいえ、まさにいまの日本は、「世界の成人の1%が世界の富の40%を持っている」状況にあります。

ところがその一方で、川崎の中1生徒殺害事件や、福岡一家惨殺事件など、ひと昔前なら考えられないような酷い事件が頻発しています。

先日、この中1生徒の事件のことを、このブログに書いたら、「戦前の方が少年犯の事件は多かった」とコメントしてきた人がいました。

バカバカしいので承認しませんでしたが、数の上から言ったら、たしかに今も戦前も変わりません。
ただし、戦前の事犯が、未成年者が非道や外道になりきる前に対処されていたために、摘発件数が多かったこと、これに対して、現代日本では、少年犯が想像を絶する非道外道になってからでしか国家として対処されていないという視点が、抜け落ちています。

とりわけ、我々日本人とは、人の命に対する価値観がぜんぜん異なる日本人のような顔をした外国人による凶悪な犯罪が、現実にこれだけ頻発しているにも関わらず、政治においてまったく対処されていない、それどころか、むしろそうした犯罪を犯す者たちのほうを、むしろ法と政治で保護している。そこが問題だと申し上げているのです。

数週間にわたって監禁し、暴行を与え続けた挙句、殺害に至っても、殺人事件としては1件です。たまたま事故で殺してしまったとしても、事件としては1件です。

事件の凶悪性や反復性、常習性などをまったく加味せずに、ただ数字だけを比べても、それは比較になりません。

話を戻しますが、国の内外における平和と治安の良さ、徳性の良さは、国家として考えたとき、まさに「なににも代えがたい富である」ということができます。

いま、私たちは日本を取り戻すことを合言葉にしていますが、その取り戻すべき日本は、精神、国体ともに、健全で安心、安全で、なおかつ豊かな日本であろうと思います。
わたしたちは、そういう日本を取り戻し、さらにもっと豊かな日本を築いていく。

いま、この瞬間の贅沢や、特定個人や特定企業、特定政治団体だけにとって都合のよい社会ではなく、ひろく日本全体が、そして世界の民衆が、ほんとうの意味で富める民(たみ)となれるようにしていく。

そのために努力をし続けていくのが、日本という国、そして日本人に与えられた大きな役割なのではないかと思います。

感動しました。

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