2018年11月1日よりタイトルをWCA(世界の時事)に変更しました。
グーグルを辞めて
孫正義と旅に出る真相を明かそう。
――ニケシュ・アローラ(ソフトバンク副会長)独占インタビュー
昨年10月、ソフトバンクがさらなる世界展開をするため経営参画したニケシュ・アローラ。米グーグルの最高幹部の職を辞してまで、孫正義と目指したい夢とは何か。
2014年7月4日、イタリア南部にあるリゾートホテルでは豪勢な結婚披露宴が開かれていた。
主役はニケシュ・アローラと、インド有数の財閥出身の女性実業家アヤシャ・タパールの2人。会場にはグーグル創業者のセルゲイ・ブリンやラリー・ペイジ、またハリウッド俳優のブラッド・ピットといった面々が並んでいた。
そんな結婚という人生の節目を迎えていたアローラは、仕事でも大きな決断をしようとしていた。
Nikesh Arora/インド出身。金融機関にて通信業界のアナリストとして活躍後、Tモバイルの要職を歴任。2004年にグーグルに入社、ビジネス部門の最高責任者を務める。昨年10月よりソフトバンク副会長として海外M&A戦略を担当。
6月のある週末に、米カリフォルニア州のロサンゼルスで休暇を楽しんでいたら、マサ(孫正義)から「今どこにいるんだ?」という連絡があったんです。
「ここに泊まっているよ」と滞在先のホテルの場所を返信したら、「分かった! そこにはおいしい日本料理屋が入っているよね!」と言って、何と突然訪ねてきたのです。そこで、私の妻になる人にも会ってもらいました。
その数週間後に私たちは結婚をしたのです。マサにも結婚式に出席してもらいました。そして私たちは、以前からあることを長い時間かけて議論していたのです。
アローラが初めて孫に出会ったのは08年のこと。孫があるアイデアをグーグルに持ち込んだのがきっかけだったという。
「ヤフージャパンの検索エンジンを、グーグルのものに切り替えたいという話でした」(ソフトバンク関係者)
2人の距離が近づいたのはスプリント買収がきっかけ
検索エンジンは、世界中のインターネットユーザーのデータが集まる場所で、多額の利益を生み出す中枢技術だ。しかし親会社の米ヤフーは重い開発負担に耐え切れず、米マイクロソフトの「Bing」を採用すると決めていた。しかしヤフージャパンは国内ユーザーの利用状況を鑑みて、独自にグーグルと手を組もうと考えたのだ。
私はそのパートナーシップについて「それは本当に実現できるんですか?」と聞き返しました。するとマサは「レッツトライ!」と言うだけ。私もその気になってしまい、一緒にビジネスで成果を出そうと決めました。そのとき、インターネット業界におけるビジョンも語っていました。「われわれは強いライバルにもなれるし、強いパートナーにもなれる」と。
2人が取り組んだアイデアは見事に実現するが、グーグルのビジネス部門のトップからすれば、ソフトバンクはアジアの一角にある協業先の一つ。その距離が近づいたのは、ソフトバンクが米通信大手スプリントを買収(13年7月完了)してシリコンバレーにオフィスを開き、米国への本格進出に足場を築いたころだった。
マサとはスプリントの買収後、カリフォルニアで何度か話をする機会があり、夕食会ではソフトバンクのビジョンや戦略に話題が移っていきました。短いディナーの予定が、長いディナーになり、ワインも1杯だけのはずが、ボトルを何本も空けてしまう結果になりました。
後日、マサから「この間の話は面白かった。もう1回話そう」と連絡がありました。日本への出張の際にマサの自宅に招待され、ゴルフも一緒にプレーしました。そこで初めて「ソフトバンクに来ないか?」と打診されたのです。
私は「グーグルを愛しているので、あり得ません」と返答しましたが、マサはただ「レッツトライ!」と言うだけなんです。
こんなやりとりを経て、2014年7月18日、アローラはグーグルを退社して、ソフトバンク副会長として経営に参画することになった。そして今、アローラは孫と月の半分以上を一緒に過ごし、文字通り「二人三脚」で新たな“夢”を目指している。