米国・キューバ国交正常化交渉の衝撃

画像の説明 中間選挙敗北で“Free Hand”を得たオバマ大統領

オバマ米大統領がキューバとの国交正常化交渉に入ることを発表したことは、世界を驚かせた。ただ、そもそもキューバ革命を成功させたカストロ氏を反米に追いやったのは、米国の外交姿勢にあった。キューバに対するこれまでのContainment(封じ込め)政策を失敗と断じ、Engagement(抱き込み)に転じようとするオバマ大統領は、米国にとりノドに刺さった骨であったキューバ問題を、ついに終息させた功績を残すことになりそうだ。

実際には多くの観光客がキューバを訪問

オバマ米大統領は12月17日ホワイトハウスで演説、キューバとの国交正常化交渉に入ることを発表した。1961年の国交断絶以来53年、米国はキューバの孤立化を図ったが、今日キューバと国交がない主要国は米国の他、韓国、イスラエルだけで、日本はもちろんカナダや近隣のカリブ海諸国もキューバと国交を保っている。オバマ氏は「孤立化政策は機能しなかった」とし、従来の対キューバ政策を「失敗してきた時代遅れの手法」と断じた。

オバマ氏は11月4日の米中間選挙で野党の共和党が上下両院で多数を占めたため“Lame Duck”(機能喪失)化と言われたが、大統領として2期目の後半2年はもはや選挙を気にする必要がないため、歴代の米政権が大票田フロリダ州に多い亡命キューバ系アメリカ人の反発を恐れて実行できなかったキューバとの国交回復に踏み切った。オバマ氏はむしろ“Free Hand”を得た形だ。

共和党の中には「キューバの米国大使館の開設予算は通さない」と息巻く反キューバ議員もいるが、1977年以来米国は首都ハバナに「利益代表部」を置き、大きなビルを持っているから、看板を「大使館」に替えるだけで済みそうだ。米国は建前上はキューバとの輸出入を禁止してきたが、実際にはキューバは米国農産物の輸出先となっている。米国は自国民観光客のキューバへの渡航も禁止しているが、カナダ等を経由して観光に訪れるアメリカ人は多く、キューバへの外国人観光客は2012年に284万人で、同国にとりニッケル輸出に次ぐ主要な外貨獲得源となっている。

キューバの国内総生産(GDP)は国連の統計によれば2000年の305億ドルから2012年には710億ドルに伸び、人口1116万人の1人当りGDPは6300ドル余で、中米諸国の中では中程度だ。キューバは2011年から市場経済の導入を進め、自動車の売買も自由化しているため、米国が輸出入や金融取引の規制を緩和すれば、いまは超旧式の車が多いだけに、米国の自動車産業にとっては輸出市場になりそうだ。

キューバに軍政を敷いたアメリカ

キューバはC・コロンブスが1492年の第1回の航海で到達し、スペインの植民地となったが、1868年から独立戦争が起こり、スペインはキューバに自治権を認めて収拾した。だが1895年に第2次独立戦争が始まり、独立派は島の半分以上を支配したが、1898年2月米国人居留民保護のためハバナ港に停泊していた米戦艦「メイン」が突如爆発、沈没した。冷房設備のない時代には熱帯地域で停泊中の軍艦の爆薬庫や石炭庫の温度が上昇し、火薬や石炭からガスが出て爆発した事例はあったのだが、アメリカの新聞は「スペインの仕業」と世論を煽り、米国政府は4月「キューバ人をスペインの圧政から解放する」と称して宣戦布告し「米西戦争」となった。

CIAはカストロ暗殺を147回も計画

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ソ連はこれに乗じ、キューバ西部に核弾頭付き中距離弾道ミサイル「R12」(NATO名SS4、射程2000km)を配備してワシントンを射程に入れようとした。1962年10月14日アメリカのU2偵察機はキューバでミサイル発射基地建設が進み、ミサイルが搬入されている状況を撮影、22日にケネディ大統領はソ連にミサイル撤去を要求し、さらなるミサイル等の搬入阻止のため海上・空中封鎖を命じ「キューバ・ミサイル危機」が始まった。

23日から米軍艦183隻がキューバの東500海里(約900km)に半円状の封鎖線を布き、ソ連がそれに抵抗して戦争になることを覚悟して、米軍は26日に世界各地で「DEFCON2」(第2防衛態勢)に入った。DEFCONは平和な状態が「5」、戦争になれば「1」で「DEFCON2」は戦争寸前の状態で、これが発動されたのはこれまでこの1回だけだ。米本土のICBM(大陸間弾道ミサイル)「アトラス」「タイタン」やトルコ、イギリスにあったIRBM(中距離弾道ミサイル)「ジュピター」「ソア」が発射準備をし、B52爆撃機は水素爆弾を搭載してソ連領空外の空中で待機、弾道ミサイル「ポラリス」を搭載した原子力潜水艦もソ連沿岸に接近して発射命令を待った。

ソ連もこれに対抗して本国のICBM「R7」や、すでにキューバに搬入していたIRBM「R12」の発射準備を行っていた。27日にはキューバ上空で偵察飛行中のU2偵察機がソ連の対空ミサイルで撃墜され、事態は一層緊迫した。またこの日、弾道ミサイルなどを積んでキューバに向うソ連の貨物船団護衛のため、船団の前方で偵察に当っていたソ連のF型潜水艦B59号(ディーゼル・電池推進)を米駆逐艦が探知し、威嚇して浮上させようと「発音弾」(小型の爆雷)を5発ずつ2回投下した。ソ連潜水艦は激しい衝撃を受けたため、艦長V・サヴィツキー中佐は戦争が始まり、爆雷攻撃を受けたと思い核魚雷の発射準備を命じた。乗っていた潜水艦隊参謀W・アルキポフ中佐が必死で反対して魚雷は発射されず、世界は危機一髪のところで核戦争を免れたことがソ連崩壊後明らかとなった。

もし核魚雷が発射されれば、米ソの全面核戦争になっていただろう。その場合、米国で7100万人、ソ連と中国で7600万人が死亡する、と当時米国は予想していた。ヨーロッパでも数百万人の死者が出たはず、との試算もある。日本と沖縄(返還前)の米空軍、海軍基地などもソ連沿海州からのIRBMによる核攻撃を受け、百万人程度の死者が出たはずだ。当時、在日米軍も当然「DEFCON2」に入っていたが、日本政府にその通知はなかったようだ。英空軍もこの日核爆弾を積んだ爆撃機「バルカン」が命令後5分で発進できるよう、搭乗員が乗って滑走路で待機していた。

もし全面核戦争になれば舞い上がるチリや火災の煙が長期間成層圏に漂い、太陽光線をさえぎるため世界的に気温が低下し、数年間農耕ができず人類の大半が死滅するほどの大飢饉となる「核の冬」の可能性もあった。

核戦争回避――キューバ危機の裏で行われた交渉とは

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ソ連はこれに乗じ、キューバ西部に核弾頭付き中距離弾道ミサイル「R12」(NATO名SS4、射程2000km)を配備してワシントンを射程に入れようとした。1962年10月14日アメリカのU2偵察機はキューバでミサイル発射基地建設が進み、ミサイルが搬入されている状況を撮影、22日にケネディ大統領はソ連にミサイル撤去を要求し、さらなるミサイル等の搬入阻止のため海上・空中封鎖を命じ「キューバ・ミサイル危機」が始まった。

23日から米軍艦183隻がキューバの東500海里(約900km)に半円状の封鎖線を布き、ソ連がそれに抵抗して戦争になることを覚悟して、米軍は26日に世界各地で「DEFCON2」(第2防衛態勢)に入った。DEFCONは平和な状態が「5」、戦争になれば「1」で「DEFCON2」は戦争寸前の状態で、これが発動されたのはこれまでこの1回だけだ。米本土のICBM(大陸間弾道ミサイル)「アトラス」「タイタン」やトルコ、イギリスにあったIRBM(中距離弾道ミサイル)「ジュピター」「ソア」が発射準備をし、B52爆撃機は水素爆弾を搭載してソ連領空外の空中で待機、弾道ミサイル「ポラリス」を搭載した原子力潜水艦もソ連沿岸に接近して発射命令を待った。

ソ連もこれに対抗して本国のICBM「R7」や、すでにキューバに搬入していたIRBM「R12」の発射準備を行っていた。27日にはキューバ上空で偵察飛行中のU2偵察機がソ連の対空ミサイルで撃墜され、事態は一層緊迫した。またこの日、弾道ミサイルなどを積んでキューバに向うソ連の貨物船団護衛のため、船団の前方で偵察に当っていたソ連のF型潜水艦B59号(ディーゼル・電池推進)を米駆逐艦が探知し、威嚇して浮上させようと「発音弾」(小型の爆雷)を5発ずつ2回投下した。ソ連潜水艦は激しい衝撃を受けたため、艦長V・サヴィツキー中佐は戦争が始まり、爆雷攻撃を受けたと思い核魚雷の発射準備を命じた。乗っていた潜水艦隊参謀W・アルキポフ中佐が必死で反対して魚雷は発射されず、世界は危機一髪のところで核戦争を免れたことがソ連崩壊後明らかとなった。

もし核魚雷が発射されれば、米ソの全面核戦争になっていただろう。その場合、米国で7100万人、ソ連と中国で7600万人が死亡する、と当時米国は予想していた。ヨーロッパでも数百万人の死者が出たはず、との試算もある。日本と沖縄(返還前)の米空軍、海軍基地などもソ連沿海州からのIRBMによる核攻撃を受け、百万人程度の死者が出たはずだ。当時、在日米軍も当然「DEFCON2」に入っていたが、日本政府にその通知はなかったようだ。英空軍もこの日核爆弾を積んだ爆撃機「バルカン」が命令後5分で発進できるよう、搭乗員が乗って滑走路で待機していた。

もし全面核戦争になれば舞い上がるチリや火災の煙が長期間成層圏に漂い、太陽光線をさえぎるため世界的に気温が低下し、数年間農耕ができず人類の大半が死滅するほどの大飢饉となる「核の冬」の可能性もあった。

核戦争回避――キューバ危機の裏で行われた交渉とは

キューバ危機の裏で行われた交渉

一方で米ソ間の裏交渉が行われた結果、ケネディ大統領は電信でフルシチョフ首相に対し米国はキューバへの侵攻は2度と行わないことを約束し、28日にソ連はそれと引き替えにミサイル基地建設を中止し、ミサイルの撤去を国連監視下で行うことに同意、ソ連の貨物船25隻は封鎖線の手前で反転して核戦争は回避された。

アメリカではケネディ氏が断固たる姿勢を示し、フルシチョフ氏が屈服したように言われるが、アメリカは1960年にトルコに配備しモスクワを狙っていた中距離弾道ミサイル「ジュピター」60基を65年に撤去、1959年からイギリスに配備していた「ソア」も65年に撤去したから、これが裏交渉での交換条件の1つであった可能性はある。それならフルシチョフ氏はすでに完成していたアメリカのミサイル基地と、今後作ろうとするキューバの基地を交換した形で、その上キューバへ米軍が侵攻しない約束も取り付けたのだから有利な取引をしたことになる。

ところが後日、実は米国政府は「キューバ・ミサイル危機」以前の1962年8月に「ジュピター」など中距離ミサイル撤去の方針を固めていたことが明らかとなった。弾道ミサイル「ポラリス」16基を搭載する原子力潜水艦が1960年11月から配備に就き、62年6月には9隻に増えていたから、先制攻撃で破壊されやすい中距離弾道ミサイルの海外配備の必要性が薄れたためだった。不要になった物と引き替えに、キューバへのミサイル配備を阻止したなら米国の交渉の成功で、虚々実々の駆け引きだ。ただし、当時すでにソ連は75基、アメリカは294基の大陸間弾道ミサイルを配備していたのだから、実際には中距離ミサイルが自国の付近にあろうがなかろうが危険はさほど変わらない。近くにあるのは怖いと感じる「国民感情」だけの騒ぎだった。

そもそもこの危機は米国、特にCIAが亡命キューバ人を組織して「ピッグス湾」上陸作戦を行わせ惨敗したことから起こったものだ。その雪辱のために第2次侵攻作戦を計画したからカストロはソ連に助けを求め、ソ連はそれを奇貨としてキューバに弾道ミサイルを配備し、ケネディ大統領は自国民7000万人余の命のみならず、人類の滅亡を賭ける博打に出ざるをえないことになった。本来アメリカはバチスタ政権の極度に腐敗した独裁に愛想を尽かし、カストロの革命に好意的で、すぐに新政権を承認したし、カストロも米国との友好関係を望んでいた。だから彼が農地解放やカジノの閉鎖などの改革を行おうとしても、米政府は果物会社やマフィアの権益を守るより、改革の必要性に理解を示し、なるべく穏和に進めるように指導してキューバを抱き込むことは可能だったのでは、と思われる。その方が他のラテンアメリカ諸国との関係上も得策だったろう。他国の指導者の「容共的」と見られる点を探して排除しようとするアメリカの偏狭なイデオロギー的行動は、ベトナムではフランスからの独立を目指し、米国の支持を得ようとしたホーチミンを敵に回し、ベトナム戦争での敗北を招いたのだ。

ただ、アメリカ人にも現実的な判断をする能力はあって、ユーゴスラビアのチトーの社会主義政権を支援し、ソ連から援助を受けていたエジプトのサダトを抱き込み、ベトナム戦争末期からは、当時ソ連と対立していた中国を味方にする「調略」に成功した。オバマ大統領は現実主義者だから、キューバに対するこれまでのContainment(封じ込め)政策を失敗と断じ、Engagement(抱き込み)に転じようとする。2008年に病気のため引退したフィデル・カストロ氏(88歳)の後継者となった弟のラウル・カストロ氏(83歳)は経済の自由化を進めつつあるから米国と利害は一致する。米世論も60%以上がキューバとの国交回復に賛成だから、多分オバマ氏は反カストロ・ロビーの激しい抵抗を押し切り、米国にとりノドに刺さった骨であったキューバ問題をついに終息させた功績を残すことになりそうだ。

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