習政権「反日の下心」は中国国民に見透かされている

画像の説明 早々につまずいた中国2015反日戦略

今月13日、中国の「南京大虐殺記念館」で催された初の国家主催追悼式典に習近平国家主席が出席し、演説を行った。その中で彼は、根拠の乏しい「30万人虐殺」の数字を持ち出して日本軍の「大罪」を糾弾しながら「日中友好」をも口にした。

しかしそれは本心からの言葉であるとは思えない。全国で生中継された国家規模の式典において「大虐殺」が強調されることによって、国内の反日ムードはむしろ高まってくる恐れがあるからだ。

あるいはそれこそが習政権が狙うところかもしれない。来年の不動産バブル崩壊が確実となり、経済の低迷がさらに深まる中、国民の不満をそらすためには反日という「伝家の宝刀」を抜く以外にない。それがために南京式典を皮切りに「終戦70周年」に当たる来年1年を通し習政権は節目節目の反日キャンペーンを展開していく予定である。

だが、政権のこのやり方に対し、国内からは早くも疑問の声が上がっている。

南京式典開催2日後の15日、人民日報系の環球時報は式典に対するネット上の議論を社説で取り上げ、「中国のネット上で南京の式典に対する奇怪な意見が現れた。『今になってこのような式典を催したことの意味は一体どこにあるのか』とする疑問もあれば、『中国では内戦から“文革”までに殺された人の人数は南京よりはるかに多いのでないか』とする意見もある。このような声はまったくの耳障りだ」と厳しく批判した。

環球時報の批判はどうでも良いが、重要なのは、一部の国民が政府肝いりの南京式典を冷ややかな目で見ていることだ。しかも、天下の環球時報がわざと社説まで出して批判しているのならば、批判的意見は決して「一握り」の少数派意見ではないことも推測できよう。

それでは一体どのような批判意見があったのか。たとえば中国国内で「知乎」というサイトがあり、誰でも質問を書き込んで回答を求めることができる。13日、ある匿名の人がそこに次のような質問を書き込んだ。

「毛沢東やトウ小平の時代は南京大虐殺にほとんど言及されなかった。江沢民・胡錦濤の時代でも国家主催の式典をやったことはない。今の政府がナショナリズム的感情を刻意にあおり立てるのは一体なぜなのか。歴史問題は国内の矛盾を外に転嫁させるための道具になってよいのか」

このような「超意地悪」の鋭い意見が提起されると、それは当然全国で大きな波紋を呼び、批判と賛成の意見が続々と上がってきた。

賛成意見にはたとえば次のようなものがあった。

「民族主義をあおることで政権の失敗と無能から人民の目をそらすのはいつも政治屋にとっての万能の薬だ」

「国内情勢が悪くなっているから、民族主義の旗印を高く掲げるのだ。国家規模の式典の開催はやはり、国内の矛盾を外に転嫁させるための世論的準備ではないか」

「いかなる集団や党派や政権でも、人民を虐殺すればすなわち犯罪だ。目くそが鼻くそを笑うのはおかしい!」

このような意見を並べてみると、「反日」を利用して国内問題を外部に転嫁させようとする習政権の「下心」が一部の国民によって簡単に見破られていることがよく分かる。今の中国国民はもはや、この程度の手品にだまされるほどのバカではない。むしろ、20年前に江沢民政権の開発した手法をそのまま踏襲する習政権の方が愚かなのである。

いずれにしても、見破られた手品に期待されたほどの政治的効果はもはやない。賢くなった中国人民を前にして、「反日」をもって2015年を乗り越えようとする習政権の戦略は出足からつまずいたようだ。彼に残された次の手は一体何であるのか。

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