日本人の勤勉性と対象性

画像の説明 日本人の勤勉性や対象性とは具体的にどのような事だったのか?
良い参考記事があったので紹介します。

■江戸日本文明のエコロジー 

17世紀末の約3年間(1690-1692)に滞日したドイツ人ケンペルは、次のように記しています。

「この民は、習俗、道徳、技芸、立居振舞いの点で世界のどの国民にも立ちまさり、国内交易は繁盛し、肥沃な田畠に恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気象を持ち、生活必需品はありあまるほどに豊富であり、国内には不断の平和が続き、かくて世界でも稀に見るほどの幸福な国民である」(「日本誌」)

また、幕末に来日したアメリカの総領事タウンゼント・ハリスも、安政4年(1858)に、次のように書いています。
「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった。」と。

ハリスの驚きの目は、江戸の町にも向けられました。そこは、19世紀の欧米のどの都市よりも人口の多い巨大都市でした。しかも、想像できないほど美しく衛生的な町でした。江戸日本文明には、欧米人が驚くほど、幸福な社会が実現されていたのです。

もともとほとんど人の住んでいなかった武蔵野の外れに、幕府が置かれ、人工的に作られた都市が、江戸です。急激に大勢の人が入り込んで来たので、ゴミや不用品の処理に困りました。1600年代の前半には、深刻な問題となりました。しかし、この解決に取り組んで、高度のリサイクル社会を実現したのです。

人が多く住むと、排泄物の処理が問題となります。18世紀以後、江戸の人口は百万人から120万人もありました。糞尿の量は、年間にざっと60万から70万キロリットル。蒸発する分を差し引いても、50万キロリットルはあります。これは1日当たり1400キロリットルですから、10トン積みのトラック140台分になります。江戸の日本人は、これを捨てずに肥料にしたのです。

江戸庶民の多くは長屋住まいで、トイレは共同でした。その糞尿の所有権は、大家にありました。大家は糞尿を農家に売りました。その収入は、家賃より多かったといいます。一般の町家や武家では糞尿を汲み取らせる代わりに、農家から野菜や漬物などをもらいました。大人一人の糞尿代は、1年に大根50本、ナス50個くらいが相場でした。

こうして糞尿を大切な資源として利用したので、江戸の町では、下水に流す生活廃水が少なかったのです。隅田川は、河口の佃島(つくだじま)付近でも、白魚が豊富に取れるほど水がきれいでした。

パリの空の下を流れるセーヌ川は、こうはいきませんでした。19世紀の文豪ビクトル・ユーゴーは、「レ・ミゼラブル(ああ無情)」の中で、パリの下水道を批判しています。当時のフランスの国家予算は20億フランでしたが、肥料の値段にして5億フラン分にもなる糞尿を、川に流していました。その結果、土はやせ、川が病気を運ぶため、「下水道は誤った考えである」とユーゴーは主張しています。西欧の市民に比べ、江戸の町民は、ずっと文化的な生活を送っていたのです。

物を大切にし、何でも最後まで使い切ることが、江戸時代の生活原則でした。いわば「もったいない」の徹底です。その例として、蝋燭(ろうそく)が挙げられます。「蝋燭の流れ買い」という業者がいて町を巡回し、各家で燭台の上に垂れたしずくが固まったものを、秤で計って買っていきました。買い集めた蝋は、安い蝋燭の原料として再利用されました。物を燃やして出る灰さえも、業者が回収して堆肥などに使用されました。

さらに、江戸時代には、様々なリサイクル業者がいました。その業者は3種類に分けられます。
(1)職商人(しょくあきんど): 修理が本業で、新品の販売や古物の下取りもした。提灯の張り替え、錠前直し、コタツのやぐら直し、めがね屋のレンズ取替など。
(2)修理・再生専門業者: 古い鍋・釜の鋳掛け、瀬戸物の焼き接ぎ、下駄の歯入れ、研ぎ屋など。
(3)回収専門業者: 紙くず買い、紙くず拾い、古着屋、傘の古骨買いなど。

これらの業者は、ボランティアではなく、リサイクル・システムの一端を担う職業人として、活躍していました。使えるものは、すべてリサイクルした上で、最終的に処理のしようのないゴミだけが、船で江戸湾の埋立地に運ばれました。江戸の下町の多くは、そうして造成された土地に暮らしていたのです。

このように江戸日本は、徹底的なリサイクル社会でした。

さて、21世紀の人類を脅かす最大の危機――それは、核戦争と地球環境の破壊でしょう。核兵器も地球環境危機も、科学技術をもって異民族や自然を支配しようとした西洋近代文明が生み出したものです。世界規模で核戦争が起これば、人類はほとんど滅亡するでしょう。また、これ以上、資源・エネルギーの濫用を続けると、地球環境は回復不能なほど破壊されてしまうでしょう。

人類は、このかけがえのない地球において、限られた資源を有効に使って共生する道を学ばなければなりません。この時、「近代世界システム」から離脱して、平和で自然と調和した社会を実現した江戸日本文明は、これからの地球文明のモデルを提示しているといえます。私たち日本人は、先祖の優れた知恵を、世界の人々に伝える使命を持っているのです。

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