日本文化の情報発信

画像の説明 今年8月、政府が、広報体制強化など対外発信予算として約500億円の増額予算の申請を行ったというニュースが流れました。

そのなかには、ロンドンやサンパウロなど世界の主要都市に広報拠点として「ジャパン・ハウス」を設けるなどの案が盛り込まれています。とても良いことと思います。
日本国のことを諸外国に知っていただく取り組みが、いよいよ本腰をあげて行われるのです。素晴らしいです。
もっとも、まだ企画の段階です。実現するためには、まず予算案を通していただかなくてはなりません。

そういう大切な国会で、議論しているのは、団扇を配ったかどうか。
まるでそれしか議論していないかのようなメディアの報道ぶりです。どうかしているのではないかと思います。

しかもその団扇を配った云々と大臣を追求している当の本人が、みずから選挙の際には盛大に団扇を配っていた女性議員というのですから、あきれはてます。

さて、外務省による対外情報発信の強化案ですが、そのなかの第一の重点項目に「戦略的対外発信」が掲げられています。
この内容がすごいです。

「日本の正しい姿の発信(領土保全,歴史認識を含む),日本の多様な魅力の更なる発信(海外の広報文化外交拠点の創設を含む),親日派・知日派の育成,在外公館長・在外公館による発信の更なる強化」と書いてあります。

ただ、問題もあります。
何かと言うと、そもそも日本文化とは何かについて、その根源となる日本の文化性を、きちんと説明したものが不足しているという点です。実はそれがないと、取り組みは「目玉のはいっていないダルマさん」みたいなものになってしまうのです。

素晴らしい日本文化といいながら、鎧や日本刀、日本画、漆などの伝統工芸品などを展示することは、それはそれで良いことと思います。
けれど、そうした日本文化が、いったいどこから生まれ、いかなる考え方に基づいて形成されてきたのか、そのいちばん肝心な点をスルーしてしまうと、ただの時代遅れの技術工芸品展や、ただのフジヤマ、ゲイシャの写真集の展示会になってしまうのです。

たとえば、英国の展示会が日本で開催されたとします。
そこに飾られるのは、栄えある英国王室の伝統を示す数々の展示品でしょう。
そして産業革命時代に最先端とされた工業製品や、英国製生地なども展示されるかもしれません。そしてさらに、(ここが大事ですが)おそらくは「英国とは何か」、「英国王室の伝統と文化」といった日本語版の書籍が、その展示会で販売されることになろうかと思います。
そして来場者は展示物を見た感動を、それらの書籍で補強することになろうかと思うのです。

ところが、日本文化の情報発信となると、困ったことがあります。
本といえば、明治時代に書かれた新渡戸稲造博士の「武士道」、杉本鉞子の「武家の娘」くらいしかないのです。
仕方がないから、論としてはすでにカビの生えたような「菊と刀」が売られているくらいで、やむをえず、フジヤマ、ゲイシャの写真集が置かれてきたのが現状なのです。
逆に日本を貶める内容の本なら、馬に食べさせるほどたくさんあるのですが。。。。

たとえば先般行われたフランスのジャパン・アニメ・フェアがあります。
そのフェアに、韓国が強引に割り込んで来て、慰安婦に関するセックス・スレイブのアニメの展示を行いました。腹を立てた日本人も多いことと思います。

けれども、ただでさえ予算も資金も不足したなかでのフェアです。
主催からみれば、多額の寄付をしてくれ、参加してくれるとあれば、それはそれで歓迎であったことでしょう。
このことは、要するにアニメ・フェアという文化発信の場でありながら、文化よりも経済を優先した日本側の姿勢にそもそもの問題があるとは、当時、よく指摘されたことです。

ただ、それだけではないのです。
そもそも日本アニメが、なぜいま世界でこれほどまでに受け入れられているのか。
そして受け入れられているアニメが、鉄腕アトムや鉄人28号、あるいはエイトマンや星飛雄馬、のらくろではなくて、ワンピースやセーラームーン、NARUTO、北斗の拳、ドラゴンボールなどなのか。
そのことをもっと、堂々と情報発信すべきだったのです。ところが、そのことを肝心の日本人自身が、実はいちばんわかっていない。

現代日本アニメは、共通した特徴があります。
すべてのヒットしているアニメに共通しているのが、対等な仲間たちの主人公のグループ(シラス仲間たち)が、上下と支配のウシハク悪者グループと対決し、勝利する物語になっています。

このことは、鉄腕アトムや鉄人28号の時代にはなかった傾向です。アトムや28号の時代には、日本社会には、まだまだ対等観は残っていました。あいつは勉強はできるけれど、駈けっこだったら俺が一番だい!あるいは、先生は尊敬する師匠だけれど、人としては対等な仲間。

あるいは、会社には上司と部下の関係があるけれど、上下を脱いで平服になったら、お互いに対等な仲間。釣りバカ日誌の浜ちゃんは、会社ではドジばかりしている下っ端だけれど、釣りの世界では、浜ちゃんは会社のオーナーの師匠です。
そういう、「根底に人は対等である」という認識が、日本社会の根底にかつてはしっかりと根を降ろしていたのです。

ところが、バルブ崩壊頃から様子が変わってきました。日本社会では、学校では内申書をひけらかす教師の前で、生徒は奴隷のような存在となりました。会社でも、上司は支配者、部下は奴隷という扱いになりました。

父母の時代には、社会的対等観がちゃんとあったのに、子供たちの時代になったら、その対等観が崩れて、なんと上下と支配のウシハク世の中に日本社会が変わって行ってしまったのです。

アニメは、人々の期待や願望の表現です。
その期待や願望が、情報の送り手と受けての間に一致を見たとき、そのアニメは大ヒットとなります。ウルトラマンは、単独で戦いました。けれど、プリキュアやポケモンは、対等な仲間たちで戦います。

そこに、実は失われようとしている日本文化が、アニメというカタチで表現され、世界に広がって行ったのです。
そして日本アニメ人気ではっきりとしたのは、世界中の多くの民衆が、真に待ち望んでいる世界というのは、まさに人が人として対等に生きることができる社会だったのです。

つまり、情報の送り手と、受け手の期待と願望が、一致したために、日本アニメはヒットしたのです。
逆にいえば、情報の発信者自身が、どのような期待と願望を持っているかが、その国のアニメに明確に浮き彫りにされます。

たとえばセックス・スレイブをことさらに描くというのは、まさにその情報の発信者も、受け手のその国の国民も、まさにセックス・スレイブが期待と願望だということに他ならないのです。

そういうことを、堂々と、日本文化の凄みとしてアニメフェアで主張する。その主張と実践があれば、その瞬間に韓国は世界の笑い者です。

喧嘩をするとかではありません。
日本文化のどこが凄いのか、その凄みの原点をしっかりと踏まえて、そのことを堂々と主張することこそが、世界の人々を、日本ファンにしていく諦であると思うのです。

コメント


認証コード8850

コメントは管理者の承認後に表示されます。