中国における左派と右派の区分

画像の説明 中国のネットなどでしばしば過激な反日を訴える書き込みを行う、愛国主義的な若者=憤青のことを「中国のネット右翼」として紹介する文章にしばしば出くわす。だが、中国における左派と右派の区分 として紹介する文章にしばしば出くわす。だが、その紹介はいささかミスリーディングだ。

中国では、こういった極端な愛国主義を掲げる人々の主張は、政治的には毛沢東の肖像を掲げるような人々、すなわち「左派」と親和性が高い。そして、そういった愛国主義的な人々を、「ビジネスや国際協調の邪魔」として忌み嫌うのが、政治的にはリベラルな「右派」なのである。なぜこのようなややこしい事態が生じているのだろうか?

今回はこれらの素朴な疑問に答えるために、現代中国の右派/左派の対立について考えてみたい。 中国左派右派表のコピー この表に示された対立軸で、まず注目されるのが、中国の左派が国内の政治や国際関係において、「国家利益」やナショナリズムを全面的に肯定している、という点である。この点は、日本でイメージされるいわゆる「左翼」の主張と、かなり違っていると言ってよいだろう。

次に注目したいのが、腐敗や経済格差といった社会問題についての見解の相違である。常に政府に肯定的な意見しか言わない「御用学者」ならともかく、現在の中国社会に深刻なレベルの腐敗や富の偏在が起こっている、という認識においては、実は左派も右派もそれほど変わらない。大きく異なるのは、その原因についての認識だ。中国の「右派」すなわち、リベラル寄りの人々は、基本的に市場経済に見合った制度改革が徹底していないこと、なかんずく私的財産権や法治が確立していないことが腐敗や格差の温床になっていると考えている。

このため、ビジネスの領域と政治的権力の領域があいまいになり、権力と結びついた特権的な資本家が、不労所得を独占する。このことが富の分配をゆがめ、不公平を生んでいるというのだ。今のままの体制では、政府や共産党へのコネクションがない人たちはいくら頑張っても利益にありつけない。そこを改め、政府の介入を減らして公平なルールで競争を行うべきだ、というのが右派の基本的な主張である。

それに対し、左派は、そもそも社会主義体制を掲げていながら、対外的な圧力に屈して、国有企業の民営化や、「私的財産権の保護」を安直に認めてしまったからこそ、政治的権力と結びついた特権的資本家が誕生した、という見解をとる。だから、この状況を打破するには例えば企業の国有化をもう一度進め、腐敗した役人や資本家に対する国家の監視や処罰を強化するしかない、ということになる。このような左派の主張は、わかりやすく言えば、「国家」がどんどん前面に出て市場と資本を管理せよ、というものであり、「国家の退場」を唱える右派とは方向性が全く逆になる。その意味で、左派は必然的に強固な「国家主義者」にならざるを得ないのだ。

■なぜ「左派」は国家主義から離れられないのか

中国左派右派2 1990年代半ばあたりから、中国でも「新左派」といわれる知識人が、「(新)自由主義者(前掲の表の「右派」に対応)」たちと立する論陣を張りながら、内外の様々な言論メディアで活躍するようになっていった。いうまでもなく「新左派」は、日本でいう「新左翼」にあたる。ただし中国の「新左派」は、いわゆる日本でイメージされる「新左翼」、1960年代後半に影響力を持ったトロツキズムなどの過激な左翼思想を信奉する諸党派とは直接の関係はない。むしろ近年の新自由主義的な改革の方針に批判的な姿勢をとるという一点において共通する、思想的にもディシプリン的にも雑多な背景を持つ知識人の一群、といった方が実態に近い。

その中には、清華大学教授の汪暉(おうき)のように、フーコーなど西洋のポストモダン思想の影響を大きく受け、柄谷ら日本の左派系知識人との交流も深く、その著作が海外でも盛んに紹介されている、現代の左翼思想の潮流を代表すると考えられている知識人も含まれている。

しかし、汪暉らを含む中国の新左派は、資本だけではなく国家の横暴をも問題視している「西側諸国」における左派系知識人とは異なり、全般的に国家への批判、という気運が弱く、結局のところ国家主義傾向から抜け出ることができないでいるように思われる。

中国の「(新)左派」が国家主義を離れることができない第一の理由として、そもそも中華人民共和国の成り立ちが、対外的な脅威による「民族の危機」にいかに立ち向かうか、というナショナリズムと切り離せないことが挙げられよう。毛沢東がいつまでも権威を失わないのも、結局のところ、彼が日本を筆頭とする帝国主義列強の侵略から最終的に中国を救った(とされる)民族主義的ヒーローだからにほかならない。

たとえば、毛を部分的にせよ評価する立場からは、彼の犯した致命的な失敗も、対外的な脅威の存在によって免罪される。大躍進や文化大革命といった大規模な政治運動が、大量の死者を出した中国の庶民にとっての厄災以外の何者でもなかったことは、左派系の知識人も否定していない。ただ、それは毛沢東一人の責任というより、当時の中国の「対外的な脆弱さ」のせいだと解釈されてしまうのだ。

冷戦期においてアメリカやソ連と激しく対立しており、また国力が十分ではなかった中国にとって、それらの対外的な脅威に対抗するため無理な富国強兵政策を進めなければならず、それが大躍進による大量の餓死者発生などの悲惨な結果を招いてしまった。だから、まず富国強兵を実現し、外国からの干渉を受けないような形になってから、毛沢東の理想を追求しよう、というロジックがそこでは採られることになる。

もう一つの理由として、伝統社会より受け継がれた「私」的所有権への懐疑のようなものが、中国社会の中に拭いがたく残存していることを指摘できるかもしれない。 重慶市のトップだった薄熙来(はくきらい)は、打黒(ターヘイ)、唱紅(チャンホン)という「革命歌を歌って、腐敗した役人やマフィアを一掃する」というキャンペーンを張ることで、地元の貧しい市民の喝采を浴びた。

彼が政治的に失脚した後に閉鎖された左派系知識人が集うウェブサイト「烏有之郷」(中国語で「ユートピア」を意味する)では、薄を支持し、その政策を称賛する論説で埋め尽くされていた。しかしマフィアを一掃すると称した一連のキャンペーンで実際に薄が行ったのは、成功した民営企業家から財産を奪うということだった。そのことを、いわゆる人権派の弁護士らは早くから問題視していたが、重慶の庶民層はむしろ薄に拍手喝采を送った。

この背景に、多くの貧しい人々が、私的企業家などが形成した巨額の財産、ならびにその形成過程を、基本的に「うさんくさいもの」「社会的なコネなどを利用し、ずるく立ち回ることによって儲けたもの」としてみていた、ということが指摘できるのではないだろうか。このことはまた、中国社会において個人にとっての「私的財産権」、その不可侵性の脆弱さも示していよう。 中国左派右派3 「左派」と国家主義との結びつきについては、中国の「近代国家」としての歩みに関する、歴史的経路の問題も見逃せない。

ここで今までの考察を整理するためにも、やや教科書的なまとめを行っておこう。まず西洋諸国の場合、ブルジョワ革命によって封建領主の特権や絶対王権に対する私的財産権の不可侵性が確立したあと、今度は生産手段の偏在によって「持たざる者」の生活が脅かされる、すなわち資本主義社会における「搾取」の問題にどう対処するかが大きな思想的課題となってきた。この課題に対し、私的財産権なかんずく生産手段(資本)の私有に基づく自由な経済活動を制限し、より平等な社会を実現しようとするとする立場が伝統的に「左派」と呼ばれ、それに反対する立場が「右派」と呼ばれてきた。「左派」にとっての目的は私的財産権の制限によって資本の横暴を防ぐことであるから、それを行うものは国家でもよいし、市民が自発的に形成したNPOやNGOなどのアソシエーションでもよいわけだ。

一方の中国では、伝統王朝を打倒した辛亥(しんがい)革命は、むしろ欧米列強からの圧迫に対抗するための反植民地的な民族主義革命としての性格が強く、近代的工業の発展を背景としたブルジョワ革命としては極めて不十分な基盤しか持たなかった。そして、市民の私的財産権に対する専制的国家権力の圧倒的優位性が払拭されないまま「社会主義革命」によって中国共産党が政権を取り、毛沢東の死後は国家が主体となって資本主義化を進めている、というのが現状だ。

したがって、いまや国内外の資本と結びついて持たざる者を搾取する国家権力に対し、財産権や自由権を中心にした「普遍的人権」を盾に対抗しようとする立場は、常に「右派」と呼ばれることになるのだ。

一方で、グローバル経済に中国が統合される中で、むきだしの暴力を振るうに至った「資本」をできるだけ国家の権限の下に一元化し、労働者からの収奪によって蓄積された富を、民衆の「生存権」を根拠として、温情ある指導者によって再分配すべきだ、という立場が「左派」と呼ばれることになる。

このような対比から明らかなように、西側諸国では、「私的財産権」の制限を求める主張は「普遍的人権」の尊重が前提となっている。だが、今まで見てきたように、中国の左派はそもそも「普遍的人権」の尊重というところから出発していない。

だから、普遍的人権や言論の自由を盾に政権を批判する、現代中国で言うところの「維権(権利擁護)運動」は、たとえそれが行政によって立ち退きを余儀なくされた人々など、明確に「弱者」の立場に立った行為であっても、左派からは白い目で見られることになる。

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