「自然災害」、

画像の説明 「自然災害」、いまだ生かしきれない「現代人」

最古は日本書紀の416年、記録を読み解く

1万8千人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から3年が過ぎた。復興庁によると、2月13日現在、約26万7千人が避難し、約9万7千人が仮設住宅に暮らしている。日本は地震国、火山国であり、日本人は昔から大地の急激な変動がもたらす脅威にさらされてきた。マグニチュード9・0を記録した東日本大震災は、日本の観測史上最大規模であるだけでなく、世界的に見ても超弩級の巨大地震であった。

日本における文字に書かれた最古の地震記録は、日本書紀に登場する。允恭(いんぎょう)天皇5(416)年に、「五年秋、七月丙子朔、己丑、地震」とある。この地震は、ただ「地震」とあるだけで、いったいどこで起き、被害の規模がどの程度だったかを推測することはできない。

被害をともなった地震として記録されている最古のものは、同じく日本書紀に記録されている推古天皇7(599)年の地震だ。地震は古語で「なゐ」と呼ばれていたが、「なゐふりて、舎屋(やかす)悉(ことごと)く破たれぬ。則(すなわ)ち四方に令して、地震の神を祭らしむ」とある。

家屋がみな破壊されたというのだから、かなりの揺れだったのだろう。もっとも、当時の家屋は地面に穴を掘り、そこに柱を立てただけの構造であり、地震動の強さは少し割り引いて考えなければならない。

日本書紀には、これ以後もたびたび大地震の記録がある。天武天皇が編纂を命じ、養老4(720)年に完成を見た官撰の史書だが、6世紀なかばの欽明朝以後は自然現象について実に詳しく記録され、後世に役立つことが多い。たとえば天武天皇13(684)年には、彗星が西北の空に出て長い尾を引いていたという記述があり、計算してみると、これは日本最古のハレー彗星出現の記録であることが分かる。

来るべき南海地震に向けても生きる史料

この年に発生した日本最初の巨大地震の記述も、日本書紀には残されている。現在の高知県の沿岸で、田畑が五十余万頃(しろ)(約12平方キロ)、沈下して海になったというもので、明らかに地殻変動のあったことを意味している。さらにこのあと、土佐の国司からの報告として、南岸一帯に大津波が襲来し、貢物を運ぶ船がたくさん流されたという記述が見られる。

被害の大きさ、地殻変動、大津波などから総合的に判断すると、この地震は嘉永7(1854)年の安政南海地震や、昭和21(1946)年の昭和南海地震などとほほ同じ、南海トラフを震源とする巨大地震だったことが推測できる。のちにこの地震は「白鳳地震」と命名された。

古代の人々の優れた観測記録が、1300年も前の地震の様子を明らかにしたのだ。この記録が、今後起きると予想されている南海巨大地震の再来周期を推しはかるうえでも、あるいは今後の災害予測を立てるうえでも、貴重な史料として現代に生きているのである。

日本書紀以後の数々の文書にも、地震や火山噴火にまつわる記述は続々と登場する。それらは、日本列島の地震災害史、火山災害史そのものともいえる。

富士山の噴火ひとつをとってみても、古くは万葉集に詠まれ、平安時代になると日本三代実録のような史書のほかに、さまざまな文学作品に登場する。

平安文学を代表する更科日記や竹取物語には、富士山の活動が続いている状況を描写した文章がある。歴史時代になってからの富士山最大の噴火といわれる貞観6(864)年の貞観大噴火については、日本三代実録の詳細な記述と地質学的調査とが手を携えて、噴火の全貌を知ることができるようになった。

災害と向き合う運命の日本人、「次」に向けて「備災力」を

日本列島に生まれたからには、日本人は自然災害と向き合う運命にある。人間の力では自然災害を未然に防ぐことが難しいならば、自然災害に対する備えを整備しておかなければならない。しかし、いまだに日本には、緊急事態法も整備されていないのが現状だ。

次に来る巨大な自然災害に対する「備災力」を、国家、そして日本人一人ひとりが持たなければならないのである。

コメント


認証コード6503

コメントは管理者の承認後に表示されます。