隣組を見直そう

画像の説明 隣組

隣組(となりぐみ)と聞くと、すぐに先の大戦下での思想統制や住民同士の国民相互監視や国民総動員ばかりをいまだに連想する人が多いことに驚かされます。

まるでパブロフの犬です。
ベルを鳴らす→犬がヨダレをたらす。
隣組と聞く→戦争だからいけないことと考える。これを洗脳といいます。

戦時下の隣組というのは、なるほど法制度としては昭和15年9月に内務省が制定した隣組強化法に基づいて、全国津々浦々、全部が5〜10世帯単位で組織化されたものです。戦時中に兵隊さんが出征するときは、この隣組単位で日の丸の小旗を振りながら、駅まで新兵さんを送ったりもしました。

そしてGHQが入ってきたとき、これが日本人の戦意発揚に大きく貢献していたものであるとして、解体されました。
つまり、隣組=怖いもの、恐ろしいもの、面倒なものといまだに思い込んでいる人は、昭和22年の占領軍の都合を、いまだに「正しい」ことと信じ込んでいる、おそろしく時代遅れの人である、ということになります。

先日も広島で土砂災害が起こりましたが、こうした大きな災害が起きたとき、結局頼りになるのは、隣近所です。身近な例としても、たとえば大雪が降った日、あるいはいまの季節ならば、街路樹の銀杏の葉が大量に路上に落ちたとき、あるいは大雨で道路が冠水したとき、それら非常時への対策で、やはり一番たよりになるのは、隣近所です。

わが家は、お隣さんがご高齢の老人の一人暮らしで、お向いさんは旦那のいない婦女世帯ですが、大雪が降れば、その雪かきは、私の仕事です。別段頼まれたわけではないけれど、お年寄りや婦女よりは、すくなくとも私の方が力持ちだからです。あたりまえのことです。

加えて戦時下においては、特に昭和19年以降となると、艦砲射撃や空襲が頻発したわけです。そうした事態に備えて、防空壕を掘ったり、万一の際の互いの連絡網を確認しておいたり、そうした近隣での身近な防災体躯は、これは非常時であるだけに、絶対に必要不可欠なものでもあったわけですが、日本における災害というのは、そもそもが空襲ばかりではありません。

細長い火山列島である日本は、火山の爆発や、急斜面による土砂災害、平野部なら大水、大雨、大雪、地震、竜巻、台風、大風、落雷、あるいは大規模な自然災害があれば、それによってもたらされる停電、断水といった非常事態は、いつでも起きる可能性はあるわけです。

そんなとき、何かあったら「国の責任」とかいって、人のせいにするのは、どっかの頭のイカれたおバカなエリートさんの暇つぶしでしかありません。
現実に被害が起きれば、隣近所でたすけあっていくしかない。

平時は良いのです。
普段のときは、昼間は仕事にでかけるし、別段家にいるわけでもないという人も多いかと思います。
問題は非常時です。その非常時に、日頃から、つまり普段から備えておく。そのための地域コミュニティの最小単位を、制度化したものが隣組です。

東京中が、空襲で焼け野原になったとき、多くの方が亡くなりましたが、それでもあの空襲の中を、生残った人はもっとたくさんいました。
なぜ生残れたのかといえば、隣近所のおじさんたちが、そこかしこに防空壕を掘ってくれたからです。
近所のおばさんたちが、みんなで手分けして、防空頭巾を子供たちに作ってくれたからです。

そして、万一の場合に備えて、カメに容れて土に埋めたり、丈夫な釜に保存しておいてくれた非常用食料を、隣組みんなのために、互いに供出しあったからです。そうやって、相互に助け合う習慣があったからこそ、亡くなった方の10倍以上の老若男女が生残ることができたのです。

そもそも隣組というのは法制度化されたのは昭和15年ではあるけれど、もともとをたどっていけば、記録で確認できるものとしては、1世紀の日本にはすでに確立されていたものです。自然災害の多い日本では、2千年以上の歴史があるのです。

そもそも縄文の昔には、隣近所の村落共同体しかありません。世界中どこもそうです。
それがクニになり、国家へと発展していくのですが、その過程で、西洋や大陸では、力の強い者が王となり、村落共同体を破壊して、それらを傘下におさめて私有化していったというのは、誰でも知っていることです。

ところが日本では、そうした村落共同体をまるごと活かして倭国が成立しています。

どういうことかというと、日本では、村落共同体を滅ぼして私有化して、豪族たちが贅沢するために国が出来たのではなく、村落共同体が、互いに力を合わせて、つまり村落共同体内の協力関係を、そのまま地域社会の共同体としての協力関係に拡大することによって、大規模な水田の開墾や、治水事業が行われ、そのためのリーダーが、古代における豪族となったし、王となりました。

そしてこれとまったく同じことが、中世の日本では、新田の開墾事業を推進したリーダーが、新興武士団となり、そこから武士が登場するという歴史が生まれています。

つまり国の成り立ちが、日本では、大陸にあったような、はじめから収奪や支配を目的とするものではなく、相互協力関係をスタートラインとして、発展し発達し、それが国家となっているのです。

ですから、世界中どこでも、国家の形成過程においては、必ず殺戮や戦争が行われているけれど、日本ではそれが起きていません。なぜなら日本は、縄文時代という、約1万5000年続いた長い時代に、武器そのものを所持しない、人が人を殺さない文化が、完全に定着していたからです。

古代大和朝廷の成立も、ですから大和朝廷は、全国にあった地域共同体を、そのまま活かして、単にその上にのっかるというカタチをとりました。
だからこそ、そこに「シラス」という概念が生まれています。
「ウシハク」なら、抵抗する者は滅ぼすのですから、地域共同体に対しては破壊しかありません。

けれど、そんなことをしたら、災害発生時の対応がまったくできなくなってしまうのです。
中には、大陸風の「ウシハク」統治によって、村落共同体を破壊して、すべてを支配しようとした豪族もいたかもしれませんが、結局そういう豪族は、災害発生時には、その富の源泉を失い、結果、滅ぶしかなかったというのが、日本の歴史です。
領主は、どこまでも民のため、村落共同体を守り育てるというカタチでしか、日本では成り立ち得なかったのです。

そしてこの村落共同体は、江戸時代には、完全に日本の民間生活の中に定着していました。
農村部では、庄屋さんが苗代を持っていて、近所の農家に苗を配っていたし、江戸や大坂のような大都市にあっては、五人組や、長屋制度によって、5〜10世帯単位の共同体が、井戸の共同利用などを通じて、完全に確立していました。

結婚式も葬式も、災害発生時の訓練や相互扶助も、こうした緻密なコミュニティが発達していてくれたおかげで、みんなで助け合い、みんなで支えあい、みんなで協力しあって生きていくということが、完全に完璧に定着していたわけです。

そしてこうしてすでに確立していた共同体を、戦時非常体制のために、法制度上も整備したというのが、昭和15年の隣組制度でした。
そして隣組は、なるほどGHQによって解散させられてしまったけれど、結果として、いまでも、町内会や自治会、マンションの管理組合、消防団などと名前を変えて、何の法的裏付けがなくても、全国にしっかりと残っています。

それらが「完全に」崩壊しているのは、在日外国人世帯が多くなって、そうしたことの大切さがまったく理解されなくなっているごく限られた一部エリアと、おかしな新興宗教団体に毒された人々の多い、それこそ特殊な地域だけです。

たた、問題は、そうした隣組のような小さな単位の地域コミュニティの、万一の場合の必要性が、まったく世間に知らされず、いわば、昔を知り、災害発生時の経験を持つお年寄りたちだけの誠意と問題意識だけに支えられているといういまの現実です。

昨今では、東京都でも「防災隣組」という制度が発足しはじめました。

まだまだ動きは、小さなものですし、今度の新しいぶっ飛び知事のもとでは、どうなってしまうのか風前の灯状態にあると聞きますが、古いもの、古代や中世から続いているものを、わたしたちは戦後の一時期のブームのように、ただ否定するのではなく、もういちど、国土と自然と、人々の福祉のために、みんなが安心して安全に暮らせる日本の将来のために、もう一度考え直してみるときにきているのではないでしょうか。

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