“鄧小平生誕110周年”に沸き返る中国

画像の説明 負の歴史をスルーした談話に見る習近平の政治観

“中国改革開放の総設計士”として称えられるトウ小平

暑さよりもスモッグが気になる北京の夏に「トウ小平」(トウの字は「登」におおざと、以下同)で舞い降りてくる空気を、私は天安門広場で感じていた。

8月22日はトウ小平生誕110周年に当たる。中国共産党はこのタイミングを機に、“中国改革開放の総設計師”と呼ばれてきたトウ小平の功績を持ち上げるべく、政治資源を総動員しているように見えた。

中国中央電視台(CCTV)ではテレビドラマ《歴史転換期の中のトウ小平》が連日連夜放映されている。1976年に“四人組”を粉砕してから、1984年、改革開放事業が本格的に開始するまでの、中国にとってまさに転換期に当たる歴史が鄧小平の人物像や政策決定などを通じて描かれている。

なかには、1978年10月22~29日、当時国務院副総理を務めていたトウ小平が、戦後中国の国家指導者として初となる公式訪日を実施した模様も含まれている。中国がこれから近代化を目指していく状況にあるなかで、トウ小平が「日本に学ばなければならない」という姿勢を打ち出す場面、東京の記者クラブにおける質疑応答の場面(尖閣諸島の領有権をめぐる応答など)、新日鉄の君津製鉄所を見学しながら、日本の技術を絶賛し、それを中国に輸入する必要性を説いている場面などが克明に映しだされている。

8月20日には、習近平国家主席が北京の人民大会堂で開催された《トウ小平同志生誕110周年座談会》で談話を発表し、その模様が中国メディアを通じて大々的に報道された。

トウ小平がイギリスとの“祖国返還”交渉を引率し、「一国二制度」という方針を打ち出した香港もトウ小平を祝う催しで盛り上っていた。21日、トウ小平の功績を振り返る展覧会やフォーラム《トウ小平と香港“一国二制度”の政治建設》が開催されたりした。

トウ小平に対する習近平の評価

「功績」のみ評価し「過失」はスルー
鄧小平に対する習近平の評価

「香港政府はこれまで以上に“プロ・チャイナ”(北京寄り)になりつつある」(香港大学学生)。

中央政府が置かれる北京の国営テレビが約2500キロ離れた香港で行われる鄧小平祈念イベントを不自然なほどあからさまに報道するあたりに、昨今“中国との付き合い方”で揺れる香港に対する北京の危機感と執着心が滲み出ている。「鄧小平生誕110周年を機に、北京と香港が密接に繋がっていることを強調する目的があった」、とある共産党関係者が北京で私にこう語った。

「鄧小平同志は全党・全軍・全人民・各民族が認める、崇高な威信を持つ卓越した指導者であり、偉大な無産階級革命家、政治家、軍事家、外交家でもある。長い経験を積んできた共産主義戦士であり、中国社会主義、改革開放、現代化建設の総設計師でもある。中国の特色ある社会主義の道を切り開いた張本人であり、鄧小平理論の主要な創始者でもある」

8月20日、習近平国家主席は《鄧小平同志生誕110周年座談会》の席で鄧小平を“これでもか”というくらい持ち上げた。約1万字に及んだ談話の原稿を読み返してみたが、100%、鄧小平を賞賛する内容で、人物像や政策決定などを含め、鄧小平の業績を批判的に綴るセンテンスは一つもなかった。

約8ヵ月前、同じく北京・人民大会堂で開催された《毛沢東生誕120周年座談会》(2013年12月26日)における習近平談話を私は思い出した。

習近平は毛沢東という人物を以下のように紹介している。前述の鄧小平に対する紹介と対比させるのも興味深い。

「毛沢東同志は偉大なるマルクス主義者、偉大なる無産階級革命家であり、戦略家、理論家、そして、マルクス主義中国化の偉大なる開拓者である。近代以来における中国の偉大な愛国者であり、民族の英雄でもある。中国共産党指導部にとっては、第一世代における核心であり、中国人民が自らの運命と国家の命運を徹底的に変えるプロセスを指揮した偉人である」

鄧小平同様“これでもか”というくらい持ち上げているが、異なるのは、習近平が毛沢東の晩年における失策と過ちに対して、鄧小平の公言を引用しつつ、明確に言及している点である。

構造的な社会問題の根源は鄧小平時代にあり

「毛沢東同志が社会主義建設を探索する過程で回り道をしたこと、特に晩年に“文化大革命”を行うなかで深刻な過ちを犯したことは否定できない……、鄧小平同志は言った:“毛沢東同志は功績が第一であり、過ちは二の次である。彼の過ちは自らが持つ正しいものに背いたことである。一人の偉大な革命家・マルクス主義者が犯した過ちである”と」

このように比較してみると、中国共産党指導部の毛沢東(第一世代指導者)と鄧小平(第二世代指導者)に対する歴史的評価が180度異なることが見て取れる。前者に対しては功績と過失それぞれを評価し(7:3というのが共産党の毛沢東に対する公式評価)、後者に対しては過失には触れず(過失があったのかどうか、という問題も公には議論されない)、功績だけを全面的に評価する。そして、先日世に出された習近平談話によって、昨今の中国を統治する第5世代指導者が、現段階において、鄧小平という国家指導者に対しては「功績」のみを全面的に押し出し、「過失」に関してはその存在すら認めない、という立場が明らかになったと言える。

構造的な社会問題の根源は
鄧小平時代にあり

私から見て、この事実が意味するところは小さくない。

毛沢東死去後(1976年9月9日)、“文化大革命”から“改革開放”、“階級闘争”から“経済建設”という180度異なる国策の転換を実行しようとしていた鄧小平は、毛沢東の「過失」の部分に言及せざるを得なかった。

さもなければ、先に進めなかったからだ。

「文化大革命は正しかった」という政治的遺産を残したまま改革開放や経済建設を進めていくことなどできない。“負の歴史”を清算しなければ先へは進めない。それが政治というものだ。そして、政治家はそこに向き合うための勇気と知恵を振り絞らなければならない。

その意味で、建国の父であり、中華人民共和国の歴史上絶対的な地位を築いてきた毛沢東が亡くなった直後に、その毛沢東が先頭に立って指揮した文化大革命を“負の歴史”として清算した鄧小平の勇気と知恵は賞賛に値すると私は考える。

鄧小平が亡くなって(1997年2月19日)今年で17年になる。この間、国家の第一指導者は江沢民、胡錦濤、習近平と3代続いた。鄧小平に直接指名された指導者である江沢民と胡錦濤は、鄧小平の毛沢東に対する評価(7:3)は継承しつつ、鄧小平本人に対する評価は10:0を堅持してきた。自らを国家の第一指導者に任命してくれた恩人を批判することなどできないと言わんばかりに。

第19回コラム(Beyond Deng Xiaoping:改革への道にそびえる最大の壁)にて、習近平国家主席率いる昨今の共産党指導部に求められるのは鄧小平の残した遺産を漠然と“継承”するのではなく、勇気と知恵によって“超越”することであることを検証した。タイトルの“Beyond Deng Xiaoping”とはそういう意味である。

「稳定压倒一切」(安定が全てを凌駕する)、「发展才是硬道理」(発展こそが絶対的、確固たる道理である)、「不管白猫黑猫、能抓到老鼠就是好猫」(白猫でも黒猫でも、ネズミを捕まえられる猫こそが良い猫である)、「摸着石头过河(石橋を叩いて渡る)、「让一部分人、一部分地区先富起来」(まずは一部の人達、一部の地域を富ませるという“先富論”)などといった、鄧小平が改革開放の初期に“大局を維持するために”打ち出した道理や理論は、現在を含めたその後の発展に構造的かつ深刻な禍根をもたらしている。

貧富の格差や成長の限界、社会の不公正や環境問題、社会福祉の欠如や都市化建設の停滞、そして見えない民主化への出口といった昨今の国家指導者が直面している問題は、ほとんどすべてと言ってもいいほど鄧小平による“世紀のプラグマティズム”にその根源を見出すことができる。

避けて通れない天安門事件
習近平はどう向き合うのか

以上は経済・社会面であるが、政治面において避けて通れないのはやはり天安門事件(1989年)である。鄧小平は学生による民主化要求デモを武力で鎮圧し、結果、未来を担う多くの若者の生命は失われた。というよりは、共産党一党支配を維持するために、犠牲にされた。

当時の鄧小平による“武力に依る鎮圧”という政策決定をめぐっては、水面下でさまざまな意見が存在する。「大局と安定を守るためにはやむを得なかった」という人もいれば、「如何なる理由があるにせよ、武力による鎮圧は間違っていた」という人もいる。問題の本質は、事件から25年が経った今に至っても、事件そのものが政治的タブーとされ、一切の公開議論が政治的に禁止されていることである。議論すらできないのであれば、清算のしようもない。

本連載の核心的テーマである「中国民主化」という観点からすれば、“天安門事件という負の歴史の清算”は避けては通れないミッションであり、「(鄧小平の武力による鎮圧という決断が)“やむを得なかった”のか、“あってはならなかった”のか、そして、“それは何故なのか”という問題も含めて、官民一体の、国民国家(Nation States)としての議論が漸進的にでも促進されなければならないということだ。さもないと、経済社会レベルだけではなく、政治レベルにおいても、中国は先には進めない」。

天安門事件勃発の直接的引き金は胡耀邦元総書記の死去であるが、“中国民主化の星”と呼ばれた胡耀邦の右腕を務めた改革派政治家・習仲勲を実父に持つ習近平は、自らの任期が続くうちにこの“負の歴史”とどう向き合うのであろうか。

イベントの性質が生誕を祈念するものだっただけに、鄧小平の「過失」には一切言及できなかったのかもしれないが(上記のように、毛沢東の生誕を祈念するイベントでは「過失」に触れている)、今後の執政過程において、習主席は経済社会レベル、政治レベルでいかにして鄧小平が残したマイナスの遺産を直視し、克服していくのか。

法治主義を制度化するプロセスをどこまで推進できるか
改革開放の時代とも言える1980年代以降の中国で、絶対的な地位を誇ってきた鄧小平に選ばれた国家第一指導者ではない習近平が、鄧小平という人物をどのように評価していくのかに注目している。

天安門事件に習近平はどう向き合うのか

「鄧小平同志の最も鮮明な思想と実践の特徴は、実際の国情と世界の大局と趨勢に起点を見出している点であり、終始我が党が提唱する“実事求是”(事実に基づいて物事の真理を求めること—筆者注)、“群衆路線”、“独立自主”を堅持したことである」

習近平は《鄧小平生誕110周年座談会》での談話でこのように述べている。

そんな習近平は鄧小平が改革事業に着手してから約30年が経った現在における“実際の国情”と“世界の大局と趨勢”をどう捉えているのだろうか。いまこそ鄧小平が貫いた“実事求是”という思想に学ぶべきではなかろうか。

習近平が今後の執政過程で鄧小平の残した遺産を如何に評価し、それを自らの改革事業へと生かしていくのかに注目したい。習近平には可能な限り公正な評価を下す勇気と知恵が求められる。鄧小平が毛沢東の功績だけでなく、過失にも言及して歴史的評価を与えたように。

習近平の政治観は
改革推進を停滞させる?

国家主席就任後“反腐敗闘争”を徹底し、政治局常務委員経験者である周永康までをも失脚させた習近平の権力基盤をめぐる動向にますます注目が集まっている。周永康という大物を“落馬”させたことで、習主席の権力基盤は完全に固まった、という見方もあるようだが、私が北京で中国政治を観察する限り、権力闘争はこれまで以上に加熱し、泥沼化していく様相を呈している。

周永康ほどの大物を失脚させたのだ。そして、周永康に関わる人物は、元秘書、同僚などを含め、根こそぎに処罰されている。そんな習近平の決定に不満を持つ輩は共産党内外に五万といる。反対勢力からの逆襲がこれから始まるかもしれない。少なくとも言えることは、“周永康落馬”=“習近平の権力基盤は万全”などという方程式が成立するほど中国政治はシンプルではない、ということだ。

「一つのターニングポイントは10月に開催される四中全会だ。法治主義や司法改革に関する討議がなされることがすでに公表されているが、実際にどこまで法の支配を制度化するための具体的な議論がなされるかは分からない。仮に形式的、抽象的な議論に留まるようであれば、共産党指導部の改革への推進力は頓挫している。言い換えれば、習近平の権力基盤が万全ではなく、改革に後ろ向きの保守派勢力や、習近平の執政そのものに不満を抱いている反対勢力からの反対に遭っている、と捉えることができるだろう」

ある共産党関係者は、向こう数ヵ月の政治動向をこのように推察する。

私自身、四中全会を通じて習近平がどこまで法治主義を制度化するプロセスを推進できるのかに注目している。本連載でも検証してきたように、数千年に及ぶ中国の歴史を振り返っても、法の支配(rule of law)が制度的に機能してきた形跡は見られない。現在に至るまで、制度だけでなく、“法”を重んじる文化や土壌も欠落している。

このような状況下において、仮に習近平が法治主義を制度的に構築することができれば、疑いなく歴史に名を残すであろう。と同時に、政治改革、またその先にある“中国民主化”に向けても一つのステップとなるかもしれない。

“改革”をどう解釈し、実践するかが問題

しかしながら、私は習近平が歴史に名を残す可能性を楽観視していない。

習近平が《鄧小平生誕110周年座談会》談話で言及した以下3つのセンテンスをレビューしてみたい。

「鄧小平同志は言った:“私たちのような第三世界の発展途上国には民族の自尊心が必要だ。民族の独立を大切にしなければ、国家は立ち上がれないのだ”と。我々の国権(国家の権利—筆者注)、国格(国家の品格—筆者注)、民族の自尊心、民族の独立。鍵を握るのは、発展の道、理論、制度が独立していることだ」

「我々に足りないもの、よくないものは、懸命に改革しなければならない。外国に有益で、いいものがあれば、虚心で学ばなければならない。しかし、外国のものを真似ることがあってはならないし、外国のよくないものを受け入れることがあってはならない」

「中国の近代以来の歴史は我々に物語っている:中国の事情は中国の特徴、中国の実情に則したかたちで行われなければならない。これが中国のすべての問題を解決する上での正しい道だ」

3つのセンテンスと本連載でこれまで検証してきた内容を踏まえて“習近平の政治観”を覗きこんでみると、仮に習近平が政治改革に着手するとしても、そこには明確な前提条件(ボトムラインとも言える)が付け加えられるであろうことに改めて気づかされる。

一つに、共産党が然るべき権力と威信を誇る政治であること。

二つに、西側の政治制度や価値観を“真似”ることはしないこと。

三つに、中国は独自の道を探索すること。

《鄧小平生誕110周年座談会》における談話を通じて、習近平は“改革”という言葉に27回言及した。問題は、習近平という国家指導者が、“実事求是”に立脚したうえで、“改革”という言葉にどのような解釈を与え、実践していくかにほかならない。約30年前に鄧小平が掲げていた“改革”と何ら変わらないのであれば、中国は先へは進めないだろう。時代は変わったからだ。

仮に鄧小平が生きていたら、中国政治の現状をどう認識し、習近平にどのようなアドバイスをするだろうか。

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