墓のない国

縁側 タイの葬送風景に見る死生観と輪廻転生

タイは、国民の95%以上が仏教徒だといわれる。ただし彼らが信仰する仏教は、日本の大乗仏教とは異なる上座部仏教であり、「テーラワダ仏教」、「南伝仏教」などとも呼ばれている。その教義は、大乗仏教よりもブッダ(釈尊)が実際に説いた原始仏教的な教えを色濃く残しているとされる。

■通夜

タイの葬儀で、日本の通夜にあたるものは通常3~7日程度続くが、有力者だと100日ほど続くこともあるという。妻の父の通夜は、亡くなった翌日から3日間続いた。通夜の場所は寺院だったが、これは都市部の場合で、地方では自宅で行われることも多い。

■棺

タイは熱帯性気候の国で、通夜も長く続くため、棺の遺体には防腐剤が注入される。また、頭は西枕にして置かれ、参列者たちは故人の手に聖水をふりかける。そして、何人かの僧侶たちが声を合わせて読経を行う。

■参列

黒っぽい服装を着て参列し、香典を渡し、線香と花を供えたり、お悔やみを言ったりする点は、日本とだいたい共通している。しかし、タイでは日本ほど通夜や葬儀をしめやかに執り行うことはなく、家族が亡くなった時にはもちろん悲しむが、死とは本来、より良い来世へ行くための目出度いことだと考えられている。

■火葬

日本と同様、タイでは火葬が一般的で、葬儀は火葬場と斎場を兼ねた寺院で執り行われる。通夜が終わった翌日から葬儀が始まるが、火葬はその1日目に行われる。火葬後の遺骨は、その日すぐに集めず、翌日以降に骨壷に納められる。

昔は棺を火葬場へと運ぶ際、建物の窓から出棺させたというが、これは、死者が出入口や道順を覚えてしまうと、あとで帰ってきてしまい、災いをもたらすと信じられていたためだという。

■散骨

さて、日本と大きく異なるのは、タイ人には"墓"がないことだ。では遺骨はどうするのかというと、埋葬するのではなく"散骨"という形を取る。川や海に流したり、山間部であれば山に散骨する。他にも、遺骨の一部または全部を、寺院の通路の壁や納骨堂の壁などに安置し、モルタルで塗り固めることもある。

海へ散骨する場合は、チャーターした船に乗って沖合へ出る。船上で僧侶による読経が行われ、最後のお別れとしてお祈りをしてから散骨し、花びらを撒く。

散骨を終えた船は、その場で3度回ってから帰還するが、これも死者に帰り道を覚えられないようにするためだ。筆者がかつてバリ島で見た葬儀でも、家を出た棺が寺院まで行く途中の十字路で三度回ったが、同じ理由によるものだろう。

日本人の多くは「墓がなければ成仏できないのではないか?」と思うかもしれないが、これは日本のローカルな慣習による考えであって、タイなどでは墓がなくてもちゃんと"成仏"できるのだろう。人間の本質とは魂であり、肉体はこの世を一時的に生きるための"器"に過ぎぬ故、死後も執着することはないということだろうか。

■タムブン(徳を積むこと)

タイという国は、「お金がすべて」というような物質主義的価値観が浸透した金権社会の側面がある一方で、「タムブン(徳を積むこと)」の概念も重視される。タイの仏教は本来の上座部仏教に加えて、それ以前にあった土着の精霊信仰も色濃く残った信仰形態であり、その核心をなすのが、自己犠牲的な行いを功徳と捉えるタムブンの考え方だ。

タムブンの実践は、僧侶や寺院に喜捨(寄進)することや、小動物を殺さずに逃してあげることなどによって行われる。たとえば、タイ人と一緒に仏教寺院へ参拝すると、彼らは賽銭箱に金を入れることを「タムブンする」と言う。

また、タイ人は日本人以上に輪廻転生を深く信じていて、それを疑う者は少ない。そのため、人間の幸福は前世でどれだけタムブンしたかによって決まると信じられていて、今生では"より良い来世"を望んでタムブンする。つまり、それは善行の貯蓄のようなものだ。

面白いのは、タイの仏教寺院へ行くと、境内の売店で小鳥が売られていたりすることだ。「それは何のため?」と疑問に思うだろうが、前述の「小動物を殺さずに逃してやる」というタムブンを行うために、小鳥などを買うわけだ。筆者が以前タイで撮影した短い動画『【珍百景】タイ寺院で小鳥を売っている訳』(https://www.youtube.com/watch?v=ZPhiFqSeYGU)を、YouTubeに投稿したので、興味がある人は見ていただきたい。

■ピー(精霊・お化け)信仰

ところで、妻の父が亡くなってから、実家に住む姉の一人が、自宅の誰もいないところで、人がいるような物音を聞いたそうだ。それを父だと判断し、死後も家族を護ってくれているのではないかと家内は言う。タイ人は、このようなオカルト話も好きなようだ。

■親思いのタイ人

タイ人は両親から非常にかわいがられて育てられることもあり、親をとても大切にする。妻によると、父親から怒られたことがなく、常に優しい人だったという。その大好きな父が亡くなっても葬儀に参列できなかったことが、妻にとっては大きな心残りとなっているようで、今秋には二人の子供を連れて帰国して墓参り...ではなく「寺参り」をしたいと言っている。このように親子の良好な関係が死後も続くのがタイという国だ。

さて、日本人と結婚した筆者の妻は、死後に土葬されることを希望するだろうかと、本人に聞いてみた。すると、当初は「遺骨はタイへ送って」と言っていた妻が、日本の習慣に倣って土葬されるのも場合によっては構わないと言う。たとえ夫婦で埋葬方法が異なるとしても、死後に夫婦一緒になれないというわけではないだろうが・・・。

コメント


認証コード0825

コメントは管理者の承認後に表示されます。