“第二の号泣県議”

画像の説明 権限拡大した議会で許されぬ“第二の号泣県議”の登場

来年の統一地方選で誰を選び、誰を選ぶべきでないか

「号泣県議」の登場が号砲に?
負のスパイラルに落ち込む地方議会

国会議員が衆参合わせて722人なのに対し、地方議員は全国に3万5000人あまりいる。総数がケタ違いに多いので、地方議会の中におかしな人物が紛れ込んでしまうことはあり得る。不祥事を起こす不心得議員が現れても、そう不思議な現象ではない。それはある程度の規模の組織・集団が抱える共通の課題とも言える。

しかし、最近はそんな寛容なことを言っていられるような状況ではなくなっている。それにしてもひど過ぎるからだ。

まるであの兵庫県の号泣県議の登場が号砲となったかのように、全国各地で地方議員の御乱行が表面化している。不祥事の種類と量、度合いはこれまで以上のもので、地方議員の劣化の進行がうかがえる。地方議会全体がいまや負のスパイラルに陥っているように思えてならない。

地方議会は本来、住民にとって身近な存在だ。取り上げられる課題も、日常生活に密接に関連した具体的なものばかりである。地元で暮らす議員とはお互い顔の見える関係をつくりやすく、遠い存在の国会議員とは明らかに異なる。住民にとって、日常的に会話を交わせる近しい存在のはずである。

そんな身近な議員を選ぶ地方選挙で、最近3つの特異な現象が顕著となっている。1つは立候補者の激減である。議員定数を上回るだけの立候補者が現れず、無投票となる異例の事態が続出している。つまり、議員が選挙なしで選ばれる特異な現象が広がっているのである。

たとえば、2011年4月に行われた統一地方選挙だ。41道府県議選挙が実施されたが、無投票当選者は全体で410人に達した。そのときの総定数が2330人だったので、無投票当選率はなんと17.6%。県議のほぼ5人に1人が選挙なしで選ばれた計算になる。

逆に言えば、県会議員を選ぶ機会を持てずにいた住民がたくさん生まれたということである。なかでも無投票当選率が最も高かったのは島根県で、県議の総定数37のうち7割を上回る26議席が無投票だった。また、自治体の中には議員選挙が四回連続して無投票に終わったというところさえある。

2つ目の現象は、選挙が実施されても候補者が少なくて、落選者がごくごく一部に限られる事例が増えていることだ。定数を1人か2人上回る程度の候補者しか現れず、しかも、票を開ける前から選挙結果が読める「少数凡戦」の常態化である。

自治体の権限と責任が拡大。政務活動費に見る議員の立場

有権者は事実上、議員を選択する機会を失うことになる。なかには議員選挙を活性化させるために、選挙ごとに議員定数を削減する自治体までうまれている。そうした自治体のひとつは、30あった議席を削減し続けて現在14。それでも効果なく、いつも「少数凡戦」の市議選に終わっている。 

こうしたまるで不燃物のような地方議員選挙が繰り返されることにより、投票率は低下の一途をたどるはめになる。その結果、組織票の比重がより高まることになり、特定の組織や団体の後ろ盾を持った人たちだけが当選する傾向がより強まっている。

さらに、地方選挙は国政選挙のような「風」や「ブーム」と無縁なこともあって、議席の「団体指定席化」や「家業化・世襲化」に拍車がかかっている。その裏返しの現象として組織票のあてのない新人は勝ち抜くことが一層困難となり、チャレンジする前に断念しがちとなる。つまり、立候補する新人候補そのものが少なくなっているのである。

地方議会への新規参入は容易ではなく、現職議員有利の体制が確立されてしまっている。当然のことながら、議員の新陳代謝はなかなか進まず、議員間の競争原理も働きにくくなっている。切磋琢磨のない社会に進歩はあり得ない。こうして地方議員の質の低下が、急速に進行する事態となってしまっているのである。

自治体の権限と責任が飛躍的に拡大
「政務活動費」に見る議員の権限強化

住民の中には、こうした地方議会・議員の実態を目にしながらも「誰が議員になっても同じだ」と、まるで達観したように語る人も多い。議会は所詮、執行部(行政)の追認機関にすぎず、あってもなくても同じだという突き放した見方である。果たしてそうなのか。

日本の地方自治は、首長と議会がそれぞれ住民に直接選ばれる「二元代表制」だ。このうち首長は執行機関の代表で、議決機関の議会は自治体の意思決定と執行機関の監視、さらには政策提案する立法(条例)の役割を持つ。その実態はともかく、地方自治の根幹をなす存在と言える。

もっともそれは、国の地方に対する関与が大幅に見直された2000年以降の話である。それ以前の自治体は国の機関委任事務制度の下にあり、実質的に国の下請け機関に近かった。特に都道府県は仕事の7~8割が機関委任事務で、議会の関与は残りの固有事務に限定されていた。つまり、議会の役割自体が小さかったのである。極論すれば、「誰が議員になってもそう違わない」時代と言えた。

その後、中央集権から地方分権に大きく流れが変わった。2000年に地方分権一括法が施行され、自治体の自己決定・自己責任の時代が到来した。機関委任事務は全廃され、地方自治の脇役に甘んじざるを得なかった議会の役割・責任が飛躍的に拡大した。

統一地方選でどんな地方議員を推す?選んではいけない「5つのタイプ

それと並行して地方自治法の改正が重ねられ、議会・議員の権限を強めていく傾向が鮮明となっていった。その1つが、今話題となっている議員や会派に対する「政務活動(政務調査)費」の新設である。

地方議員の「第二の報酬」と揶揄されている政務活動費の歴史は浅く、2001年4月から交付開始となった(当時は政務調査費)。地方議会の役割がより重要になるので、地方議員の調査や研究活動のための経費を公費(税金)で賄おうというものだ。

支給額などは各自治体が条例で定め、各議会が運用指針などの細かなルールづくりを行った。2012年の地方自治法改正により、目的が調査研究に加えてその他の活動にまで広げられ、名称が「政務活動費」となった。ちなみに、支給額の最高は東京都議への年間720万円である。

しかし、不透明かつ妥当性に欠ける政務活動費の使途の実態が各地で明らかになっており、実質的に議員の「生活費」に充てられているのではないかとの疑念が広がっている。号泣県議だけの問題とは、考えられないのである。

来年の統一地方選で誰を選べばいいのか?
選んではいけない地方議員の「5つのタイプ」

自治体の権限と責任が拡大している今の時代、地方議会と議員の存在は極めて重要なものとなっている。そうした議会・議員の果たすべき役割を理解していない人や、果たす力量のない人を選んでしまうと、そのデメリットは必ず住民生活に及ぶことになる。議員の質の劣化を加速させる負のスパイラルからいち早く脱しないと、地域の将来は間違いなく、大変なことになるだろう。

それゆえに、来年の統一地方選は重要だ。もっとも、そうは言っても「誰を選んだらよいのかわからない」と選挙のたびに苦悩する人もいるはずだ。そこで、どんな人物を選ぶべきかではなく、選んではいけない5つのタイプを紹介したい。

1つは、知事や市区町村長、国会議員などとの関係の深さをやたらアピールする候補者だ。

2つめは、自分の手柄話ばかりをする人と反対に自分の意見を言わない人。

3つめは、自分の地元や支持団体にしか目を向けない人。

4つめは、選挙公約に具体性がなかったり、詳細に書いているものの政党やどこかのマニフェストのまる写しが疑われるもの。切り貼りやコピぺを行っている候補者だ。

5つめが、自分のビジュアルやイメージを常に意識し、それらを全面に押し出すような候補者だ。それ以外に金目に走る人や素行や品性に問題がある人は、もちろん、論外である。

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