“異変”の正体

夏祭り 「有料老人ホームに医者が来なくなった…」

訪問診療に起きた“異変”の正体

「夜中の電話は嫌」「一軒ずつは面倒」訪問診療をする医師が増えない理由

日本の医療・介護制度が「治す医療」から「支える医療」へと大転換するなか、欠かせないのが厚労省の目指す「地域包括ケアシステム」の構築だとこれまで述べてきた。この「地域包括ケアシステム」は、中学校区の中で介護や生活サービスなどと並んで医療を充実させ、校区外に出なくても最期まで暮らし続けられるようにすることを目指すという。そこで中核となる医療機関は、大病院ではなく、住宅を一軒ずつこまめに巡る訪問診療医だ。在宅医療の浸透は、この訪問診療医の活動に大きく依存する。

2006年度に厚労省は、訪問診療を手掛ける診療所が「在宅療養支援診療所(在支診)」として登録すれば、外来診療よりはるかに高額な報酬を得られる制度を作り、普及に傾注してきた。訪問診療とは、主に診療所の医師が通院できない患者の自宅や集合住宅を訪問して診察すること。患者と契約を交わし、必ず月2回以上の訪問を義務付けられるほか、患者や家族からの問い合わせや相談に24時間の対応を求められる。対応なので、医師が直接出向かなくても、既に渡した投薬を電話で伝えたり、訪問看護師に任せてもいい。

緊急時に患者家族から呼ばれる往診とは違う。その後、中小病院(200床以下)にも「在宅療養支援病院(在支病)」として広げられた。

しかしながら、10年近く経った制度にもかかわらず、在支診に名乗り上げているのは、診療所の約1割、1万3758(2012年7月時点)にとどまっている。同病院は746に過ぎない。

「深夜に患者や家族からの電話を受けるのは嫌」「飲みに出たり海外旅行が楽しめない」「一軒ずつ患者宅を回るのは面倒でしんどい」「待っていても患者が来るので外来だけで十分」「生真面目な医師が勝手にやればいいこと」――。

これらは、訪問診療を手掛けない医師の言い訳だ。一部の医師の「本音」が垣間見える。それでも、時の流れなので登録に踏み切る医師もいる。

「ずっと長い間通院してきたが、要介護度が進んで外出がままならなくなった患者のために訪問せざるを得ない」というケースも多い。

入院希望患者1人に報酬2万5000円を決めたがなかなか普及が進まない在宅療養診療所。

しかし在宅医療の充実を狙って、厚労省は今回の改定では新たに「在宅療養後方支援病院」を設け、入院希望患者一人に対し2万5000円の報酬を出すことにした。緊急時にいつでも対応し、入院も引き受ける病院が対象だ。後方病床が確保されていれば訪問診療活動に大きな支援となる。在支診と在支病を対象にしてきた制度だが、200床以上の大病院にも広げて受け入れ態勢を整えた。

厚労省は、こうして在宅医療に力を注いでいるかのようにみえる。ところが、である。在支診や在支病に支払う新しい診療報酬が、普及に足を引っ張る役目を果たし始めた。「病院や施設でなく住宅で過ごしましょう、と掲げてきた国の政策を逆転させるとんでもない措置だ」「ちぐはぐな政策に振り回されるのはやりきれない」」と関係者の批判を浴びる大きな事件となった。

有料老人ホームでの診療報酬が4分の1に
診療拒否の医者続々に事業者の怒り

「有料老人ホームに医師が来なくなってしまう」「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で医療ケアが必要な重度者を退去させねば」「グループホームで看取りができなくなる」―――。要介護状態の高齢者を受け入れるケア付き集合住宅の事業者たちが怒る。

発端は、2月12日に開かれた第272回中央社会保険医療協議会(中医協)総会。厚生労働大臣に答申した4月からの診療報酬の改定案で、同一建物内の訪問診療の報酬を大幅に下げた。サ高住やグループホーム、それに有料老人ホームも同一建物内に多くの入居者がいるが、もちろんこの対象になる。

厚労省は在宅医療を広げるため、2006年に外来診療よりも高額の管理料(在宅時医学総合管理料)を設定してきた。1日に多くの患者を診ると、これまで4万2000円だったその管理料を1万円へと4分の1に激減させる案がそのまま4月から施行された。したがって、1日に大勢を診ても報酬は4分の1。従来通りの報酬を得るには、1日に1人しか診療できないのだ。

「これでは訪問診療に出ると採算が合わない」と、診療拒否の連絡が診療所から有料老人ホームなどに入りだした。

4分の1にまで減額されると、訪問意欲が萎えるのは当然だろう。医療・福祉行政に詳しい弁護士の遠藤直哉氏は、「法治国家の規範を成す一貫性、確実性、明確性、平等性及び予測可能性を大きく害する。特に予測可能性を大きく崩す。ルール変更の際には正当化する立法事実を明らかにすべき」と、4分の1へ減額に異を唱える。

なぜ報酬を4分の1に下げたのか

有料老人ホームで介護保険の報酬を得ている特定施設入居者生活介護の全国団体では、すぐに会員と診療に来ている診療所にアンケート調査を実施し、「被害」状況のまとめに入った。サ高住の全国団体、サービス付き高齢者向け住宅協会(サ住協)と有料老人ホームの団体も同様の実態把握に大わらわとなった。

なぜ4分の1に報酬を下げたのか
背景に患者紹介ビジネス横行「疑惑」

中医協はなぜこれほど大幅に報酬を下げたのか。いくつかの理由がある。有料老人ホームなど大規模集合住宅に診療に行く医師は、一度に数十人の患者を診るのだから、自宅に一軒一軒回る医師より効率がいい。だから単価を下げるべき、というのが大方の考えだ。

さらに、「通院できそうな軽度者でも診ている。ひとつの集合住宅で入居者の9割も診療するのはおかしい。多くのサ高住では医療ケアが必要な入居者はせいぜい2割程度しかいないはず」と話す医師たちもいる。通院できるか否かは医師の判断で決められる。

訪問診療の「疑惑」を掲載した朝日新聞の影響も大きい。昨年8月25日の朝刊1面トップで「患者紹介ビジネス横行。施設の高齢者を訪問診療。医師、報酬の一部を業者へ」、

2面でも「患者、金づるか。過剰診療・水準低下の恐れ」と大見出しで掲載。施設入居者を紹介してもらう見返りに訪問医師が紹介料を支払っていると報じた。翌26日の1面でも「鍼灸院で訪問診療偽装」、さらにその日の夕刊で「患者紹介、協力施設募る」と、施設と医師をつなぐ紹介業者の暗躍を伝えた。たたみかけるようなスクープ記事だ。その後も9月2日に「架空診療所設け訪問報酬」、同月7日に「老人ホームも紹介料要求」と追い打ちをかけた。

これを受けて厚労省は、都道府県に調査通知を出す。その結果、20件の不適切事例が報告される。そして10月23日の中医協では「民民の金銭の授受を制限できないので、診療報酬で対応する」こととし、2月の報酬減額となったわけだ。「悪質事業者の締め出しを図った」と厚労省は説明するが、「悪質」を過大に捉えるあまり、在宅医療の現実から目をそらしてしまったのではないだろうか。

「実は集合住宅の方が診療は難しいのに…」
表面化しない訪問診療医の嘆き

中医協の答申後、訪問診療を活発に展開している診療所から猛反発が起きた。有料老人ホームなど集合住宅は、いわば医師が来なくなるという「2次被害者」で、肝心なのは医師たちである。集合住宅では診療負担が少ないと言われることに反論する。

「実は自宅に行く訪問診療に比べ集合住宅のほうが診療が難しい。自宅なら家族が一緒だから診療内容を説明すると理解が早い。集合住宅では家族は別に住んでいて、本人と疎遠なことが多く難儀を極める」

「生活保護の受給者も多く、ケースワーカーとの連絡が必要」

「身体状況だけをみると通院可能かもしれないが、家族が同行出来ないことがほとんどで、医師が訪問せざるを得ない」

施設職員への診療内容の説明にも苦労するという。「施設職員が頻繁に離職するので、繰り返し伝えねばならない。その手間に相当の時間を割かれてしまう」

「未熟な職員が多く、こちらの療養方針をなかなか分かってもらえない。ちょっとしたことでもすぐ電話をかけてくる」
        
こうした訪問診療医の声は残念ながら表面化しない。というのも、在支診登録の医師の全国団体、全国在宅療養支援診療所連絡会が中医協の改定に同意していた。「有料老人ホームやサ高住で医療ケアが必要な入居者はせいぜい2~3割。だが実際は全入居者を診療する不自然な例が見受けられる。そうした不当な医療にメスを入れるものとして仕方ない」と幹部たちは厚労省と同じような理由を挙げる。日本医師会も同様な見解だった。

同会に所属する医師は典型的な町医者が多い。午前中は外来患者を診て、午後に通院できなくなった患者の自宅を訪問する。なかには「地域の患者を外来で見るのが在宅医療の基本。遠くの集合住宅ばかり飛んでいくのは間違い」と断言する医師もいる。

ところが現実は大きく異なる。1人暮らしや老々介護で重度になり、やむなく遠くの老人ホームやサ高住に転居を迫られる要介護者は多い。転居すると、今までのかかりつけ医は遠距離訪問を拒む。といって引っ越し先集合住宅の周辺に訪問診療を手掛ける診療所はほとんどない。訪問診療は16㎞までできるので、その範囲内の訪問に熱心な診療所に頼らざるを得ない。

そうした依頼が重なっていくと、在宅医も外来から訪問に軸足を移していく。

報酬カットが老人の入院を加速?

「外来に来られる患者より緊急度が高いのが訪問診療の対象者。生活全体を見守りたいので外来に割く時間がない」と患者中心の医療に熱心だ。高齢の要介護者の急増で、集合住宅を中心に運営システムを切り替えていく動きが高まるのは時代の流れでもある。地域包括ケアが目指す訪問診療医の絶対的不足が続く限り、組織された診療所と集合住宅の結びつきは避けられない。それを報酬カットで断ち切れば、問題の長期入院が膨れ上がりかねない。時計の針を逆回転させるようなものだ。

報酬カットが老人の入院を加速?
“病院志向”に拍車をかける政策の矛盾

高額でなく入居しやすい賃貸住宅を広めようと、厚労省と国交省はサ高住を2011年10月に創設し、一部屋当たり100万円の助成金を投入したり税の特別軽減措置を作って建設に旗を振ってきた。厚労省の発表によれば、特別養護老人ホーム(特養)の待機者は4年前から約10万人も増え、52万2000人に達した。サ高住は特養待機者の受け皿という目的もあった。その目的達成の目途もたたないにもかかわらず、サ高住の普及に水を差すのが今回の診療報酬改定だろう。

サ高住は現在15万4000室に達し、10年後の60万室の目標値に近づきつつある。その根拠法の高齢者居住安定法では「重度になっても退室させてはダメ」と明記しており、終(ついの)の住処(すみか)と宣言している。

重度になれば当然、医師の診察が必要となる。それなのに、医師が収支に合わないことを理由に、訪問に腰が引けてしまえば、サ高住の事業者が当惑するのは必然だろう。

事業者にとどまらず、多くの要介護者やその家族にとってもサ高住や有料老人ホームが終の住処にならないと分かれば、病院への入院が加速されかねない。

昨年8月の社会保障制度改革国民会議の報告書で、「脱病院、地域医療の推進」を医療改革の根本と打ち出したにもかかわらず、こうした状況は病院志向に拍車をかけそうだ。何ともちぐはぐな政策と言わざるを得ない。

その後、思いのほかの反発に対し厚労省は制度を若干緩和する通達を出さざるを得なくなる。月2回の訪問のうち、1回は従来通り一日に多くの患者を診てもいいとしたのだ。だが、もう1回は、従来どおりの報酬を得るためには1人しか診られない。小規模の診療所には、常勤医師が少なく、非常勤医師の手当てもままならないため、大きな打撃であることには変わりない。

コメント


認証コード9686

コメントは管理者の承認後に表示されます。