中国「潜入報道」のいま

上海福喜食品の食肉不正を暴いた1images
7月23日、日本で中国の食品工場の内情を暴いた衝撃の映像が流れた。
床に落ちたチキンナゲットを再び生産ラインに戻し、青く変色した肉も使い続ける。本来廃棄されるはずの原料が生産ラインに投入される。「これ鶏の皮じゃないか」との問いに「混ぜればうまいよ」と返す従業員。
やられていたのは消費期限の改ざんだけではなかった。上海のテレビ局の「東方衛視」は、管理の及ばない無法地帯と化した食品加工の現場を赤裸々に映し出した。実はこの番組、テレビ局の記者が従業員になりすましての3ヵ月にわたる潜入取材がもたらしたスクープだった。
きっかけは、テレビ局に寄せられた上海福喜食品の元従業員からの告発だった。「この工場には問題が多すぎる」と、元従業員は記者らに訴えた。
しかし、上海福喜食品と言えば、世界17ヵ国に50工場、肉類加工業では世界最大規模とも言えるアメリカのOSIグループの子会社だ。当時、記者たちは「こんな先進的なグローバル企業で、そんなことあり得ないだろう」と半信半疑だった。
だが、この元従業員は証拠となる二冊の、裏と表の帳簿を持っていた。裏帳簿の存在は有力な証拠になる。テレビ局ではこれを機に取材班が編成された。
しかし、工場責任者に正面から直撃取材したところで何の情報も得られないのが中国だ。さらなる有力情報を得るために、彼らは「潜入取材」を断行した。
大量の虫が湧いた小麦粉を再使用潜入取材が暴く数々の闇
こうした「潜入取材」は中国では珍しくない。実は今年3月、中国中央電視台(CCTV)の報道番組でも、食材の消費期限改ざんの闇が暴かれたばかりだった。
CCTVは「世界消費者権利デー」に当たる3月15日に特別番組を放送した。それは、杭州の食品貿易会社に複数の記者が潜り込むドキュメンタリーだった。取材班は正面から入社試験を受け、通過し採用された。従業員になりすました記者らが工場への出勤を始めると、ほどなく周囲から信頼を得るようになっていった。
この貿易会社が扱う輸入食材は小麦粉、チーズ、バター、チョコレートなど、欧州からのものが大半を占めた。しかし倉庫に積み上げられる食材は、ほとんどが「賞味期限切れ」。時を経ずして潜入取材班は“改ざん行為”という決定的現場に直面した。

“覆面記者”も含め何人かの従業員が小部屋に招かれ、期限切れの小麦粉を開封させられた。

ダマになった小麦粉をふるいにかけると、大量の虫が網の上に浮き上がってきた。「うわー、こんなにいる」と声が上がった。小麦粉はすっかり変質していたのである。その小麦粉を新たにパックし直し、上から「製造日2013年11月21日」のスタンプを押す。彼らはそんな作業に従事させられた。
バターは4年前のものが平然と積み上げられていた。製造年は2009年。消費期限は2011年にすでに到来し、それからさらに2年の歳月が経過している。もとの製造日をはがし、あるいは切り取り、その上から改ざんした期日を張り付ける――従業員にとっては、これこそが最も重要な作業だった。
その後、潜入取材班は“秘密の倉庫”を突き止めることにも成功する。彼らが予め“しるし”をつけた数百箱のバターの段ボール箱がどこに輸送されるのか、その追跡に乗り出したのだ。
バターを載せたトラックが止まったのは、杭州市郊外にある民家の前。これが噂に聞いていた“秘密の倉庫”だったのだ。工場から出たとき、バターの製造日は2013年11月17日だった。だが秘密の倉庫から戻ってきたときには、その製造日は2014年4月11日に修正されていた。
食品の質だけではない上海福喜食品に見るもうひとつの“変質”
ところで、今回の上海福喜食品をめぐる一連の報道は、「もうひとつの変質」をも明らかにした。今回の一連の報道劇を手記に残した記者の一文からは、企業の質もまた変化を余儀なくされていたことが読み取れる。中国で変質するのは食品だけではないのだ。
かつてはあった厳しい管理体制が消えた理由
テレビ局に告発を行った元従業員は勤続年数の長い、上海福喜食品の古株でもあった。過去と現在を知るこの元従業員の言は、かつて上海福喜食品にも非常に厳しい管理体制が存在したことを訴えるものだった。それが消えてしまった理由は何か。一言で言えば、世間相場に反した「安月給」だった。
工場では、「帽子の色で担当エリアを分ける」といった先進的管理手法が取り入れられる一方で、従業員は室内温度4度という劣悪な環境下で安月給での労働を強いられていた。保温服に防護服を重ね、マスクに手袋の重装備をし、まじめな働きぶりを発揮したとしても、手にする月給はたった2000元(約3万2000円)でしかなかった。
この程度の月給で、管理マニュアルが求める細かいルールに従えというのは、彼らにとって承服できるものではなかった。「安月給にもかかわらず厳しいルールでがんじがらめ」と、上海福喜食品からは多くの従業員が離れた。厳しく指導する先輩も姿を消し、新規採用の従業員も定着せず辞めて行った。管理体制を狂わせたのは、他でもないこの「人材の流動」だったのである。
食品に問題は「あって当たり前」の中国体を張って取材する若手記者たち
こうした社会の歪みを背景に、中国では食品の安全性に問題があることが、むしろ普通の状態になっている。検査当局が嗅ぎつけられない“秘密の倉庫”は上海福喜食品に限った話ではなく、当局の取り締まりと闇業者は常にいたちごっこを繰り返している。不正は日に日に肥大化し、組織ぐるみで大規模な消費期限の改ざんや食品の偽造などが、今や白昼堂々と行われているのが実情だ。
製造する側も消費する側も、「食の危機」に対する感覚は日ごとに麻痺し、いまさら驚くべき問題ではなくなりつつある。恐ろしいのはそこである。
反応の鈍くなった世間の問題意識を呼び覚ますのが、若手記者たちのドキュメント取材である。それには、「カメラが追った映像」が効果的だ。記者の手記には「潜入取材は慎重な判断が必要だが、公共の利益を優先すればこそ踏み切った」とある。社会にインパクトを与え、安全問題に対する世論を高めれば政府が動く。彼らの体を張った取材は、確かに世の中を変える力にもなっている。
若い記者たちにエールを送る市民も
そんな若い記者たちにエールを送る市民もいる。上海の外資系企業に勤務する女性はこう話す。
「記者らは殴られ、撮影機材を壊されることもある。中には事実を曲げる悪質な記者もいるが、まじめに頑張る記者を見ていると私も応援したくなる」
「バレなきゃいい」と開き直る食品の生産現場を目の当たりにし、中国社会は「中国企業はついに踏み越えてはならない一線を越えてしまった」と嘆く。食品安全問題は、中国の経済発展が生むべくして生んだ最も致命的な社会問題であるが、唯一希望が垣間見えたのは、これを暴いた記者がいるということだ。
それは「共産党支配下の中国では報道も規制されている」という、私たち日本人の印象を覆すものだ。日本で批判されるように、中国メディアは「民」の悪事は暴けても「官」の不正には手が出せないという側面も、たしかにあるだろう。だがある部分では、ひょっとしたら日本以上に自由で活発、そして使命感と行動力に満ちた取材が行われているのではないだろうか。今はまだ限られた範囲での活動であっても、これが下地となって、やがて社会を変える力になっていくことを期待したい。

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