10年前に指摘した中国社会の“病巣”

せみ 習近平が尊敬するリー・クアンユーが

10年前に指摘した中国社会の“病巣”

中国共産党が参考にする
「シンガポールモデル」

赤道直下に位置するため、年間を通じて高温高湿。少し走っただけで全身がびしょびしょになってしまう。この季節なのに、日の出は7時ごろと遅めだ。

高層ビルが立ち並び、交通などのインフラは便利で、緑が随所で見られる。「都市設計」の四文字を赤裸々に感じさせる街並みだ。法律やルールで秩序や安定が維持されている。先進国の匂いがする。人口は約550万人、一人あたりのGDPは5万ドルを超える。税制面における優位性から、最近は欧米などの富裕層がこの土地に移住してきている。若い日本人起業家もスタートアップを立ち上げるべくシンガポールに流れてきている。そして言うまでもなく、投資、就業、留学、観光など多種多様な動機で訪れる中国人をそこら中で見かける。シンガポールの中心部に位置するチャイナタウンは聞き慣れた“北京語”で溢れていた。

新しい建築物や地下鉄のラインの建設が進んでおり、まだまだ発展していくイメージだ。一方で、数年前まで見られた道端の小さな食事処やお土産屋さんの多くが姿を消していた。地価が上がりすぎてしまい、特色ある小さい店はやっていけなくなっているためだ。ある地元の市民はシンガポールの未来に対して「物価はどんどん上がり、私たちの生活は苦しくなっている。場所もなくなってきた。これから何を、何処に拡大しようというのか」という疑問を呈していた。

英語、中国語、マレー語、タミル語を公用語に設定している。多様性を保ちながら発展してきた都市国家も、来年度(2014年)で50歳になる。“建国の父”であるリー・クアンユー初代首相(1923年9月16日~)はどんな思いでその時を迎えるのだろうか。

「開発独裁」とも称される権威主義的体制の下、政治的には事実上の一党独裁で、経済的な繁栄を続けてきた。

社会主義市場経済を掲げる中国では「シンガポールモデル」と呼ばれ、中国共産党は指導部から中堅官僚まで、その発展モデルを大いに参考している。

汚職する気にもならない高待遇なシンガポール官僚

1991年に設立されたシンガポール有数の国立大学である南洋理工大学(Nanyang Technological University)では、これまでに1万人以上の中国共産党官僚が“研修”に訪れ、「シンガポールモデル」を巡るガバナンスの在り方を学んでいっている。同大学は「海外党校」(共産党官僚の育成機関である「中央党校」に倣った称号)とも呼ばれる。

以前、私自身シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院を訪れ、学生たちと交流する機会があった。そこでは、中国共産党の官僚たちが学んでいた。

30代の商務部官僚に「シンガポールモデルは参考になりますか?」と聞くと、「国家の大きさも異なるし、比較性という意味では慎重になるべきだが、シンガポールの経験は参考になる。特に政府のガバナンス力は際立っている」と回答してきた。

シンガポールの首相官邸で働く若手の女性が隣で話を聞いていたが、同商務部官僚はこの女性の方を見ながら「我々も彼女くらいたくさん報酬を貰えれば大分ラクに仕事ができるんだけどね」と冗談半分に自らの処遇を皮肉っていた。

「役人の腐敗防止」という観点から、シンガポール政府が役人たちに高額の報酬を払っているのは有名な話だ。私が付き合ってきたすべてのシンガポール政府役人は自らの待遇に対して満足、あるいは納得がいっているようだった。「これだけの報酬をもらっておいて汚職をする気にはならない。公私混同の必要もない」(シンガポール通商産業省若手官僚)。

一方の中国であるが、「政府の役人は安月給で働くべし」という伝統的観念がいまだ根強く、実際に、大学卒業後に省庁入りした役人の初任給は5000元(約7万5000円)未満、課長・局長クラスになっても1万元といったところだ。私が付き合ったことのある多くの外務官僚は、「在外公館勤務になった際に資産を貯めこむしかない」と愚痴をこぼしてきた。

確かに、役人の福祉厚生は一般国民や民間セクターに比べて優遇されているし、中国における「官」の社会的地位は依然として高いと言える。しかし、以前のように居住用の家が無償で提供されるわけではないし、市場経済が進み、物事が市場原理で動くなかで、役人たちにもある程度のキャッシュが必要なこともまた事実である。

月給7万5000円で家3件所有はおかしい

「腐敗は文化」という封建時代の観念がいまだはびこる中国では、「安月給で我慢し、安定的なハイステイタスを築きつつ、適度に職を汚し、灰色収入で私腹を肥やす」という“戦略”をもって役人になった人間が五万といる。私と同世代の知人や大学時代のクラスメートでも、「腐敗もできずに役人なんてやってられるか」という考えを持って役人になった人間が多い。

腐敗すらできない官職など価値はない、と言わんばかりに。

そう考えると、習近平国家主席が就任以来大々的に展開している“反腐敗闘争”と“贅沢禁止令”は、中国全土の役人たちのモチベーションを根こそぎにしている。現在私は北京で本稿を執筆しているが、政府が接待に使うレストランががら空きだったり、ヒトやカネの流れを徹底追究され、反腐敗当局(中央規律検査委員会)から“汚職”と判決を下されるのを恐れる役人が身動きを取れなかったり、という状況が赤裸々に散見される。

北京市郊外にある政府機関で働く党の中堅幹部は私にこう語る。

「接待されることも、接待することもできない。目的や用途を徹底的に調査されるからだ。我々に接待無き仕事などあり得ない。食事を共にして、煙草やお酒を共にして、初めてプロジェクトが生まれるんだ。我々の給料や地位に見合わない行動にはすぐにメスが入る。ただ月給5000元で何ができる? 何が買える?」

この役人は、それまで持っていた3軒の家をすべて売り払ったという。いずれも日本円で2000万円以上(現在価格)する物件だ。確かに、月給7万5000円で2000万円以上する物件を3つも持っているのはどう考えてもおかしい。仮にメスが入った場合、反腐敗当局から「汚職」と判断され、その後の政治キャリアを棒に振ることになるのは火を見るより明らかであろう。

シンガポールと中国:
反腐敗闘争を巡る3つの相違点

「反腐敗闘争」におけるシンガポールと中国の3つの違い

胡女史が「シンガポールは反腐敗政策と清廉潔白で効率的な公務員制度で目覚ましい業績を収めてきた。中国も現在反腐敗闘争を進めている。中国が次のステップへ進む過程において、シンガポールの経験から学ぶべきことは何か?」と尋ねると、リー首相は「中国とシンガポールは国家の規模が異なる」と苦笑いを浮かべながら両国の比較性に疑問を呈しつつも、以下のように答えている。

「我々シンガポールが力を入れて取り組んできたのは、厳格な法体系と透明性のあるシステムの構築だ。政府に対する問責メカニズムやチェックアンドバランス機能が不可欠だ。政府官僚が腐敗を犯した場合には、どれだけハイランクの人間であろうと法律に則って調査され、処罰される。と同時に、我々は政府の役人に合理的な報酬と相応する地位を与えることを保証する。従って、役人たちは汚職を通じて家族や親戚の世話をする必要もなくなる。要するに、厳格な法律やルールの下、合理的な報酬と高い要求を役人たちに与えることだ」

私の知る限り、リー首相のこのコメントは、実際にシンガポール政府が自国をガバナンスしていく過程で実践されている政策をある程度反映するものであり、昨今の中国政治情勢を考える上でも大いに示唆に富んでいる。

リー首相のコメントに加えて、本稿で比較してきたシンガポール・中国両国における役人待遇の相違から判断すれば、シンガポールと中国の「反腐敗闘争」は3つの点で異なる。

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① シンガポール政府は高額な報酬を与えることを通じて役人の腐敗防止に対する“防波堤”とし、インセンティブメカニズムを構築しているのに対し、中国政府はあくまで「役人は清廉潔白であるべきだ」という“政治的道徳論”に基づいて役人の腐敗を抑え込もうとしている。

② シンガポール政府は法体系に則って、制度的、恒常的に汚職・腐敗に対する罰則を定めているのに対し、中国は法律や制度ではなく、時の指導者の性格や偏向に則った、極めて人為的な“政治運動”としての色彩が濃い。よって腐敗防止がシステムとして機能するのではなく、権力闘争の延長線として扱われてしまい、故に、不安定であり、リスキーでもあり、持続可能性にも欠ける。

③ シンガポールでは原則すべての公務員が公平に罰則を受けるが(ここで“原則”としたのは、シンガポールでも特にリー・クアンユー、リー・シェンロン父子をはじめとする李氏ファミリーは例外的な特権階級にあり、現に複数のシンガポールメディア関係者によれば「政府批判は問題ないが、李氏ファミリーやリー・シェンロン首相個人への批判はタブー」とされているからだ)、中国ではどの階級のどの役人を“落馬”させるかは時の指導者の性格や、党内権力関係、および元老の意向などが強く反映される。

2012年上半期に世界を震撼させた所謂“薄煕来事件”を法治主義の進歩としたり、習近平国家主席が就任以来大々的に展開している“反腐敗闘争”を制度の改善と見る向きもあるようだが、実際は、これまで以上に政治的であり、制度設計ではなく権力闘争に立脚した産物であり、「法治の確立」ではなく、「人治の横行」だと私は現状を捉えている。

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10年前に中国社会の問題点を的確に指摘していた

リー・シェンロン首相の実父であり、初代首相リー・クアンユー氏は自著《From Third World To First :The Singapore Story 1965-2000》(Marshall Cavendish Editions, 2000)のなかで、これからの50年間、中国は計画経済から市場経済、農村ベースから都市ベース、きつくコントロールされた共産主義社会から開放的な市民社会への転換を遂げる必要があると主張する。

中国の指導者に対して、「国民によるより多くの政治参加を許容し、国民生活に関わる圧力を緩和し、経済低迷期において社会を不安定化させる可能性のある要因を調整していかなければならない」と提言する“建国の父”は、同著のなかで、中国が未来に向かっていく上で、最大にして致命的な問題は「腐敗」だと断言する。

「中国では腐敗は政治文化と結託しており、経済改革を施したとしても根絶するのは難しい。省レベル、市レベル、国レベルを問わず、多くの共産党の幹部や政府官僚が腐敗と無関係ではいられない。より深刻なことに、法律を執行する役人、公安や裁判官なども腐敗している。この問題の根源的原因は文化大革命時代に一般的な道徳規範が破壊されたことにある。そして、1978年に始まった鄧小平による改革開放政策は、役人たちが汚職腐敗へアクセスする機会をより大きくしてしまった」

リー・クアンユー氏は、中国の指導者が法体系を整備して適切な制度を設立したいと願っており、かつ儒教を再強調することによって、道徳規範を広めようとしているという中国の現状に対する認識を披露しているが、と同時に、「しかしながら、政府役人が非現実的なほどに低い報酬しか与えられない状況下では、それらの奨励や措置は効果を生まないであろう。たとえ、どれだけ死刑や無期懲役といった処罰を強化しても、である」と、近年の中国共産党指導部の「反腐敗闘争」に対して根本的な疑問を投げかけている。

腐敗という文化にメスを入れることで
生まれる事なかれ主義と怠慢主義

リー・クアンユー氏によるこの論考は今から10年以上前に執筆されたものであるが、昨今の中国、そして習近平国家主席率いる共産党指導部が大々的に展開する「反腐敗闘争」の問題点を的確に突いていると私は見る。

シンガポールと中国の反腐敗政策を比較した前述の①~③でも指摘したが、その時々の政治情勢や権力関係のみに立脚した反腐敗政策は制度・システムとして機能するのではなく、権力闘争や指導者の性格など人為的側面ばかりが浮き彫りになる。

もちろん、本連載でも度々検証してきたように、「人民のお上に対する信頼を回復させ、共産党の権力基盤と威信を再構築する」という“大義名分”が存在することは否めないし、胡錦濤時代に比べて共産党の正当性自体が揺らいでいる“ポスト安定・成長時代”において(第7回コラム参照:もはや“胡錦濤路線”での統治は困難習近平が「公正」を優先すべき3つの理由)、役人の汚職腐敗を徹底的に取り締まることは必要な応急措置だと私も思う。

「私は習近平をネルソン・マンデラ級の人物だと見ている」

しかしながら、行き過ぎた取り締まりは政治情勢そのものを不安定にもさせる。

と同時に、より深刻なのは、歴史的に「腐敗は文化」であった中国政治、現実的に「腐敗すらできないのに役人になる意味は無い」と考える中国官僚に、容赦なくメスを入れることによって生まれる前代未聞の事なかれ主義と怠慢主義であろう。

「人民に仕える役人なのだから道徳的に振る舞うのは当たり前だ。給料は上げない。我慢しろ。不適切な言動が発覚した場合は徹底的に締め上げる」

昨今の中国政府官僚は習近平国家主席からそう“最後通牒”されているのだ。

リー・クアンユー、リー・シェンロン父子のコメントから示唆を得るとすれば、「この状況下では、政府官僚は動かない。政府機能は動かない。改革事業は動かない」という不安要素を、習近平・李克強政権の統治リスクと見なさないわけにはいかない。真の意味で持続可能な発展を実現するために、構造改革が急務となっている昨今の情勢下では尚更であろう。国家建設において依然として政府機関が主導的な役割を果たしている昨今の体制下において、「政府役人のやる気と執行力」は鼓舞されるべきであっても、喪失されるべきものではないからだ。
  
習近平国家主席はリー・クアンユー元首相のことを「尊敬できる長者」と呼び、過去においても政治家として、一国家を統治する者としての教えを請いている。複数の太子党関係者によれば、習主席が顕在する政治家で最も尊敬しているのがリー・クアンユー氏だという。

私から見ても、「権威主義的で、目的を達成するためなら手段を選ばない」という点において両者は繋がっている。政治的には自由を許さず、体制内外を問わず対抗勢力を徹底的に締め上げ、その存在すら許さない。

そんなリー・クアンユー氏は、90歳を目前にした2013年8月に出版した自著《One Man’s View of the World》(Straits Times Press)のなかで、2007年11月の訪中時に初めて面会した習近平に対する印象を以下のように綴っている。

「習近平は胸襟や視野が広く、問題の本質を見極める能力に長けている。しかも、その才能を見せびらかそうとしない。ずっしりした印象を持った。彼は過去において多くの困難と試練に立ち向かった。一歩一歩奮闘した。愚痴を吐かない男だ。私は習近平をネルソン・マンデラ級の人物だと見ている」

習近平は尊敬するリー・クアンユーからの称賛をどう受け止め、自らの執政過程にどう活かそうとするのであろうか。

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