韓国を北に売った

スイカ 金大中・盧武鉉の大罪  

韓国人の異常なまでの日本たたきを見るにつけ、なぜこうも屈折した精神を持つように成ってしまったのかを韓国人が勉強しない朝鮮民族の歴史を直視して、韓国人の韓国病の正体を明らかにしたいという
思いから分析を続けてきました。

私が特に力を入れて記述したのは、国家的反逆体制を作り上げた金大中のおぞましい正体を明らかにすることでした。

私は実際に韓国現地でビジネス活動をしていた時期は、金泳三時代の3年間、金大中時代の5年間、盧武鉉時代の4年間、李明博時代は現地の会社を韓国人社長に任して一切経営から手を引いていました。

日本企業が韓国でビジネス活動するためには、韓国役人をバックに付けなければまず不可能です。トヨタのような大企業は別ですが、日本の中小企業が韓国で経営することは至難の業です。

何をするにも各役所の認可が必要で日本企業の場合は役人の意地悪にあってなかなか認可がおりません。そこで代表取締役を韓国人に譲って私は裏に隠れました。

社長の座を譲ったということは会社を譲った事になります。法律の通用しない韓国では、私が株の80%以上を持っているからといってまるで意味をなしません。そこで数年後、株も韓国人に譲って権限のない理事長になりましたが、現在はその理事長も降りています。

韓国ビジネス活動中に多くの役人や高級官僚と知り合いになり、韓国の政治、経済の裏も表も知るはめになってしまいましたが、しかし私は積極的に韓国
の官僚に近づいていったのではなく、逆に韓国側から日本人を利用するために近づいてきたのです。

その辺の経緯を昔を思い出しながら書いてみます。

韓国で会社を立ち上げるために、大阪本町にある「大韓貿易投資振興公社」に行き相談しました。応対してくれたのは韓国貿易センターの次長で 「対
内直接投資制度の案内」という小冊子を渡されました。

当時彼はまだ41歳で、その後すぐに館長になり数年後、韓国本社である韓国貿易センター(KOTRA)に帰り部長になり、その後も昇進を続けました。彼は日本語、英語、を流暢に操り、フランス語もOKという切れ者でした。

彼が大阪に在任中は10日に1回は訪問していました。訪問すると彼は喜んで同ビル内の喫茶店に連れて行き、日本の政治・経済や世界の経済の流れについて質問をしてきました。

彼が韓国本社の「KOTRA」に帰ってからも韓国出張の時は必ず韓国の当社社長を連れてお茶を飲みに行っていました。許可問題やその他で困ったときは彼に相談して助けてもらっていました。

彼は定期的に韓国に支社のある大阪の大企業を回っていましたが、大企業の社長や幹部を利用することはなかなかできませんが、私のような小回りのき
く中小企業の社長なら自分の意図するように動かすことができます。

彼は本社に配属になった時すぐにKOTRAの若手と韓国企業の幹部・社長を集めた講演会を企画して、私に声をかけてきました。無名の私では講演会に来てくれる人などいないと、断りましたが有名な日本企業の社長を一緒に呼んでいるということでしぶしぶ引き受けました。

前説が長くなりましたが、何故、私が多くの韓国の官僚たちと知り合いになれたかを理解していただくために韓国での流れを記述してみました。つまり
彼が多くの韓国官僚と私をつないだのです。

その官僚のなかでも最大の大物は金大中の大統領秘書室長の金重権氏です。韓国の大統領制では、首相・大統領秘書室長・国家安全企画部長を3大要職
と呼んでいます。その中でも大統領秘書室長は常に大統領の側におり助言ができるNO2の地位にあります。

秘書室長が日本に来た時、彼の誘いで一緒にゴルフに行き、その後、多くの韓国政治の裏側を知ることが出来ました。

その他、引き合わされた大物は「大統領政府革新特別補佐官」から行政自治部長官になった呉氏です。ある日突然韓国の彼から電話があり旅費も宿泊代もKOTRAが負担するから明日韓国に来てほしいという要請です。

現地で説明を聞きますと、呉氏が忠精南道の知事に立候補する。それについて明日忠精南道で記者会見(2006年4月)をする。呉氏の横に外人投資家が
並ぶ事によって呉氏の実力を宣伝できるという仕掛けです。

当日ひな壇に三人の外人投資家が呉氏を挟んで並ばされ各投資家の前には立派なフェルトの表紙の「投資了解覚書(MOU)」が置かれています。

そして一斉にライトに照らされてテレビカメラがまわりフラッシュがたかれ呉氏が演説を始めました。つまり自分が当選すると三人の友人である外国投
資家が忠清南道に大規模な工場を誘致してくれて、忠清南道が大発展を遂げるという演説です。

演説が終わると各投資家の後ろに立っている人が、覚書の表紙をめくりサンインの場所を指し示してボールペンを渡されました。ちょっと待ってくださ
い、私は投資する気などまったくありませんが、私だけがサンインをしないわけにはいかない、仕方なしにサンインをしました。

帰りの車の中でKOTRAの彼は「単なる見せかけだから心配いらない」と言いますが、たとえ覚書でも契約は有効です。しかし呉氏は僅差で落選幸いにも投資話は消えてしまいました。

その他金大中政権で外相を務めた韓昇洙氏などは「韓国の発展は日本を抜きにしてはあり得ない」と大変な親日派でした。彼は東大で教べんをとたこと
もあり日本の凄さを知り抜いた人でした。

私が知り合った人たちは誰も左派の思想に染まった人はいなかった。つまり北の指令を受け、平壌と直接つながっている人たちではなかった。それなの
に現在の韓国国会議員の多くは左派に染まり「韓国の国家的正当性を否定し南北分断の責任が韓国にあるような言動を堂々としています。

大統領秘書室書の金重権も呉氏も大統領を目指していた人です。もし保守的な金重権が大統領になっていたら、今のように左派勢力が完全に国家機関を占領されることもなかった。

金大中は保守NO2の金重権を排除して北朝鮮の傀儡である盧武鉉を大統領にしました。金大中・盧武鉉政権は完全に北朝鮮のために尽くした政権でし
た。この売国政権が10年間も統治して、韓国の、軍、警察、司法、行政、メディア、教育などに北朝鮮の思想に染まった人を配置、結果「国家的反逆
体制」が完成したのです。

朴槿恵大統領の最大の仕事は金大中・盧武鉉が作り上げた北朝鮮勢力の一掃であり悪夢の左傾化を終息させることです。その一環として北朝鮮派の元凶
である「全教祖」をついに不法化しました。全教祖と言うのは日本の日教組のような存在で子どもたちを左傾化させ韓国社会を「国家的反逆体系」に作
ってきたところです。

しかし朴槿恵は北朝鮮勢力を一掃しようとしているのか、あるいは左派に取り込まれた結果、反日に走ったのか、大統領就任から1年半経過し、日韓
の関係は後戻りできないところまできてしまいました。

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